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廣松渉に関するcastleのブックマーク (3)

  • 小室直樹「日本人のための宗教原論」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    徳間書店 2000年6月 小室直樹氏は“文明開化の人”だと思う。変な言いかたかもしれないが、学問の神髄は西洋にあるので、学問を志すものは徹底的に西洋に、それも一流の西洋に学ばなくてはいけないとする人とでもいうような意味である。 だから経済学でいえば、ケインズやサミュエルソン、社会学でいえばマックス・ヴェーバー、デュルケイム、パーソンズといった人々を徹底的に学んで自家薬籠中のものとするという方向である。小室氏のでケインズやヴェーバーの説について批判的に言及されているのを見たことがない。 書はキリスト教、仏教、イスラム教、儒教をとりあげた宗教原論であるが、それが依拠しているのはヴェーバーの宗教社会学なのではないかと思う(わたくしは「プロテスタンティズムの倫理・・」以外のを読んでいないので判断する資格はないが)。橋治氏の「宗教なんかこわくない!」を読んでいて書を思い出した。以前に買って

    小室直樹「日本人のための宗教原論」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    castle
    castle 2011/11/14
    「小室氏によれば、宗教は「畢竟、このうえもなく恐ろしいもの」。ところが日本人は宗教を「自分や周囲の人間に幸せをもらたしてくれるなにやら素晴らしいものと独り合点している」」「イデオロギーが恐ろしい」
  • 廣松渉の哲学 : 池田信夫 blog

    2009年10月31日11:12 カテゴリ 廣松渉の哲学 70年安保のころの学生運動が残した知的な遺産はほとんどないが、当時の教祖的な存在だった廣松渉だけは、戦後の日を代表する哲学者として歴史に残るだろう。当時、彼の講義には、他大学からも多くの聴講生がやってきて、いつも500人の大教室に立ち見が出た。その講義も、原稿なしで古今の文献を詳細に引用する濃密なもので、1回の授業で1冊分の内容があった。 書は、廣松のデビュー作(卒業論文!)である『世界の共同主観的存在構造』(第1章)を中心にして、彼の代表的な哲学論文を集めたものだ。彼のわかりやすい講義とは違って、文章は一見むずかしい漢字が多くて読みにくいが、彼の認識論の基である「四肢構造」はきわめて単純で、いわばそれを公理系として展開する数学の論文のように書かれているので、基的な図式が頭に入ると意外にわかりやすい。 廣松はマルクスの研

    廣松渉の哲学 : 池田信夫 blog
    castle
    castle 2009/10/31
    「彼の認識論の基本である「四肢構造」はきわめて単純で、いわばそれを公理系として展開する数学の論文のように書かれている」「行動経済学が「認知構造」から再出発するとすれば、認識論の基礎的な勉強は不可欠」
  • 認識の四肢的構造連関と物象化 (廣松渉): 試稿錯誤

    「ヨーロッパの実体主義に対してアジアが潜在的に育んできた「関係主義」の思想を掘り起こし、それを体系化したのが廣松渉の世界観である」(野家啓一)。 廣松渉著作集(岩波書店)が中国語に翻訳されたのを記念して南京大学で行った野家啓一の講演『広松哲学の成立過程』が雑誌『情況』(情況出版)2004年7月号特集「今、なぜ廣松思想なのか」に掲載されている。この講演から廣松哲学の核である「認識の四肢的構造連関」と「物象化」に係る部分を引用する。この講演のなかで野家は廣松の事的世界観や認識の四肢的構造という廣松哲学の核となる概念をスッキリ説明している。以下引用ページはことわりがない限り雑誌『情況』のページを示す。廣松は漢字変換できない文字、や難字をやたらに使うので正確な変換を行わない箇所があることをお断りしておく。 なお、廣松渉の主著は文庫として数冊が出版されている。廣松の哲学入門書は新書になっている。

    認識の四肢的構造連関と物象化 (廣松渉): 試稿錯誤
    castle
    castle 2008/04/28
    「「四肢的構造連関」ですが、これは主観と客観という2つの項が切り離されているのではなく、それぞれ「レアール real」 と「イデアール ideal」という二肢的二重性をもって構造的に連関し合っているあり方のこと」
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