1 思慮・分別の深いこと。 「大人びて―に物し給ふ人にて」〈栄花・根合〉 2 中世の歌学における美的理念の一。心情と言葉とが統一され、華やかさの中に寂しさを漂わす妖艶ようえんな余情美。心あり。→有心体 3 (狂歌を無心というのに対して)和歌のこと。 4 「有心連歌」の略。 5 仏語。物にとらわれた心。妄念。⇔無心。
「ヒトはどこからきてどこへかえっていくのか」 究極的には「科学」というのはこの問いに答えを出すための学問です。 この問いははじめは「哲学」という学問が考えていました。哲学という学問が成熟していくにしたがって、精神論的なものと科学的なものに別れていって、科学的な哲学は「科学」として個別の道を歩み始めます。 役割分担をしたことによって哲学ははじめの問いを「われわれの精神はどうやって生まれどうやって消えていくのか」を考え、「われわれの身体はどのようにして作られどうやって死んでいくのか」を考えればよいようになりました。 ですが、バラバラじゃ駄目なんです。両方の答えを一つまとめないと、答えを出したことにならない。本当は分かちがたい二つの問いなのに、今はあたかも二つの問いがあるようになってしまっているんです。究極的には二つをまとめないと本当の意味で答えが出たことにはならない。 今ある精神医学や脳科学な
この記事は英語から大ざっぱに翻訳されたものであり、場合によっては不慣れな翻訳者や機械翻訳によって翻訳されたものかもしれません。翻訳を改善してくださる方を募集しています。 オートノミー(英: Autonomy、独: Autonomie、日: 自律、中: 自主權)とは、元々「自分で自分に自身の法を与える者」という古代ギリシア語に由来する概念で、一般に、自主(性)・自律(性)・主体(性)・自治・自治権・自主権・自己決定権などを意味し、政治・道徳・哲学・心理学・医学・宗教・法・人事・人権など幅広い分野において、複数のそしてそれぞれ異なる、または複合的な意味をもつ基礎概念である。 日本の医療の分野では、「患者の自主権・自己決定」の文脈においてしばしばオートノミーを「自律性」と誤訳した上で「患者が自分を律して自己規制すること」などと「患者の権利を否定」するような正反対の意味で誤用されている。さらに、日
浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい
※記事下に、この漫画を収録してある同人誌の宣伝があります。 ここは悪いインターネットですね2、kindleで販売開始ました。 この、記事の「生きるのつらい人を殺してあげるマン!」を含む、2017年の同人誌、「ここは悪いインターネットですね2」をkidleで販売始めました。 amazon unlimitedでも読めます。 ここは悪いインターネットですね。2 作者: 小島アジコ発売日: 2018/11/29メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 表紙と裏表紙 収録内容 収録内容は 絶対殺すマンシリーズ(※試し読み) 生きるのつらい絶対殺すマン2 (※試し読み) 生きるのつらい絶対殺すマンと魔法少女 殺してあげるマンと野菜マン 生きるのつらい人殺してあげるマン(※この記事) リヴァイアさんと考えようシリーズ(※試し読み) 1億総スポーツ社会(※試し読み) いい人戦略(※試し読み)
尊厳死(そんげんし、英語: death with dignity)とは、人間が人間としての尊厳 (dignity) を保って死に臨むことであり、インフォームド・コンセントのひとつとされる[1]。安楽死や蘇生措置拒否 (DNR) と関連が深い。 尊厳死と安楽死(euthanasia)の区別は、国によって判断が様々である。例えば医師による自殺幇助(Physician-Assisted Suicide/PAS)は、米国では尊厳死に含まれるが、日本では安楽死に含まれるのが通常である[2][3]。日本国内に限った場合でも定義が混乱しているケースがある[2][3][4]。日本に絞って言えば、「尊厳死」は延命治療の停止(消極的安楽死)を指すとの見解が一般的である[2]。 末期がん患者など治癒の見込みのない人々が、クオリティ・オブ・ライフ (quality of life, QOL) と尊厳を保ちつつ最期
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年5月) 脚注による出典や参考文献の参照が不十分です。脚注を追加してください。(2018年5月) 出典検索?: "一般意味論" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 一般意味論(いっぱんいみろん、General Semantics)は、アルフレッド・コージブスキー(1879年 - 1950年)により1919年から1933年までの間に構築された教育的規範である。一般意味論は、言語学の意味論とは全く異なる。その名称は、コージブスキーが「意味反応」(Semantic Reactions)として研究していたものから来ている。意味反応と
もう次々に本を訳してまして、いまは意識の生成と心脳問題みたいな話の本をやっているんだが、心脳問題とかの本というのは絶対に面倒くさくならざるを得ない。どうして意識が生じるかを考えようとすると、外部からは意識があるかないかは今のところ漠然と推測するしかない状態で、一方自分は自分に意識があるかないか、たぶんわかるわけだけれど、でも意識が生じているかどうかを判断する時点ですでにそれを判断する意識を想定するしかなく、すると意識がどの時点でどうやって生まれたかは知りようがない。 さて、今回の本は、何やら画期的な枠組みなるものを持ち出して、ある心的状態は、ある脳の活性化状態と等価であるという仮定を置き、そしてあとは脳の状態がこうなっている、よって意識がある、みたいな話をしようとしているんだが…… それってインチキじゃね? 心的状態と脳の活性化状態が等価だと言った時点で、その活性化状態だとなんで意識がある
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "屠殺" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年3月) 屠殺業者とその召使 ヨースト・アンマンによる銅版画(16世紀) インドネシアの市場での鶏の屠殺(2015年11月) 屠殺(とさつ)または屠畜(とちく)(漢字制限され「と殺」や「と畜」とも)とは、家畜など動物を食肉・皮革などにするため殺すこと。「屠」は「ほふる」意。口蹄疫など伝染病が感染した家畜を殺して埋めることを殺処分と表現する。 同義語として〆る(しめる、一般に鶏や魚に対する表現)やおとす、または潰す(つぶす、一般に鶏や牛や豚に対する表現)がある。 概要[編集] 人
正月ぼんやりとだが、「精神の速度」ということを考えていた。もはや遠く過ぎ去った時代のこととして吉本隆明「完本 情況への発言」(参照)をつらつらと読んでいるとき、三分冊本(参照)の二巻(参照)と三巻(参照)の後書きが、2008年の2月と3月とで同一のテーマとして「精神の速度」だったことに気がついたのが、きっかけだった。 「情況への発言」は分冊本の一巻が出たときに購入したが二巻は購入に失した。三巻はすでに宝島「情況へ」(参照)でカバーしていたので、私としてはいずれ二巻分だけ買えばよしとしてたが、完本もあってもよいかと思いなおして購入しておいた。 「情況への発言」は吉本隆明の同人誌『試行』の巻頭に連載されていた、その時点の政治状況への提言であった。結果として1960年代から1990年代の、あるいは昭和から平成の歴史も兼ねているともいえる。『試行』は直接購読以外に紀伊國屋書店でも販売されていて、私
心理学やカウンセリング、精神医学、哲学などに関連した“キーワード・専門用語”のブログです。“心理学用語事典・学術用語事典”を作成します。2017年4月の時点で“1500記事以上”の用語を解説しています。 ジョルジュ・バタイユの『呪われた部分』3:蕩尽による享楽を排除する近代社会の経済‐労働構造 この項目は、[前回の記事]の続きになります。バタイユの著作『呪われた部分』は、経済合理性に偏った『限定された経済学』を補完・超克する『一般経済学(普遍経済学)』を構想している。タイトルにある『呪われた部分』とは何かということであるが、端的には経済合理性(利益獲得を目指す損得勘定)の価値判断の枠に収まらない『消費(蕩尽)・ハレ(祝祭)・宗教(神秘)・エロス(セクシュアリティ)・芸術文化』などのことである。 バタイユは人間の喜びや快楽の本質を『生産・蓄積過程』にではなく『消費・蕩尽過程』に見出しているの
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
少し前になるが進化論関連の本で面白かったのは、「働かないアリに意義がある(長谷川英祐)」(参照)だった。昨年末に出された本書は、出版社側の売りの戦略や表題のせいもあるだろうが、ネットの書評などを見ていると一種のビジネス書のように受け止められているふうもある。本書の説明でも会社組織や人間社会の比喩がふんだんに使われていることからすると、それもあながち誤読と言えるものでもないだろうが。 本書のテーマは、ハチやアリなど繁殖と労働を分離しコロニーという集団を形成する真社会性生物であり、その問題意識、つまり表題の「意義がある」とする意義についてだが、概ね進化論的な枠組みで問われる。 進化論といえば当然、ネオダーウィニズムを指すのだが、ネオダーウィニズムの成否を問うというより、ネオダーウィニズムというのは「意義」を説明する叙述の方法論であって、その説明の妥当性が、真社会性生物のありかたにおいて問われる
仏教用語での意識(いしき、サンスクリット語: मनोविज्ञान、mano-vijñāna)とは、意(mano)+ 識(vijnana)の熟語であり、六識の一つ[1]。意根(mano)によって起こり、法境を了別する心王(しんのう、心の主たるもの)をいう。これに4種ある。 独頭意識 他の五識とともに起こることなく、独り生起して広く十八界を縁じる。 五同縁意識 他の五識と同時に起こって、ともにその境を縁じ、明了依となる。心の現量。 五倶意識 五識と同時に起こって五境を縁じ、傍らに十八界を縁じる。 五後意識 五倶意識の後念に生じて、前念の五境の境を縁じて、他一切法を縁じる。 「識」は心王を表し、意識は、五感の眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)の前五識と区別される第6番目の心(第六識)である(処も参照)。 よく自覚的という意味で「意識する」ということがいわれるが、それは仏教で
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