コジェーブ的動物化とデリダ的動物化 動物化を二つに分けて考えましょう。 コジェーブ的動物化 コジェーブはハイデガーの現存在を繋ぎつつ、ヘーゲルの人間/動物の形而上学的二項対立から人間を考えます。そしてコジェーブは消費文化に埋没するアメリカ人をみて、ヘーゲル的人間というよりも、動物のようだと考えます。だから「形而上学的動物化」です。ラカンがコジェーブを師と仰ぎ、フロイト+コジェーブ(ハイデガー、ヘーゲル)として、精神分析的人間を思考したのは有名です。 デリダ的動物化 デリダは、このようなヘーゲル的、ラカン的人間/動物を形而上学的二項対立と考えて、脱構築します。人間が動物化しているのではなく、人間はそもそも人間であり、また動物である、ということです。これは「倫理的な動物化」です。 では東の動物はどちらか、まず脱構築されたところのデリダ的動物化の意味を持つでしょう。そもそも精神分析的な強い人間は