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物語と3Toheiに関するcastleのブックマーク (16)

  • 3ToheiLog: ときには山羊のように

    ときには山羊のように 中原中也の「山羊の歌」を通勤中に読んでいた。 まあ、それくらいに疲れていたということか。 山羊の歌:憔悴より さてどうすれば利するだらうか、とか どうすれば哂はれないですむだらうか、とかと 要するに人を相手の思惑に 明けくれすぐす、世の人々よ、 僕はあなたがたの心も尤もと感じ 一生懸命郷に従つてもみたのだが 今日また自分に帰るのだ ひつぱつたゴムを手離したやうに これは、敗北宣言か、ひらきなおりの強がりか。どちらともいえるし、どちらともいえない。 でも確かに、僕もいつもこういう気分で生きている気がする。だからビジネスマンになりきれないのだろう。 で、こういう「ヘタレ強がり」を、大声で言い続けて、「敗北を隠さない俺は実は勝者!」 とひらきなおって言い張る生き方もある。 だが、中也は新生のヘタレなので、すぐに弱気になる。 しかし またかうした僕の状態がつづき

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    castle 2011/05/13
    「弱さの共有、そこに共感がある」「ビジネスは「強み」で社会を結びつけ、物語は「弱み」で人を結びつける。詩と宗教とは「強さ」を放棄した果てに共感に辿り着くシステム~弱さを迎え入れた時にそれは救済になる」
  • 3ToheiLog: フラグの回収と運命

    フラグの回収と運命 昔、フラグ展開の嫌いな友人がいた。 戦場で家族の話をすると、3分後にそのキャラクタは銃弾の雨の中でミンチになったりする。そういうのがすごく嫌で、だんだんフィクションを読むのがつらくなってきた、最近はノンフィクションばかりだと言っていた。 当時は、そのフラグ展開の陳腐さが嫌なのだろうと思っていた。それなら理解できると。 今は彼が嫌っていたものは、ちょっと違ったんだろうなあと思っている。 それは要するに観察者の無力感という奴だ。 ジェットコースターが上がっていくと、そのうち落ちることが分かっている。だけど、それを止めることができない。 そのヤキモキ感なんだろう。 * 最近、周囲の人が、「魔法少女が」という会話をすることが妙に多い。最近アニメから離れていた僕も、久々に見てみることにした。 で、薄々聞いてしまっていた話が、「3話目と8話目があ」という悲鳴だった。

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    castle 2011/03/06
    「よくできた伏線は、良くできていればいるほど、マンネリズムという奴を生む」「完成形は煮詰まる~予想外の展開がないところには「生」はない」「傷のある傑作、未完成の魔力」「予想は裏切り、期待は裏切らない」
  • 3ToheiLog: 八百長より恐ろしいもの

    八百長より恐ろしいもの なんか、世の中が大相撲の八百長で大騒ぎしているらしい。 別にそんなもん、どうでもいいじゃねえのか、とか思うのだが。 * そもそも「相撲に八百長は一切無い」と、心のそこから信じていた日人って、何人くらいいるんだろう?たぶん、あんまりいないんじゃないかなあ、と思う。 週刊誌では、相撲の八百長の話がずっと書かれていたし、いろんなところで言われていた。でも、証拠が無いから、まあ「見なかったこと」にしていたわけなのだろう。 ホンネでは八百長があることを知りつつ、タテマエのうえでは八百長のことはいわない。ところが、証拠が見つかってタテマエの世界に出たとたんに、すげえ大騒ぎになる。 正直言うとなんか、こういう世界の仕組みが、ちょっと気持ち悪い。 * こういう話は、どこにでも転がっている。このまえは、検察で大騒ぎしていた。 検察が強引な取調べとか、でっち上げしているのは、

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    castle 2011/02/10
    「ホンネでは八百長があることを知りつつ、タテマエの上では八百長のことはいわない。ところが証拠が見つかってタテマエの世界に出た途端に大騒ぎになる」「嘘でいい。嘘がいい~汚いものは隠している間は汚くない」
  • 3ToheiLog: 時計職人の愛と解剖

    時計職人の愛と解剖 僕は、困った人間で、壊れたものを直すのは得意だけれど、動いているものを壊さないのは苦手だ。どうも、そういう困った人間は、ある種の業界に多いらしい。 WIRED VISIONで「「注意力散漫」とインターネットと創造性」という記事があった。 ・・・創造性とオープンな考え方とに関係があることは長らく知られているが、注意力散漫というのは、考え方がこれ以上ないほどオープンな状態と見ることもできるからだ。 潜在抑制の機能の低い人は、文字通り「心を閉ざす」ことができなくて、注目というスポットライトを舞台の隅々にまで走らせ続けている。その結果否応なく、これらの人は思いがけないものについて深く考察するようになる。 まあ、そういう「ADHD的な何か」を抱えている人間としては、ついつい「創造性」という怪しげな宗教に救いを見出したくなってしまうのは事実だ。そして、やはり物書きには、そういう社

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    castle 2010/10/24
    「共感と理解。人間の知性にある二つの傾向」「知りたいので壊してみる/壊してしまうので近寄らない」「「生きているもの」は、言葉で分析して分解してしまうと、正常に動かなくなる」「他人の物語を安易に壊すな」
  • 3ToheiLog: 「著者」を作ったのは、誰か?

    「著者」を作ったのは、誰か? ちょっと前のことになるが、webで「著者バブル」という話題が出ていた。 ブックファースト:池上彰「伝える力」 内田樹の研究室:ウチダバブルの崩壊 勝間和代公式ブログ: 書籍バブル論について〜私も当事者の感想を入れます 茂木健一郎 クオリア日記:当事者として 切込隊長BLOG(ブログ) 一人の著者が人気になると、むやみやたらにが増刷され、中身が薄いがたくさん現れる現象を「バブル」と評したものだ。 書店の中の、新刊台やらランキング台やらフェア台やら いたるところに露出を増やし、その露出がゆえに書店員にあきられ、 また出版点数が多いためにお客さんに選択ばかりを強い、 結果弾けて身の丈に戻っていくのが書店「バブル」です。 それに対して、ある先生は「もっともだ、今日から書くのを控えよう」と便乗怠け宣言でまぜっかえし、あるビジネスパーソンは「選ぶのは買い手と書

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    castle 2010/08/23
    「偽作の問題にひとびとが関心を持ちはじめるのは、消費者中心の文化~写本文化は製作者中心の文化~それ自体として目的にかなっているかどうか役立つかどうかが問題にされた」「(消費者が描く)著者と言うキャラ」
  • 3ToheiLog: 西尾維新と、日本の幸福な密室

    西尾維新と、日の幸福な密室 書類を整理していたら、アイデアメモがでてきた。 「西尾維新にとってのギャルゲーシステムとは、密室?」 と書いてあった。 昔の俺、結構おもしろい目の付けどころだと思った。自画自賛。コレだけだと普通の人には分かりにくいので、メモの意味を説明すると、こうなる ↓ 西尾維新の密室 西尾維新は、ミステリ作家でもある。 ライトノベルの能力が高すぎて見過ごされがちだが、ミステリ作家としての西尾維新も結構おもしろい。 西尾維新のミステリは、とことん「密室」に戦力を集中している。たとえば、戯言シリーズは最終話をのぞいてすべて密室ミステリだ。 多分、ミステリとしての完成度は、「クビシメロマンチスト」が一番高いだろう。とはいえ、他のバトルと独り言の印象が激しすぎて、そもそもこれが密室ミステリであることを覚えている人はほとんど居ないのだが。 このでもそうだが、単なるトリック

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    castle 2010/07/31
    「西尾維新にとってのギャルゲーシステムとは、密室?」「「なぜ犯人はその空間を密室にしたいと考えたのか」という密室の必然性~閉じ込められたい願望」「主人公は《身動きの出来ない》モテモテ状態に封印される」
  • 3ToheiLog: キャラとハラキリ

    キャラとハラキリ 先週は、JAXAの小惑星探査機「はやぶさ」がお使いキャラになって大騒ぎでした。 「はやぶさ+おつかい」で画像をググルとこんな感じだ。 まあ、最後に地球を振り返った話とか、私自身もしんみりしてしまう。 工業製品も科学探査船も「けなげ」というキャラがつくと、こうまで致命的なメディア力を発揮するものかと、あらためて驚愕しますな。 もちろん冷静な意見もある。こんな時こそ表面キャラに騒がず中の人をほめるべきだというご指摘も数多くあった。まったくもって正論だ。正論だと思うのだが、・・・多分世間一般はこれからもそんな風には回らないだろうとも思う。 世論のブームはあくまで感情が駆動する。 ああいうのを見ると、いままでもこれからも、全ての問題は「キャラ」として理解されないかぎり、社会は動かないのだろうなあと感じてしまう。 * 内閣もキャラを交換した。株価は一時的に盛り返した。 これ

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    castle 2010/06/20
    「(中の人をほめるべき、は)正論だと思うのだが…多分世間一般はこれからもそんな風には回らないだろう」「いままでもこれからも、全ての問題は「キャラ」として理解されないかぎり、社会は動かないのだろうなあ」
  • 3ToheiLog: 物語における「アニキの死」について

    物語における「アニキの死」について 以下は、言うまでもないが、ジャンプでの「あのマンガ」を意識してのエッセイだ。連載時のマンガについてあまりネタバレはしたくないので、一般論として読めるように書いた。直接には引用しない。ジャンプ嫁。 父親殺しとアニキの死 物語や神話の基テンプレには「父親殺し」という重要なテーマがある。 このテーマを基にして、フロイトは「無意識」の存在を語った。父親を倒して、父親の所有する社会権利を(象徴としては「母」を)奪いたい、という人間の無意識願望があるぜ、というストーリだ。 エヴァンゲリオンやらスターウォーズやら、このテーマに沿って構成された傑作の物語は数多い。 フロイトが取り上げた「父殺し」に比べると注目されることが少ないが、それに匹敵するレベルで「アニキの死」という大きなテーマがある。このテーマも、数かすの名作を生み出している。 「アニキと俺」の物語 父親

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    castle 2010/02/24
    「運命の物語とは、自分の能力や願望を超える何かを天に向かって問いかける物語」「「アニキ=もう一人の自分の死」というチップが詰まれた瞬間、負ける事が許されない革命の戦い、運命との血みどろの死闘が始まる」
  • 3ToheiLog: にげだめ(6):アスカはいかにしてリストラされたのか

    にげだめ(6):アスカはいかにしてリストラされたのか --------------------------------------- にげだめ(1):網走監獄でヱヴァを想う にげだめ(2):あしたのジョーと3C分析 にげだめ(3):宮崎駿の労働神話 にげだめ(4): 労働少女と父=宮崎監督 にげだめ(5):エヴァ対ヱヴァと、おとん にげだめ(6):アスカはいかにしてリストラされたのか --------------------------------------- 前回の続き。 21世紀のヱヴァンゲリヲンの物語が、20世紀末のエヴァンゲリオンよりも、はるかに「シンプル」な問題に成り下がったのは、 ・パパが「小さな存在」になった ・レイが「健気」な存在になった ・アスカという存在が丸ごと「リストラ」された この三つに依存する。 伝統社会の少女=綾波レイの物語 「少年が父を追

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    castle 2009/12/07
    「レイに好かれるには、シンジはレイ(共同体の一員)になればよかった。だがアスカに好かれるためにシンジがアスカ(非共同体的な個人)になると、アスカの居場所がなくなる。一番をめぐる戦いは常に勝者が一人」
  • 3ToheiLog: にげだめ(5):エヴァ対ヱヴァと、おとん

    にげだめ(5):エヴァ対ヱヴァと、おとん --------------------------------------- にげだめ(1):網走監獄でヱヴァを想う にげだめ(2):あしたのジョーと3C分析 にげだめ(3):宮崎駿の労働神話 にげだめ(4): 労働少女と父=宮崎監督 にげだめ(5):エヴァ対ヱヴァと、おとん --------------------------------------- * 宮崎監督は、「父の視点」で物語を語る作家だ。 一方、庵野監督は、「子の視点」で語る作家で、徹底的に子の視点から「エヴァ」を作った。 高いところからサングラス越しに見下している父ちゃんがいる。 全長40mの背で野生的な母ちゃんがいる。 そうしてシンジがここに居る。 もうひたすら「見下される子供」。「目標もなく成長しなければならない」という宿命を背負った子供。 まあ、20世

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    castle 2009/12/02
    「人間は、共に傷つくことによって、一体化して理解しあう。だが、エヴァでは、父が同型の戦死でないゆえに「戦いの経験を繰り返すことで父に共感する」というカタルシスは生まれない」「父から女を奪い取る」
  • 3ToheiLog: にげだめ(4): 労働少女と父=宮崎監督

    にげだめ(4): 労働少女と父=宮崎監督 --------------------------------------- にげだめ(1):網走監獄でヱヴァを想う にげだめ(2):あしたのジョーと3C分析 にげだめ(3):宮崎駿の労働神話 にげだめ(4): 労働少女と父=宮崎監督 --------------------------------------- 堅物、もといマジメ人間である宮崎駿監督の作品の特徴は、「見えない父権」ってのが混じっている点だと思う。これが、「宮崎アニメの少女には萌えにくい」「萌えることに罪悪感を覚える」というポイントになっている、と、思うのです。 以下は、 「いかに彼女たちは父親を愛して、戦闘美少女になり、嫁き遅れになったか?」 というテーマでの無責任雑談。 父と継承 はじめにチョット硬い話題。 (エヴァを語るときの前フリに。面倒なら次の節まで読み

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    castle 2009/11/18
    「いかに彼女たち(宮崎アニメヒロイン)は父親を愛して、戦闘美少女になり、嫁き遅れになったか?」「この「父親」というのは「評価者」だ。兄弟はこの父親の寵愛を得るために、お互いが競い合わなければならない」
  • 3ToheiLog: 第二種兼業妄想家の誕生

    第二種兼業妄想家の誕生 僕が言うのもなんだが、「クリエイター」などという、詳細不明な横文字言葉のせいで、職業と人生の方向性を見失う人も少なくないと聞く。カタカナというのは、問題の質を見失わせる傾向がある。しかも「創造」って何様のつもりだ? いっそ、「妄想家」という名前にするべきなのだろうと思う。 プロ妄想家。専業妄想家。 そのものズバリである。 定義しよう。プロ妄想家とは、自分の妄想を他人に伝染させて、他人の情動を激しく喚起しつつ、どさくさにまぎれて報酬を掠め取る人種だ。画家とか作家とか宗教家はこれに含まれるだろう。アントレプレナーとかビジネスコンサルタントとかいうカタカナ新宗教のほとんども、これに入れてしまって良いだろう。 はじめに妄想があった。妄想はサルを人間にした。 人間の活動で妄想によらないものは何一つ無かった。 疲弊の法則 とはいえ妄想だけなら、誰にでもできる。 だが、

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    castle 2009/10/20
    「プロ妄想家とは、妄想を他人に伝染させて、情動を激しく喚起しつつ、報酬を掠め取る人種」「金を払いたくなるほど非凡で独自性のある妄想をするのは難しい。そういう妄想の放出を継続し続けることはとても難しい」
  • 3ToheiLog: 中国五輪の聖火、僕の火種

    中国五輪の聖火、僕の火種 「いよいよ土曜日だねえ」と友人に言われた。一瞬分からなかったが、聖火リレーのお話しだ。 なんとも、上手く割り切れない。 ぶっちゃけさあ、問題って当にチベットなのか? 私はどうせこんな人間だから、正直に言っておこう。私は、聖火リレーでトラブルが起こったら「痛快」だろうな、とチョット思っていた。そんな不穏当なネタ嗜好に捕らわれちゃいけないことだろうなと思いながら、心の中では思っていた。 私の心が要求する「問題」は、実はチベット問題ではないのだ。 アナタも、そうではないだろうか?※ * もちろん、チベット問題が気にならないわけなど無い。 現在のダライラマは、尊敬できる人だ。なんでもウチの上司が脳科学の国際会議で会ったとか何とか言っていた。宗教家でありながら、寛容かつ冷静な心で科学をも取り込もうとする、凄い人物だと賛嘆していた。 私も、一応キリシタンの端くれながら、

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    castle 2008/04/27
    「(中国に対して)「中立であろうする理性」と「感情的な反感」を抱えている」「人間のモチベーションは「誰かを否定する」ときに一番元気になる」「「何も否定しない人間」というのは、実は「元気のない人間」」
  • 3ToheiLog : 漫画の基本快楽についての試論(1)

    漫画の基快楽についての試論(1) 帰りの電車の中で、マンガ(コンテンツ)を構成する「快楽原則」の基ベースを、三種類考えていた。 A・努力-勝利 モデル。闘争に勝利した主人公の歓喜。 B・無限反復モデル。いつもの仲間によるいつものツッコミ。 C・未知情報モデル。新しい情報、未知の展開にハラハラ。 とりあえず、一つずつ、つれづれなるままに書いてみます。 --------------------------- その1 A・努力-勝利モデル --------------------------- いわゆるジャンプの勝負モデルがこのタイプの基。 1・ライバルや敵がいて、とても勝てない戦力差。 2・努力、ひらめき、必殺技開発。 3・勝利の歓喜。 こういう流れが「少年マンガの基」だということになっている。 「少年マンガ」ということになっているけれど、この変形版は、少女マンガでもよ

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    castle 2008/04/11
    「A・努力-勝利 モデル。闘争に勝利した主人公の歓喜。B・無限反復モデル。いつもの仲間によるいつものツッコミ。C・未知情報モデル。新しい情報、未知の展開にハラハラ」成長・日常・恐怖(スリル)かな。
  • 3ToheiLog: 「アート=食人儀式」というエンターテインメント商品

    「アート=人儀式」というエンターテインメント商品 その昔、美術館に展示されたゴッホの椅子の絵の前で、30分くらいその絵とにらめっこしたことがある。 「よほどその絵が好きなんだねえ?」 と言われたが、多分そこまで好きだったからではない。なんで、この絵がそんなに評価されているのか、その理由を発見したかったから、にらめっこしていたのだ。 「ゴッホみたいな激しい絵」を描く人は、結構他にもいる。だが、ゴッホだけは「芸術家の代名詞」として別格で扱われている。何故か? そんなことを考えながら、ゴッホの絵を見ていた。 私の結論、現時点の結論は、「ゴッホ自身の人生がエンターテインメントとして消費されているから」だ。 「生きているときには評価されないけれども、後世で絶大な評価された」という物語のシンボルとして、そんなエンターテインメントとして評価されているのだろうと思っている。 「世界に理解されない自

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    castle 2008/03/04
    「「他人の罪を引き受けて処刑される」というキリストの物語は、宗教として流通する。「世界に理解されなかった激しい思い」というゴッホの物語は、アートとして流通する。プレミア価格で」「食人=人格を食べさせる
  • 3ToheiLog: 描く脳・萌える脳:記号と文化の共犯関係

    描く脳・萌える脳:記号と文化の共犯関係 先のエントリで大路さんが悩んでいた 「萌えイラストの是非」 みたいなコメントで、色々と悩み多き長文が多く、興味深く読んでました。 問題をすごくザックリと大雑把にいいますと、 「いわゆる<萌え絵>って陳腐じゃねえか、あんな感性は俺には耐えられねえ」 という意見。 なお、この種の見解の賛否が集まっている2chスレッドのログがこちら。(ユウキさん情報提供) このページを読む者に永遠の呪いあれ:萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい http://d.hatena.ne.jp/sutarin/20061025/p1 (荒れそうな予感。・・・コメント欄が感情的に荒れるのはいやですので、この件に関しての賛否意見で罵りコメントするのはなるべく慎んでください。あくまで理性的にね(= =;)) この問題については、色々考えていたので、正面切ってコメントする

    castle
    castle 2007/11/23
    「いわゆる<萌え絵>って陳腐じゃねえか、あんな感性は俺には耐えられねえ」「「議論する思考」と「絵を描く思考」は両立するのか。絵描きの人ってもっと感覚的な感じがする」「「写実」というのは、記号の拒否」
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