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吉本隆明に関するcastleのブックマーク (9)

  • 吉本隆明さんの訃報を聞いて - 琥珀色の戯言

    スポニチアネックスの記事より。 文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉隆明(よしもと・たかあき)氏が16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日医科大付属病院で死去した。 87歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は未定。 今年1月に肺炎で入院し、闘病していた。長女は漫画家ハルノ宵子さん、次女は作家よしもとばななさん。 1947年東京工大卒。中小企業に勤めるが組合活動で失職。詩作を重ね、「固有時との対話」「転位のための十篇」などで硬質の思想と文体が注目された。戦中戦後の文学者らの戦争責任を追及し、共産党員らの転向問題で評論家花田清輝氏と論争した。 既成の左翼運動を徹底して批判。「自立の思想」「大衆の原像」という理念は60年安保闘争で若者たちの理論的な支柱となった。詩人の谷川雁氏らと雑誌「試行」を刊行し「言語にとって美とはなに

    吉本隆明さんの訃報を聞いて - 琥珀色の戯言
    castle
    castle 2012/03/16
    「経済学というのはつまり、支配の学です。支配者にとってひじょうに便利な学問なわけです~権力や指導力も欲しくないんだという立場から経済を見たら、どういうことになるんだということがとても重要(吉本隆明)」
  • 吉本隆明の言う「精神の速度」について: 極東ブログ

    正月ぼんやりとだが、「精神の速度」ということを考えていた。もはや遠く過ぎ去った時代のこととして吉隆明「完 情況への発言」(参照)をつらつらと読んでいるとき、三分冊(参照)の二巻(参照)と三巻(参照)の後書きが、2008年の2月と3月とで同一のテーマとして「精神の速度」だったことに気がついたのが、きっかけだった。 「情況への発言」は分冊の一巻が出たときに購入したが二巻は購入に失した。三巻はすでに宝島「情況へ」(参照)でカバーしていたので、私としてはいずれ二巻分だけ買えばよしとしてたが、完もあってもよいかと思いなおして購入しておいた。 「情況への発言」は吉隆明の同人誌『試行』の巻頭に連載されていた、その時点の政治状況への提言であった。結果として1960年代から1990年代の、あるいは昭和から平成の歴史も兼ねているともいえる。『試行』は直接購読以外に紀伊國屋書店でも販売されていて、私

    castle
    castle 2012/01/24
    「影響力のある最新の産業の循環の速度がその地域の人間の精神の速度を決定する~その地域の人間の精神の速度がその速度に違和感をもっていれば、その違和感によって大小様々な苛立ちを喚起するだろう(吉本隆明)」
  • 吉本隆明は「人を助ける」ミネラルである:日経ビジネスオンライン

    団塊世代からは異論もあるかもしれない。だが、思想家、吉隆明(よしもと・たかあき)という名前に、特別の思い入れを感じない人のほうがもう多い時代、だろう。 しかし「よしもとばななって、吉隆明の娘さんなんだよ、と言われても、それって誰? というような人が、今の僕にとって理想的な相手です」と、糸井重里氏は語る。 糸井氏が率いる「ほぼ日刊イトイ新聞」は、吉隆明の講演集CDブック『吉隆明の声と言葉。』を初め、数々のコンテンツを発売する。いま、彼の言葉を求めている人が多くいる、と糸井氏が確信している理由は何なのだろうか。 ――そもそも糸井さんが「吉隆明」と初めて出会ったのはいつだったのでしょうか。 糸井 高校のときに読んだ『芸術的抵抗と挫折』だったと思います。といっても、当時の僕には分かりっこないですよね。高校生が田舎でぶらぶらしてるくせに、どこに芸術的抵抗があって、どこに挫折があるんだよ、と

    吉本隆明は「人を助ける」ミネラルである:日経ビジネスオンライン
    castle
    castle 2008/08/20
    「(最後の講演会という)その驚きには2つがあるでしょう、と吉本さんご自身が言っています。1つは、まだ人前に出る生命力が残っていたのか。もう1つは、そんな歳になって、まだ新しいことを言えるのか、ということ」
  • 【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト

    日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。

    castle
    castle 2008/07/18
    「大衆の自然な生活感覚からできる限り遠い場所で原理的に考察しながら、しかし、そのことで大衆から遊離するのではなく、むしろ深く内在しうるような方向性が模索されなければならない」「任務完了というか用済み」
  • [書評]心とは何か(吉本隆明): 極東ブログ

    隆明の講演集「心とは何か-心的現象論入門」(参照)は副題に「心的現象論入門」とあるが、これは吉の心的現象論の入門という位置づけになると、おそらく弓立社の宮下和夫が考えたのだろう。ネットをうろついたら、その様子をうかがわせる話が「ほぼ日 担当編集者は知っている」(参照)にあった。 吉さんの仕事を大きく分けると、3つになる。筋は文芸批評家だが、「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「心的現象論」という3つの大きな仕事がある。 『心とはなにか-心的現象論入門』は、この「心的現象論」の最良の入門書だ。どこをとっても面白い。吉さんのを読んだことのないひとでもおもしろく読めるはずだ。心というとらえどころのない対象が、こんなにはっきりと考えられるのか、という驚きと、それでもなお、果てしなく残る不可思議さ。 優しい言葉のなかに宮下和夫の相貌のような気迫がこめられていると私は思う。この

    castle
    castle 2007/06/03
    「心的現象論入門ではなく、その最終の姿の近似。その最終の姿とは、私は、三木成夫が胎児のなかに人間身体の発生の動的な構造原理を見いだしたように、それに対応する心的領域における動的な構造原理だろうと思う」
  • 吉本隆明「心的現象論」、雑感: 極東ブログ

    明け方夢のなかで鶴見俊輔のような老人と長々戦後民主主義についての対話をしていた。対談者は三人いてもう一人は私より十歳くらい若い気鋭っぽい学者さんで、私の話に関心をもったり皮肉ったり、それでいて鶴見をあの時代のインフォーマントとして分析しているようなツッコミも入れていた。「結局、吉さんってどうなんでしょうね」みたいな話に流れ込んで三人は沈黙した。私が言いたかったのは、吉隆明の真価は、鶴見がある程度念頭においている吉のイメージとしての戦後から六十年代、そして七十年代に至る新左翼的な言論人よりも、七十年代の大衆的な資主義論から超資主義論、そしてセプテンバー・イレヴンまでの時事的な考察に現代的な意味があるのではないかという点だった。若い学者さんもそのスパンでの後期の吉思想を半分せせら笑うようでいながら、多少は考え込んでいるみたいだった。 と以上は夢で、おそらくもうしばらくすると夢の感触

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    castle 2007/06/03
    「血迷った粗大ゴミみたいな本」「人文学的な基礎訓練のない知的な人が無手勝流で書いた珍本を越えない」「吉本隆明のこの分野の思想の成果は「母型論」」「吉本は平和主義者の欺瞞に耐えられない、超時代な思想家」
  • 吉本隆明に教わったことは多いが - finalventの日記

    その一つは、人はただ生きているということか。そういうふうな表現ではなかったが。 これを読んで思い出した。 これ⇒黒崎夜話: 高い空 黒崎さんのエントリ構造がわからないので、あんこの部分は別の引用なのかもしれないが。 また、黒崎さんにはプロの意識があるようだが。 吉に戻る。 私が吉隆明のを読み出したのは、院を出てからの1983年ごろだ。今思うとネットの黎明期でもあった。 以前にも書いたが私は恩師?のつてで反核署名集めのパシリをしていた。ダイインとかにはさすがに行かなかった。なんとも言えない違和感だけがあり、たった一人取り残され、放り出され、いろいろ考えたなかで、この、「反核」異論、に出会った。 それから手に入る吉はかたっぱしから読んだ。 ネットで知り合った年上の人から吉の話もいろいろ聞いた。 戦後史の書かれない部分がうっすら見えてきた。 吉はこのの後書きで、当に書きたい

    吉本隆明に教わったことは多いが - finalventの日記
    castle
    castle 2006/07/29
    「本当に書きたい本はこれだけ、~、他は、糊口のため」「その羽を畳んでスーパーマーケットに買い物かごを抱えて日々生きていた」「大衆の一人と同じであることは偉大な思想家の最小条件ではなく最大条件」
  • http://www.asahi-net.or.jp/~rt8s-ymtk/shohyou_essey/kyoudougensouron.html

    castle
    castle 2006/06/13
    「自己幻想が文字どおり個人の幻想を意味していることは誰でもすぐにわかることだ。しかし、男女の間における幻想や家族の幻想を「対幻想」と呼び、共同幻想とも自己幻想とも区別した点は、吉本隆明の独創性」
  • 吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記

    ソフト・スターリニズムとは何かが以前なら感覚としてある層には共有されていた。おそらく、60年代安保から70年代安保への裂け目の感性を持つ人がいたからだ。それと、吉は関わらなかったが、ハンガリー動乱が日共的なもののの質的な解体を志向していることに気が付いた人がいたからだ。 今その感性が崩れ去ろうとしてのは、彼らが死期を迎えつつあるからか。しかし、その問いは歴史のなかに忘れ去れさられるに足る解体を遂げただろうか。 そうではないだろう。むしろ、その間隙のなかでべ平連的なものが、戦後民主化的なものと結合して※※的なものに結合して、歴史の感性を失った30代から20代の旧知的な特権に吸着される若者に見られるようになった。面白いことに、吉主義者の私に対する攻撃がこのあたりから起きてきたのはあまりに漫画的というか、俺も吉主義者なんかやってるからだよ、な。 この若者たちには60年代から70年代の間隙

    吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記
    castle
    castle 2006/06/13
    「それは本質的な敗北を含んでいる。意志は困難性のなかでしか現れないし、まあ、冗談みたいになるが小林秀雄が直感していたように悲劇としてしか現れない」「知識の生活的な批判性を覆い出したことだ」
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