のぞみ全車指定のJR西日本、「お乗りになってから初めて自由席がないことにお気付きのお客様」とつい煽ってしまう
約40年まえの古新聞の束をネットオークションで落札した。 この古新聞の束と一緒に入っていた新聞折込チラシを読む会はすでに記事にしたが、今度は古新聞そのものを読んでみたい。 ※記事内で引用した新聞はすべて、昭和53年(1978年)〜昭和54年(1979年)の『読売新聞』岡山版です。 昭和53年〜54年にかけての新聞を読む 古新聞自体は、ネットオークションに限らず、古書店に行けばわりと簡単に手に入るのだが、中途半端に古い、昭和40年ごろから平成初期頃までの古新聞は、ゴミとして捨ててしまう人が多いようで、まとまった量のものが売られている例はあまり見かけない。まして、折込チラシが入った状態のものが出てくることはなかなかない。 古新聞1年と半年分ってけっこう重い 入手した古新聞は、岡山県倉敷市玉島地区で配達されていた読売新聞の昭和53年(1978年)春頃から昭和54年(1979年)秋頃までの約1年半
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侍医長が家を飛び出したとの一報で皇居に駆けつけたのはまだ夜も明けぬ5時半頃だった。1989年1月7日。昭和天皇の闘病は111日に及んでいた。何十年に1度の瞬間がいつ来るかわからない。後れをとったらと思うと、宮内庁キャップだった私は1日たりと帰宅する気になれなかった。皇居の門という門にも、何十人もの記者が雨に濡(ぬ)れ寒さにこごえながら張り付いていた。そしてついに――。危篤から程なく、崩御が発表された。刷り上がった危篤号外は幻となった。 64年に及んだ「昭和」は、何事であれみんなが懸命に生きた時代だった。翌日、元号が変わって「平成元年」の朝刊を手にした時、張りつめていた全身の力が抜けていったのを覚えている。 東ドイツの共産党独裁政権が「ベルリンの壁」を開放した日の夜、東ベルリンの市民が続々と西ベルリンに向かった。路上で話を聞いた。 「西に住む母親に会いに行く」という青年がいた。「デモで要求
広島カープ RCCカープ中継の日は中国新聞のラテ欄をチェック。その日の見どころなどが、普通に読むだけでなく「縦読み」でも見えてくるのです。RCCのカープ愛、すごいです。 中国新聞などのラジオ・テレビ欄(通称:ラテ欄)で、RCCがカープ中継を行う日に放送内容の紹介文を「縦読み」させる粋な小技を2014年には何度か披露していましたが、2015シーズンでも、開幕と共に新聞のラテ欄では「縦読みシリーズ」がスタートしていました。 開幕の日は、2015シーズンのキャッチコピー「常昇魂」! Photo @rccsports 写真は、開幕日のラテ欄。カープの2015年のキャッチコピーを、ラテ欄で縦読みできるように組み込まれています。 カープ愛伝わる、RCC野球中継のラテ欄 その日ならではのエピソードや登板予定のピッチャーの名前を入れ込んだり…とライブ感の伝わる、ラテ欄 縦読み。 4月1日は横浜スタジアムか
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