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ああ勘違いと知性のレベルが小学生に関するMidasのブックマーク (2)

  • 私が考える〈ランキン・タクシー氏「原発がっかり音頭」〉の問題点

    植松青児 @uematsuseiji 私は5/5のお祝いパーティや5/6の祝勝デモなどに「既に被害を受けた方々の姿が視野に入ってるの?」と違和感を表明し続けてきたけれど、そのパーティで、カウントダウン直後にああいう歌が歌われ、参加者にブーイングされもしない光景を見ると、やっぱりこうなるのか、という気持ちになりました。 2012-05-09 00:30:10 植松青児 @uematsuseiji それで、ランキンタクシー氏の問題の歌(「原発がっかり音頭」)について、解釈論っぽい議論が行われていましたが、私はというと、解釈以前?のところで、あの歌は大問題だと考えています。以下にそう考える理由を述べます。 2012-05-10 01:54:13

    私が考える〈ランキン・タクシー氏「原発がっかり音頭」〉の問題点
    Midas
    Midas 2012/05/13
    1)「全ての人が当事者」と言ってるバカに限って自らの部外者目線(率先し当事者と部外者を別けてる)に無自覚な典型2)歌は口ずさむ人全てを「当事者」化する。それが歌の力。故に歌は社会を変える。歌に「作者」はない
  • 何故『セブン』がバッド・エンドなのか - ゾンビ、カンフー、ロックンロール

    ※いきがかり上『セブン』『カサブランカ』『ドラゴン 怒りの鉄拳』『ガメラ3 邪神〈イリス〉降臨』のエンディングについて書いています。 デビッド・フィンチャー監督の出世作『セブン』は宗教がらみの深淵なテーマや徹底した後味の悪さも含め『羊たちの沈黙』以降のサイコホラーブームの中でも飛び抜けた存在として語られています。その『セブン』がハッピーエンドだったというブログエントリーが注目されています。 何故『セブン』はハッピー・エンドなのか http://k.onodera.blog.ag/index.php/k.onodera/00000000000000016134 要約すると、ジョン・ドーは憤怒の罪の犠牲者として死にたかったのに、ミルズはその敬虔なクリスチャン性を発揮し、他人の罪を引き受ける犠牲的で崇高な精神の元で引き金を引いたので、ジョン・ドーは決して「憤怒の罪」の犠牲にはならなかった。 サマ

    何故『セブン』がバッド・エンドなのか - ゾンビ、カンフー、ロックンロール
    Midas
    Midas 2012/04/04
    間違ってる。「好き」勝手な行動(君が代拒否)を自由とは言わない(自分探しがバカなのと同じ)。欲望「好きなだけ」を可能に(殺人{『殺すな』の拒否}を自由でなく)してるのが十戒。十戒が罪を規定しなければ自由もない
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