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西田幾多郎に関するcastleのブックマーク (2)

  • 西田幾多郎 愚禿親鸞

    余は真宗の家に生れ、余の母は真宗の信者であるに拘(かかわ)らず、余自身は真宗の信者でもなければ、また真宗について多く知るものでもない。ただ上人(しょうにん)が在世の時自ら愚禿(ぐとく)と称しこの二字に重きを置かれたという話から、余の知る所を以て推すと、愚禿の二字は能(よ)く上人の為人(ひととなり)を表すと共に、真宗の教義を標榜し、兼て宗教その者の質を示すものではなかろうか。人間には智者もあり、愚者もあり、徳者もあり、不徳者もある。しかしいかに大なるとも人間の智は人間の智であり、人間の徳は人間の徳である。三角形の辺はいかに長くとも総べての角の和が二直角に等しというには何の変りもなかろう。ただ翻身(ほんしん)一回、此(この)智、此(この)徳を捨てた所に、新な智を得、新な徳を具(そな)え、新な生命に入ることができるのである。これが宗教の真髄である。宗教の事は世のいわゆる学問知識と何ら交渉もない

    castle
    castle 2023/12/31
    「上人が在世の時自ら愚禿と称しこの二字に重きを置かれたという話から、余の知る所を以て推すと、愚禿の二字は能く上人の為人を表すと共に、真宗の教義を標榜し、兼て宗教その者の本質を示すものではなかろうか」
  • 善の研究 (西田 幾多郎)

    石川県生まれ。1896(明治29)年に金沢の第四高等学校講師、次いで教授となった。1911年(明治44)に発表した「善の研究」で、その西洋哲学と充分比肩しうる独創性で日の思想界に衝撃を与える。その後も西田は「善の研究」の〈純粋経験〉の立場に長年にわたり厳しい批判を重ね、ついに〈場所の論理〉に到達する。その後、マルクス主義の台頭を睨みつつ〈歴史的現実世界〉の問題と取り組み、〈場所〉を〈弁証法的世界〉として具体化し、〈絶対矛盾的自己同一的世界の自己限定〉として〈歴史的実在〉の世界をとらえる立場を展開した。 近年になって脱構築の流れに乗って世界的な再評価が進んでいる哲学家の一人である。(nns) 「西田幾多郎」

    善の研究 (西田 幾多郎)
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