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⇒negative_dialektik はてな村出張所 ⇒negative_dialektik はてな村出張所 最近、千数百年の長きにわたって、日本史の記述の中で、悪者扱い逆臣扱いされてきた、蘇我氏の名誉回復につながる様な研究が進んでいます。 進歩的な外交をしようとした蘇我入鹿らに反対する、中大兄皇子と中臣鎌足らが共謀して、クーデターによって入鹿らを殺害して、それを正当化するために、『日本書紀』の記述を改竄し、名前までも蝦夷のような印象の悪い名に変えて、蘇我氏は逆臣だった、という「正史」を残した、という学説が出てきています。 私はこれを大変興味深い学問的研究だと思いますが、これをしも、「おぞましい歴史修正主義」と人は呼ぶのでしょうか。 この事例からも想像できるように、「正史」というものは、強者・権力者が書き残すものです。しばしば自分の都合のいいように歪曲しながら。そこに書き記されている歪み
「黎明(れいめい)の山河『薦野(こもの)の戦記』」という500ページ余りの本がある。福岡県古賀市の山あいにある旧薦野村在住・出身者が、それぞれの戦争体験を寄せた手記集で、地区の公民館が昭和59(1984)年に発行した。その154ページに、こんな文章が載っている。 《敵兵捕獲しては穴を掘って銃殺する事何人と数えきれない程です。……戦火の合間には町、或は民家へ巡視警備に出動致し、食料の徴発其の他支那人の女美人とも接し本当に楽しい事も有りました。本当に支那の婦女は美しいです。素敵!尚まだ色々と有りますが此の位にして置きます》 書いたのは昭和12年8月に中国に出征した元陸軍兵長。大正2(1913)年生まれだから、戦記発刊時は71歳である。その老人が半世紀近い昔を振り返り、思わず「素敵!」と身をよじらせるほどの快楽が日中戦争にはあった。紛れもなくこの文はそう告げている。 編集した北崎宗一さん(67)
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