これまでの言動から、私はタカ派の論客と評されていますが、大正デモクラシーの気風に満ちた家系で育ったので、保守リベラル(自由主義)の体質をもっています。戦時中の学校の軍事教練は一番苦手でよくサボっており、軟弱なる反軍分子でした。 後で詳しく述べますが、これは私の祖父・岡崎邦輔(一八五四~一九三六)の影響によります。岡崎邦輔は、明治期の伊藤博文内閣で外務大臣を務め、治外法権の撤廃や日清戦争後の下関条約の締結を行った陸奥宗光(一八四四~九七)の従兄弟に当たり、戦前期の主要政党の一つ、立憲政友会の重鎮でした。 一九三一(昭和六)年に満洲事変が起こり、岡崎邦輔はそれ以降、「軍は勝手なことばかりして、これでは政治がダメになる」と軍の批判ばかりをしていた、と母から聞いていたことが要因となっています。その祖父は、昭和十一年に亡くなりました。 昭和二十(一九四五)年八月の敗戦は、すでに物心がついた旧制中学校
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