http://d.hatena.ne.jp/vr6ubqg/20060818/p6 悪いことはいいません。五日間ほど、はてなを、ネットを離れましょう。 vr6ubqgさんの言質は、客観的にみてはてなカラス共を喜ばせるに足るだけの必死さと前後文脈の不鮮明さとデリカシーの無さを確保していると思います。 気になった心配点としては、 ・凄い勢いで記事を書き、ブックマークにも言及している [関連:自分が「ああ、この人って余裕ないなあ」と思ってしまうネット上の振る舞い - ARTIFACT@ハテナ系] ・どうも、首尾一貫性を「家畜」「男性二次創作」に関する指摘に感じることが出来ない。もし、どうしても自分の意見が妥当と思えば、全はてなやkanoseさんと相容れないところがあってでも持論を展開すべきでは。kanoseさんは、意見の反対、によって個人を貶めるようなくだらない人物ではない筈。 ・自分の気持ちが
思えば共産主義の斜陽は官僚が人民を忘れ体制の維持それ自体を目的にしたことから始まる 官僚は国体の維持を言い訳に既得権益の保持に汲々とし人民の声に耳を傾けることはなかった それどころか異を唱えるものには「反革命分子」とレッテルを貼り「堕落した資本主義者」と批判した 多くの人民もまたそれに追従し少しでも体制を批判すれば「反革命的」と批判し密告した 人民なき共産主義は排除したブルジョワの地位に官僚と官僚に賄賂を贈り認可を得た企業を据えた新たなる搾取のシステムと堕した 革命の崇高な理念は堕落した体制を打倒せんとする真の革命者に反革命の烙印を焼き付けるために利用された 飢えて死ぬ人民は反革命的であったから死んだことにされた 仕事を与えられぬ人民は反革命的であったから仕事を与えられないとされた 体制に不備はないことにされていた 体制の不備を指摘することは反革命的であるとされたから 人民よ今こそ反革命的
「談合」というのは。話し合いとか打ち合わせとか、もともとそういった意味合いの言葉だった。いい談合もある。悪い談合もある。ところがいつの間にやらいい談合は「談合」と呼ばれなくなり、悪い談合だけが「談合」と呼ばれるようになった。また、同じ犯罪絡みでも、たとえば銀行強盗や要人暗殺をもくろむ場合ではなく、独占禁止法に抵触するような話し合いのみが「談合」と呼ばれる。 そういえば、「もくろむ」という言葉もすっかりイメージが悪くなってしまった。もともとは物事を企てたり計画を立てたりすることだったのに。
シンプルに「面白い」でくくっていいのかどうかわかりませんが、根強い人気を誇るジャンルに「エログロ」があると思います。「エロ」の部分については、人間の欲求にダイレクトに訴えるものとして、いまさら人気の理由を書く必要もないのですが、「グロ」という部分についてただの「恐いもの見たさ」で割り切れない感じがしています。 「ホラー」の中にも「エログロ」をテイストとして取り込んでいるものもありますが、コンテンツとして「見たい人」と「見たくない人」がはっきり、そして大きく分かれているジャンルでもあります。 「エロ」と「グロ」は、どちらも大変に肉感的なものであり、肉体に大きく関係している場合が多いです。そして何となくですが、「エロ」と「グロ」の間には「エロもグロも一緒」という大変ドロドロした領域があるように感じます。思春期に直接的な「エロ」を見た場合に、それを「グロ」として捉えてしまうことを考えても、それら
で、ですね。昨日はいーっぱいコメントをいただいたんですけど、 ソブリンさん 「卒倒しておいて」さん Koheiさん hatanaさん ユミリンさん の5人は、みんな一緒のIPアドレスでした。なんだろー? CATVだったから同一建物内はローカルアドレスで、グローバルアドレスは1個とかなのかな? でもそんな子作り推奨マンションとか住みたくないな(笑)。 hatanaさんの2回目のコメントのあたりで、あ、みんな一緒だ、と気づきました。で、日付が変わる直前に、「4/1」て記事に“追記の追記”として、アンテナ見てる人にだけはわかるように白い字で書いたんですけどね(RSSとかどうなんだろう?)。またいらっしゃったら、しらばっくれたままお相手して差し上げようと思ってたんですけど(趣味悪)、昨日の最後のコメント以来、お見えになっていないようです。 『ひぐらしのなく頃に』のアニメ版、主題歌が島みやえい子さん
「なぜ子供を作らなくてはいけないのか?」という記事にソブリンさんから長文コメントをいただきました。 一読に値します。あとululunさんもなんか言われてますよ。 追記:「卒倒しておいて」さんからも、ソブリンさんの後に長文コメントいただいてます。 人気記事だなぁ。 追記の追記:ところで、今日コメントの投稿をされているソブリンさん・「卒倒しておいて」さん・Koheiさん・hatanaさん・ユミリンさんは、すべて同一IPです。いやー、書き手の代わりに読者がエイプリルフールネタを出してくれる素敵ブログ。 REVの日記 @Hatena::Diary : ブログは玩具屋のカードゲーム大会 うまいなぁ。ぼくが書きたかった記事だなぁ、と思いました。1つだけ追加すると、ゲームだからこそ真剣になってやるほうが楽しめるんですよね、ってぐらいかな。 追記:「こどもたいかい」ってmixiとか? 早起きは三文の得だ。
例の記事についての反応は、「個人vs共同体」という対立軸で語れるらしい、ということがわかった。おー、なんだかそれは哲学の再発見? いや、すごく頭のいいひとたちが一生やり続けたようなことなんだから、そういうことを延々考えるのも楽しい作業なのに決まってるよ、と思う。 で、もちろんぼくは、個人寄り。というか、極セカイ系。ぼくの目指すところはきっとこんな。 「全ての人が独我論者である」ということへの気づき 一人一宗教 上記について、それぞれが勝手にやる なぜ「気づき」なのかというと、だって「すでにそうである」から、あとは気づくだけでよいと思うので。「一人一宗教」は、まぁ一人複数宗教でもいいんだけど、要するに、誰かに寄りかからず、誰かの仲介を入れず、やるなら直でやれ、ってあたり。「勝手にやる」は、「みんながそうあらねばならぬ」じゃ結局共同体だから。 で、かなり共同体寄りのひとの反応です。 http:
とネタにして笑う以外にも。 kmizusawaの日記 - 流行の話題(もしくは自分もあまり彼女を笑えない) http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060224/p1 こういった意見が珍しくないというのは確かに思う。 はあちゅう氏の発言からは、「発言したい欲望」によって、ただ単に突き動かされ、私はよく知らないんだけど何か言わなといけない!という衝動にかられているのを感じる。これも「ブログ」という場所があるからこそ加速している訳で、「ブロガーの病」だろう。 そして、発言のために参照されているのはテレビレベルで流される言論。 想像力はベッドルームと路上から - つーか「女系天皇問題」とか言ってないでとっとと「美少女天皇」を奉れよ!! http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060223/1140702869 そのような日常における選択の積み重
本格的な情報リテラシー教育、メディア・リテラシー教育を行う授業に出会ったのは、大学院の時だったマイスターです。 あるときの教材は、NHKかどこかで放映された、とあるドキュメント番組。 「トルコ大地震が起きた時、各国がどのように災害現場に支援を行ったか」を扱った、いたって真面目な番組でした。 最初に、災害現場(仮設村)での取材映像が流れて、それに関してスタジオのコメンテーター(ゲストの有識者を含む)がコメントをする、という構成でした。 授業の中で、この番組を丁寧に分析しながら見てみると、 ○日本の仮設村の映像は、雪が降ったり、雨が降ったりしているときのものだけ。日がささず、暗い天気の日の、室内の映像ばかりで構成されている。また、住居から水が漏れたり、住人達が寒さに凍えたりしている様子ばかりをクローズアップして撮影している。登場人物はみんな、しかめっ面の大人や老人。 それに対し、ドイツの仮設村
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