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外交と戦前に関するcastleのブックマーク (2)

  • 東亜協同体論 - Wikipedia

    三木清 / 日中戦争と東亜協同体の「世界史的意義」を主張した 東亜協同体論(とうあきょうどうたいろん)とは、1930年代末(日中戦争初期)の日で、東アジア地域において民族・国家を超克する協同体の建設を主張した政治理論・思想のこと。当時の近衛文麿首相のブレイン集団である昭和研究会を中心に構想され、三木清・蠟山政道・尾崎秀実・新明正道・加田哲二・杉原正巳らが主要な論者となった。 時代背景[編集] 日中戦争が開始された翌年の1938年には早くも戦局が「泥沼化」し、早期の戦争終結の見込みが薄くなったことから、第1次近衛声明(「爾後蔣介石政府を対手とせず」 / 1月16日)に代表される当初の政策を見直そうとする気運が生じた。これにともない同年11月3日には戦争目的を「国民政府抹殺」でなく「東亜新秩序建設」とし、新秩序建設に同意する限りで国民政府を承認する旨の第2次近衛声明がなされ、さらに翌12月2

    東亜協同体論 - Wikipedia
    castle
    castle 2013/06/27
    「蒋介石政権からは全面的拒否に」「近衛新体制運動が大政翼賛会発足にすり替えられてしまうと、協同体論も大東亜共栄圏構想に変質し、当初の「中国ナショナリズムとの真剣な思想的対決」という問題意識は失われ」
  • 昭和研究会 - Wikipedia

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    castle
    castle 2011/09/09
    「近衛文麿の政策研究団体~主宰者は、近衛のブレーンの一人であった後藤隆之助」「東亜協同体論や新体制運動促進などを会の主張として掲げ、後の近衛による「東亜新秩序」「大政翼賛会」に大きな影響を与える」
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