タグ

文化財に関するusataroのブックマーク (237)

  • 潤古屋敷遺跡:糸島で鎌倉時代の大溝発掘 あす現地説明会 /福岡 - 毎日jp(毎日新聞)

    usataro
    usataro 2011/12/04
    「糸島市潤の潤古屋敷遺跡で、鎌倉~戦国時代の地頭屋敷を囲む、一辺が約100メートルの大溝跡」「中国から輸入された陶磁器などの出土物から13世紀に造成され、15世紀に埋められた」
  • 志布志城跡に朝鮮古銭 / 西日本新聞

    志布志城跡に朝鮮古銭 2011年11月18日 00:43 カテゴリー:九州 > 鹿児島 志布志城跡から出土した「朝鮮通宝」。4文字が上、下、右、左の順番に並んでいる 鹿児島県志布志市志布志町帖(ちょう)の国指定史跡「志布志城跡」で、15世紀の朝鮮半島を支配した李王朝の銅銭「朝鮮通宝」1枚が出土した。過去に琉球王国の銅銭も出土しており、市教委は「アジアに開かれた港町として発展した志布志の歴史を反映する史料」と評価している。 志布志城跡は、志布志湾に注ぐ前川の河口付近にあり、シラス台地の高低差を生かして空堀を巡らせるなどした四つの山城で構成している。14世紀には既に城があったとされ、戦国時代には肝付氏や島津氏が支配した。 朝鮮通宝は李氏朝鮮時代に鋳造され、直径2・4センチ、厚さ1・5ミリ、重さ4グラム。市教委は2006年から4城の中心の「内城(うちじょう)」を発掘し、今年10月17日、敷地

    usataro
    usataro 2011/11/21
    「「志布志城跡」で」「朝鮮通宝」1枚が出土」「2006年から」「「内城」を発掘」「敷地北側で朝鮮通宝を見つけた。現場は盛り土された平地」
  • 文化審答申:国史跡82件に 石清水八幡宮境内を指定へ /京都 - 毎日jp(毎日新聞)

    usataro
    usataro 2011/11/19
    「石清水八幡宮境内」「国史跡に指定」「八幡市教委の発掘調査でも護国寺跡や坊舎跡などの遺構を確認」
  • 北陸初、清水町に中世の木造五重塔跡 【2001年10月26日】 10年前のきょう 福井のニュース :福井新聞

    usataro
    usataro 2011/11/19
    「清水町」「片山」「真言宗寺院・片山真光寺跡から五重塔跡」「建立時期は鎌倉時代」「南北朝から室町時代に焼失」「同寺は朝倉家家臣、富田長繁の重臣で増井甚内助が守っていた」
  • 中世・南都の暮らしに迫る - 奈良市埋文センター、来月28日まで特別展|奈良新聞デジタル

    この記事の残り文字数:530文字 この記事は社会ジャンルの有料記事です。 続きをご覧になりたい方はログインまたは会員登録をお願いします。 ログインして続きを見る 初月無料で今すぐ見る (会員登録画面へ)

    中世・南都の暮らしに迫る - 奈良市埋文センター、来月28日まで特別展|奈良新聞デジタル
    usataro
    usataro 2011/11/19
    「秋季特別展「南都の繁栄」が」「市埋蔵文化財調査センターで」「12月28日まで」「平安〜室町時代の遺物約300点」「室町時代の卒塔婆や薄板に経が書かれた柿経も」
  • 国史跡新たに2件 : 大阪 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    usataro
    usataro 2011/11/19
    「国史跡に」「烏帽子形城跡」(河内長野市喜多町)」「鳥坂寺跡(柏原市高井田)」「烏帽子形城は」「畠山氏が治め」「応仁の乱前後から激しい戦い」「1584年には豊臣秀吉も」
  • 寺家遺跡を国史跡に 文化審答申 : 石川 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    旧松波城庭園は名勝 国の文化審議会による史跡や名勝などの指定答申で、県内からは、羽咋市寺家町の「寺家(じけ)遺跡」が国史跡、能登町松波の「旧松波城庭園」が国名勝に選ばれた。指定されれば、2009年度の「辰巳用水」「末浄水場園地」以来2年ぶりで、県内の国指定史跡は25件、国指定名勝は8件となる。 寺家遺跡(5万8000平方メートル)は8~9世紀にかけての古代の祭祀(さいし)遺跡。1978年、能登有料道路の建設時に発見され、銅鏡や焼土遺構、竪穴建物跡などが発掘された。 溝と柵によって規則的に配置された掘立柱建物を中心とする建物群は、祭事を管理していた施設とされる。刀やまが玉、土の馬などが出土していることが、国家も祭祀に関与していたと考えられるという。 「万葉集」などの文献には、この地域に「気太(けた)神宮」(現在の気多大社)が存在していたことを示す記述がある。実際、気多大社と寺家遺跡の距離は約

    usataro
    usataro 2011/11/19
    「羽咋市寺家町の「寺家(じけ)遺跡」が国史跡」「8~9世紀にかけての古代の祭祀遺跡」「能登町松波の「旧松波城庭園」が国名勝」「15世紀後半から16世紀にかけての中世の枯山水遺構」
  • asahi.com:580平方メートルを国史跡に追加-マイタウン島根

    usataro
    usataro 2011/11/19
    「2004年に国史跡に指定された「益田氏城館跡」(益田市)に約580平方メートルが追加」「三宅御土居跡内で、新たに地主や土地使用者が指定に同意した宅地2カ所と墓地3カ所が追加」
  • 里見氏の城跡、国史跡指定へ、稲村城跡と岡本城跡+(2/2ページ) - MSN産経ニュース

    usataro
    usataro 2011/11/19
    「房総半島南部の中世山城、稲村城跡(千葉県館山市稲)と岡本城跡(同県南房総市富浦町)が18日、国の文化審議会の答申を経て、新たな国史跡に指定されることが決定」
  • asahi.com:中世の屋敷跡発掘-マイタウン高知

    usataro
    usataro 2011/11/19
    「高知市神田で中世(鎌倉~室町時代)の屋敷跡を含む遺構」「御手洗遺跡」「少なくとも2棟の屋敷」「愛知、岡山県などの陶器のほか、中国産のわんなどの貿易品が出土」
  • 河北新報 東北のニュース/津波で流失の古文書復元 宮城・南三陸の神社保管8点

    津波で流失の古文書復元 宮城・南三陸の神社保管8点 復元された志津川西宮神社の「西宮大神宮神像札賦与免許状」(西宮神社提供) 「えびす神社」の総社である西宮神社(兵庫県西宮市)が5日、宮城県南三陸町にある「志津川西宮神社」から東日大震災による津波で流失した古文書8点をデジタルカメラの画像データから復元したと発表した。今後、志津川西宮神社に届けられる予定。  復元されたのは、えびす様が描かれた札の配布を許可する「西宮大神宮神像札賦与(ふよ)免許状」などで、1742~69年に西宮神社から発行されたもの。志津川西宮神社の別当を務める川村家に保管されていたが、津波で全て流失。昨年6月に調査目的で撮影されたデータから、古文書修復の専門業者が紙質やしわなどを忠実に再現した。  西宮神社の宮司吉井良昭さん(60)は「江戸時代にえびす様信仰が全国に伝わったことを示す貴重な文書だった。復元したものをお返

    usataro
    usataro 2011/11/06
    「えびす様が描かれた札の配布を許可する「西宮大神宮神像札賦与免許状」」「1742~69年に西宮神社から発行」「調査目的で撮影されたデータから」「専門業者が紙質やしわなどを忠実に再現」
  • 仏教・神道美術300件が集合、滋賀県で最大規模の展覧会実施中

    寺社仏閣が多い場所というとまず京都、そして次に奈良を思い浮かべる人が多いはず。実際、京都ではちょっと歩くとお寺や神社を見つけることができ、一般非公開のところも合わせると数え上げることが困難なほどの数になります。 しかし、宗教美術の観点では近江国、つまり滋賀県もなかなかのもの。 現在、この滋賀県にある仏教美術と神道美術のうち300件以上を集めて展示するという過去にないレベルのイベント「神仏います近江展」が開催されています。 神仏います近江展 http://www.biwako-visitors.jp/shinbutsu/ この展覧会は信楽町のMIHO MUSEUM、大津市瀬田の滋賀県立近代美術館、大津市御陵の大津市歴史博物館という3ヶ所の博物館が連携して行うもの。 MIHO MUSEUMのテーマは「天台仏教への道」。近江に伝わる仏像、仏画、神像などを中心とした展示で、「大乗仏教とともに拡大深

    仏教・神道美術300件が集合、滋賀県で最大規模の展覧会実施中
    usataro
    usataro 2011/10/30
    大津では神像がずらりと並んで圧巻。塩津港の祭祀遺跡関連の展示もあって、非常に充実してた。
  • 唐津城跡:城内から最古の石垣 謎解明へ、築城以前の状態示す遺構 /佐賀 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇豊臣政権の朝鮮出兵への考察にも 唐津市教委は25日、唐津城跡の文化財調査で、中段広場の天守台下から、築城以前のものとみられる石垣が見つかったと発表した。築城以前の状態を示す遺構が発見されたのは初めて。近くでは、文禄・慶長の役(1592~1598年)のため名護屋城に布陣した豊臣秀吉が家臣らにしか使用を許さなかった金箔(きんぱく)瓦の破片4点が出土しており、市教委は櫓(やぐら)や御殿など、秀吉が関係する重要建築物があった可能性があるとみている。 市教委によると、石垣は地下1・5メートルで8月下旬に見つかった。残っていたのは高さ3・5メートル、延長5・7メートルで、50センチ~1メートルの石20個を確認した。 これまでに見つかった最古の石垣は唐津城築城(1602年)時期のものだったが、今回の石垣は1591年の名護屋城築城から唐津城築城までの間に造られたとみられる。 文禄・慶長の役では、周辺

    usataro
    usataro 2011/10/26
    「本丸文化財調査」「中段広場の天守台下から、築城以前のものとみられる石垣」「近くでは」「金箔瓦の破片4点」「櫓や御殿など、秀吉が関係する重要建築物があった可能性」
  • asahi.com(朝日新聞社):金剛峯寺の仏像は「快慶作」 高野山霊宝館が発表 - 文化

    印刷 執金剛神立像=高野山霊宝館提供右上から左下に向けて「阿弥陀佛」の文字が見える=高野山霊宝館提供  和歌山県・高野山にある金剛峯寺が所蔵する仏像「執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう)」(高さ149センチ)の内部に、鎌倉時代を代表する仏師、快慶(生没年不詳)の作であることを示す墨書銘が残っていることが分かった。山内の文化財を調査・展示している高野山霊宝館が21日発表した。  館内に展示していた木造の像が9月、台座とつながっている左足首の部分で折れ、倒れて破損したのが調査のきっかけ。数十年前に補修で使った接着剤が劣化したのが原因とみられる。  内部の空洞にファイバースコープを入れたところ、首のあたりに「アン」と読む梵字(ぼんじ)1文字と、漢字の「阿弥陀佛」4文字が続けて墨で書かれているのが見つかった。快慶は初期の作品に同じ墨書銘を入れており、筆跡も似ているため、快慶作と判断した。  

    usataro
    usataro 2011/10/22
    「金剛峯寺が所蔵する仏像「執金剛神立像」の内部に」「快慶の作」「を示す墨書銘」「高野山霊宝館が21日発表」「首のあたりに「アン」と読む梵字」と「「阿弥陀佛」」
  • asahi.com:再現架橋-マイタウン長崎

    usataro
    usataro 2011/09/29
    「「旧出島橋」の再現架橋について、2016年度中の完成を目指す整備計画」「河川法で橋脚の本数が制約」「「旧橋の復元とはならないが、資料をもとに構造や外観を検討したい」
  • asahi.com(朝日新聞社):日付入りの大刀出土 暦使用の国内最古例か 福岡 - 文化

    印刷 元岡古墳群から出土した鉄製大刀。裏側に干支や日付が刻まれていた(赤い線で囲まれた部分)=21日午前10時14分、福岡市役所、溝脇正撮影年と月日が入った大刀が見つかった元岡古墳群=福岡市西区、市教委提供  福岡市西区の元岡古墳群で、西暦570年とみられる「庚寅(こういん)」の干支(えと)と、「正月六日」の日付が刻まれた鉄製大刀(たち)が見つかった。福岡市教委が21日、発表した。年と月日を組みあわせて表記した古墳出土の刀剣類の発見は初めて。暦が使われたことを示す国内最古の例とみられる。  6世紀半ばに暦が伝来したとする「日書紀」の記述を裏付け、古墳時代の社会を解き明かす画期的な資料だ。  7世紀に造られた同古墳群G6号墳の石室内から8月末に出土した。長さ75センチの刀身の背の部分に「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□(1字不明、練か)」の19文字が、たがねで彫った文字に金や銀を埋め

    usataro
    usataro 2011/09/21
    「年と月日を組みあわせて表記した古墳出土の刀剣類の発見は初めて。暦が認識され、使われたことを示す国内最古の例」
  • 志賀直哉が売却後不明の仏像、早大博物館に : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    白樺(しらかば)派を代表する小説家・志賀直哉(1883~1971)が文豪・谷崎潤一郎(1886~1965)から譲り受けて自宅に置いた後、所在不明となっていた観音菩薩(ぼさつ)立像を、早稲田大會津八一(あいづやいち)記念博物館(東京都新宿区)が所蔵していることがわかった。 奈良市の志賀直哉旧居の復元を監修した呉谷充利(くれたにみつとし)・相愛大教授らが20日、発表した。 平安時代の作とみられる木像で、像高約95センチ。発表によると、1927年に谷崎が奈良市の古物商から購入した。その際、志賀も同行し、谷崎が買わなければ自分が買おうとしたほど、気に入っていたという。 谷崎が転居したのを機に32年に譲り受けたとみられ、随筆「早春の旅」には、仏師に依頼して左腕など後世の補作部分を外したと記している。戦後、生活難で売却したとされ、その後は所在不明になっていた。

    usataro
    usataro 2011/09/21
    「志賀直哉が谷崎潤一郎から譲り受けて自宅に置いた後、所在不明となっていた観音菩薩立像を、早稲田大會津八一記念博物館が所蔵」「戦後、生活難で売却したとされ、その後は所在不明」
  • 龍~なが 長崎新聞ホームページ:「松浦文書」「吉村組捕鯨文書」など県有形文化財に5件 県教委指定(9月17日)

    「松浦文書」「吉村組捕鯨文書」など県有形文化財に5件 県教委指定 県有形文化財に指定された「松浦文書」に含まれ、豊臣秀吉が初めて全国にキリスト教禁止を命じた「キリシタン禁制定書」 県教委は16日、平安時代後期から室町時代にかけ松浦半島を中心に活動した武士団・松浦党や、松浦党の有力豪族で後に平戸藩主となった平戸松浦氏に関する古文書「松浦文書」など松浦史料博物館蔵の4件と、江戸時代初期の西海捕鯨の実態を記録した生月町博物館・島の館蔵の「吉村組捕鯨文書」を県有形文化財に指定した、と発表した。 また、豊臣秀吉が1587年、全国に初めてキリスト教禁止を命じた県有形文化財の書跡「豊臣秀吉キリシタン禁制定書」(松浦史料博物館蔵)は、「松浦文書」の中に含まれることから単独指定を解除。これにより県が指定する有形文化財は141件となった。 県教委などによると、「松浦文書」は平戸松浦氏に室町時代以降に伝わ

    usataro
    usataro 2011/09/18
    「古文書「松浦文書」など松浦史料博物館蔵の4件と」「生月町博物館・島の館蔵の「吉村組捕鯨文書」を県有形文化財に指定した」
  • 光秀の坂本城の門か…大津の寺の表門 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    解体修理で、坂城の城門が移築された可能性が高まった聖衆来迎寺表門(2009年11月)=滋賀県教委文化財保護課提供 戦国武将の明智光秀(生年不明~1582)が築いた坂城の城門が、大津市比叡辻の天台宗「聖衆来迎寺(しょうじゅうらいこうじ)」に移築され、表門(県指定有形文化財)として使われている可能性が高いことが、県教委による表門の解体修理で判明した。 同寺は光秀の保護を受け、表門は坂城から移築されたとの伝承があったが、これまで裏付ける史料がなかった。関係者は「移築が確認できれば、石垣以外で坂城の構造物としては初めて」と期待している。 県教委によると、同寺は宗祖・最澄が延暦9年(790年)に建立した。 表門(横幅約5メートル、奥行き約1・6メートル)は、大小の柱4で支えられた「薬医門(やくいもん)」と呼ばれる様式で、老朽化で傾いたり屋根瓦が傷んだりしたため、県教委が2009年11月、約

    usataro
    usataro 2011/09/16
    「明智光秀が築いた坂本城の城門が、大津市比叡辻の天台宗「聖衆来迎寺」に移築され、表門(県指定有形文化財)として使われている可能性が高いことが、県教委による表門の解体修理で判明」
  • 「御神影」掛け軸、きょう一般公開 米子・八幡神社 鳥取 - MSN産経ニュース

    ■戦国時代末期の太刀も 鳥取県米子市の八幡神社で、江戸から明治時代に氏子らに開帳されていたとされる主祭神の誉田別命(ほむたわけのみこと)(応神天皇)の絵姿と、宮司家の先祖と伝えられる戦国時代の武士の存在を裏づける太刀が見つかり、15日の例大祭で一般公開される。 絵姿は縦2・8メートル、横1・3メートルの掛け軸に描かれ、白装束に弓矢を携えた出で立ち。赤や金などの彩色もはっきりしている。同神社には、かつて年1回の例大祭で「御神影」を開帳していたという記録があり、この掛け軸が公開されていたとみられる。 同神社は昨年から、古文書の調査を実施しており、2カ月ほど前に殿の奥を調べた際に、木箱に入れられた状態で発見された。内藤和比古宮司は「きれいな形で残されており感動した。御神影の掛け軸は、全国的にも珍しいのではないか」と話している。 太刀も同じ場所で見つかり、持ち主の身分を示す仕掛けが施されているこ

    usataro
    usataro 2011/09/15
    「鳥取県米子市の八幡神社で、主祭神の誉田別命の絵姿と、宮司家の先祖と伝えられる戦国時代の武士の存在を裏づける太刀が見つかり」