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現代詩手帖特集版『シモーヌ・ヴェイユ――詩をもつこと』(今村純子責任編集、思潮社)が刊行されました。私も執筆と編集を分担しました。(定価1800円+税、ISBN978-4-7837-1868-0 C0098 E1800E 2011年12月25日発行) 辻井喬、今福龍太、港千尋、最首悟、川本隆史、生田武志、栗田隆子、河野信子、十川治江の各氏をはじめ、充実の執筆陣です。シモーヌ・ヴェイユの初期哲学論考は本邦初訳。都内の大書店には出版社から直接納本し、今日か明日ぐらいから並ぶはずです。取次への出荷は年明けになりますので、各地の書店店頭では1月前半から購入できるようになります。アマゾンその他、オンライン書店での註文も年明け以降になりそうです。よろしくお願いいたします。 ※急ぎの場合、恐れ入りますが、本日12月28日(水)中に思潮社に電話で御注文ください(思潮社は12/29-1/4まで休業。この間は
哲学、思想の世界で、今日一般的によく知られている女性はほとんどいない。哲学に精通していない人に、シモーヌ・ヴェーユ("ヴェイユ"とも訳されるが、ここではヴェーユとする)の名を出してみたところで、知っている人はまずいない。哲学科の学生でも知らない人が大半かもしれない。だが、ヴェーユは私にとっては衝撃的な思想家である。反戦の抗議運動でハンガーストライキを行い、34歳という若さで亡くなったことが影響しているのかもしれない。いずれにせよ、彼女の書いた言葉は、信じがたいが紛れもなくすべて30代前半までに書かれたものだ。 ヴェーユが生きたのは20世紀前半、激動と戦争の時代である。ヴェーユはパリの高等師範学校で哲学のアグレがシオン(フランスの1級教員資格)を取得し、リセ(日本での高等学校)の教師となる。彼女はこの教職を中断し、労働階級体験のために、工員として工場労働者となる。この後、スペイン市民戦争に参
フランスの活動家=思想家、ヴェイユ論。釜ヶ崎に来る前後、ヴェイユを熱心に読んでいた。そして35才になったとき、とうとうシモーヌ・ヴェイユの死んだ歳を越えたんだなあと思って、それまで読んでなかったものも含めて集中的に読み返した。その時の印象がこの文章の出発点になっている。それと同時に、「c.s.l.g」の結果を社会的問題に適用したらどうなるかという試みでもあった。 ついでながら、もしシモーヌ・ヴェイユが現代日本に生きていたら、かなりの確率で釜ヶ崎に来ていただろうが、その場合われわれはきっと「あの人、すごい人なんだけど、ちょっとずれてるよねー」(あるいは「ずれてはいるけどすごい」)と評したことだろう。そこら辺が「追跡不可能で追跡不必要」なのだと思う。 この文章の結末は、ただちに「文書・2001年2月7日」に接続している。 シモーヌ・ヴェイユ(1909~1943)はベルナノスへの手紙(1938年
たまたま「小熊英二さんに聞く 戦後日本のナショナリズムと公共性 『七人の侍』をみて、『これが戦後思想だな』と思った」(参照)をざっと読んで、脱力した。最初に断っておくが、小熊英二を批判したりくさしたいわけでは毛頭ない。と、うんこ投げの防御を張っておく。 まず、このインタビューなんだろ?と思ったらブントなわけね。もうそれだけで、脱力する。が、ま、読んでみるかぁ。と読んで、さらに脱力。よくわかんないですぅ。 私は「〈日本人〉の境界」はざっと読んだが、「〈民主〉と〈愛国〉」は読んでいない。大池文雄とかに触れているのだろうか?だったら、ちと読んでみたい気もするけど、「〈日本人〉の境界」の感じだったら、なんか読むだけ無駄だなという印象がある。 インタビューを読んでさらに、小林よしのりに対抗している部分があるらしいと知ってさらに関心を失う。 意外に吉本隆明への言及が多いのに不自然というか変な感じもした
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