リアリティショウの話で何となく考えているのは「フィクションそのものを受容できない人」が一定数いるんだろうな、ということだ。「だってファンタジーって嘘のことでしょう?」と言ってみたり、司馬遼太郎の小説を本物の史実のように扱ったりする人も、程度の違いこそあれ、同根なのではないか。
韓国海軍の駆逐艦が海自機に火器管制レーダーを照射した事案では、日韓の言い分がことごとく食い違っている。 韓国側は、海自機が接近してきたため、レーダーではなく「光学カメラ」を向けたと主張する一方で、日本側は「火器管制レーダー特有の電波」を照射されたと主張。日本側からの呼びかけに応じなかった理由として「電波が弱かった」とする主張する韓国側にも、日本側「(電波が)微弱だったことはない」と反論している。 韓国メディアからは、そもそもの任務だった北朝鮮漁船の捜索のためには火器管制レーダーの使用はやむを得なかったとの見方もあるが、それでも韓国側の一連の対応は「失策」だとの声があがっている。 三次元レーダーと光学カメラは使ったが...? 防衛省は2018年12月21日、能登半島沖で20日に海自厚木基地所属のP-1哨戒機が韓国海軍の「広開土大王(クァンゲト・デワン)」級駆逐艦から火器管制レーダーを照射され
ツイッターで「人間には差別する自由もあると考えます」という発言が話題になっている。 ツイッターのことで、当該発言のみを貼ると「切り取り」などと批判される恐れがある。かといってタイムラインを全部貼り付けるわけにもいくまい。山崎 雅弘@mas__yamazaki さんのこちらのツイートからさかのぼると全容が辿れそうなので、引用をお許しください。 「(続)」とあるので一応最後まで読んでみたが、最初から最後まで一貫して自分を「差別するかしないか選べる側」に置いているのがすごい。自分が理不尽な差別で苦しんだり惨殺されるという想定が思考にない。そして「表現内容への批判」と「差別という行為への批判」の違いを無視して同一視している。 pic.twitter.com/TDksYUVGvw — 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) 2017年9月10日 こういった言説に対しては、きちんと反論しておく必
高須クリニック院長である高須克弥氏のネット上での発言が波紋を呼んでいる。 もともと右派よりの発言でネットで話題になっていた高須院長だが、ちょっと今回ばかりは状況が違うようだ。なぜなら、今回は高須院長がナチス賛美を繰り返しているという問題だからだ。 これを問題視するネット民の一部からは、高須克弥氏が院長を務める「高須」クリニックと「ナチス」をひっかけて揶揄するツィートも拡散しはじめているのだが、話はよくあるネットの炎上にとどまらない可能性もある。 現在アメリカはネオナチやKKKなどの白人至上主義団体が、その反対派に対しておこした死者の出た暴力事件で騒然としており、それをあたかも擁護するような態度に出たトランプ大統領とともに、全米から批難を浴び一部の右派を除いて、完全に四面楚歌の状態である。 このような国際常識に照らし合わせれば、高須克弥氏の一連のナチス賛美の発言は日本国内だけではなく国際的に
クジラックスのマンガの件。 あんなに恐ろしいものが出回っていて、それが性欲処理の道具として一定の人気を獲得していることも怖い。 幼い子供がレイプされるのがそんなに楽しいのか。命の危険に身を震わせている姿がそんなに興奮するのか。 もしそう感じたとしても、そう感じてしまう自分の感性を正しいと思えるのか。 ギリギリのところにいる変態に「こんな方法があったんだ!」と思わせてしまう恐怖はないのか。 自分に娘がいるから余計に思うのかもしれないけど、こんなに普通のことでさえも理解してもらえないことが本当に怖い。 人間には色々いるのは分かっているつもりだけど、到底受け入れられない奴等もいるみたいだ。 実際に被害にあった子がどれだけ苦しんで、これからも苦しみ続けるのか、想像しただけでも死にたくなる。 ああいうマンガを描きたくなってしまう作者には悪いけど、表現の自由ならば、責任も果たさないとね。クソみたいな作
国会ウォッチャーです。 法務委員会は予想通り、不信任案でいったん休憩。本会議の開催は大島さんの日程の問題で、衆院通過は来週にずれ込む模様。参院日程を考えると、延長が見えてきました。 さて今朝の朝日ですが、やっと加計学園関係で内部文書が出てきましたね。今朝の玉木雄一郎議員の農水委員会質疑の中で、松野博一文科相も存在の可能性は認めて、書いてあるやり取りが行われたこと自体は認めているもよう。菅官房長官は、「誰が作成したかもわからない、こんな意味不明なものにいちいち政府は答えない」とか抜かしてたけど、松野さんが内容は大筋で認めちゃってるからなぁ。これは、多分内部リークだけど、この文書は森ゆうこ議員、宮崎岳志議員らが要求してた、内閣府、文科省、農水省の内部でのすり合わせの段階の資料なわけだけど、さっさと出さないからうそつきが発生するという話。 今朝の玉木雄一郎議員質疑(文部科学)大臣ご指示事項との文
北条かやについて書くと、大半の人は賛同してくれるのだけれど、わずかな人は「まだやってるのか」「しつこい」「どっちもどっち」という言葉を投げかけてくる。それは非常に辛く、心を削り取られる。「もう相手にしない方がいい」ともよく言われる。 でも、私が相手にしないといけないのだ。なぜなら、彼女は「反論できない人を悪く言う」から。反論できる私が反論しないといけない。私が例えば死んだりして反論できなくなれば、彼女は喜んで私の批判や愚弄を始めるだろう。そういう人なのだ。 こんな記事をいちばん上にあげておきたくないので、できるだけ早いうちに次の記事を書こう、と自分に向けてせっついておく。 北条かやが新刊を出すという。2016年にインターネット上で私と雨宮まみさんによって厳しく批判され、言葉で対抗せずに自分の命を粗末に扱ったことで場を凌いだ(らしい)彼女が、「インターネットで死ぬということ」という、また「死
タイトルは表現の問題です。 日本維新の会 衆院選で長谷川豊氏を擁立へというニュースが流れ込んできてかなり驚いてる。長谷川豊氏といえば透析患者「殺せ」とブログで発言したことで物議をかもしたのだが、あくまでこれを「表現の問題」と捉えてる人が多いことにだ。 長谷川さんが、ブログで伝えたかったのは、健康であるための自己管理の重要性と増え続けつ医療費によって、国民皆保険制度の破綻を回避する事にありましたが、表現が不適切であり多くの人を傷つけました。人間誰しも間違いあります。維新の会は間違いを反省し再チャレンジする人は認めて参ります。— 松井一郎 (@gogoichiro) 2017年2月5日 だが決してこれは表現の問題などではないし、長谷川豊氏は「間違いを反省」どころか何が間違いかも認識してはおられないのである。表現の問題でなければなんの問題だったのか。問題点は2つだ。 数字をろくにみてないこと 健
先日、週刊文春の記者の方から連絡があった。彼女が言うには、千葉大学医学部生3人による女性暴行事件で、容疑者のうちひとりが僕の小説『ぼくは愛を証明しようと思う。』や原作を提供した同名のコミック、また、メルマガ『週刊金融日記』などに書かれている「恋愛工学」の影響を受けた、という情報を何らかのソースから得たそうだ。 そして、その記者の方は、膨大なメルマガのバックナンバーなどから、そのような性犯罪を誘発する恐れがあるとされる文言を大量に抜き出し、私に送付してきた。 まだ、どのような記事になるかわからないが、出版される前に、僕の考えを書いておこうと思う。論点は3つある。 1.表現の自由 まず、そもそも表現の自由がある。殺人犯がミステリー小説を読んでいたからといって、ミステリー小説が殺人を誘発した、ということにはならない。聖書にも強姦や殺人の話は出てくるが、聖書が危ない本ということにはならない。それは
統計データ分析家。元立教大学大学院ビジネスデザイン研究科兼任講師。1951年生まれ。東京大学農学部農業経済学科卒業。同大学院単位取得済修了。(財)国民経済研究協会研究部長、常務理事を歴任。現在、アルファ社会科学(株)主席研究員。インターネット上で「社会実情データ図録」サイトを主宰。 本川裕の社会実情データ・エッセイ 本連載では、統計データの動きを独自に整理、グラフ化することによって、意外な社会の動きやわが国の状況を追って行きたいと考えている。もっとも堅苦しいものではなく、趣味的な個人の嗜好も含めたざっくばらんなものとしたい。体系的な思想というよりエッセイ形式で人間習俗(モラル)を観察したモラリストの伝統に連なれればと考え、連載タイトルにエッセイという用語を含めた。 バックナンバー一覧 米国大統領選の結果、予想に反して、クリントン候補を破ってトランプ候補が勝利した。 統計データ分析家を自称す
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