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男女と思想に関するcastleのブックマーク (16)

  • セクハラと草食の関係――個別戦術を一般化させた戦略運用の誤り - umeten's blog

    結論から言えば、個別戦術を一般化させた戦略運用においては誤爆が多発する。 結局の所、個々別々の対象を乱暴に一般化して単一の戦術を全体に適用できるような対象と見なすことがそもそもの間違いの発端ではないのだろうか。 男が女を一般化すればセクハラという誤爆=性暴力被害が発生し、女が男を一般化すれば草系=軟弱者という誤爆=中傷被害が発生する。 つまるところ、最大公約数的な解法としては「そういう人もいる」くらいのことしか言えないのではないのか。 しかし、こういったリベラルな態度が気に入らないという「肉系女子」からの不満がたびたび漏れ聞こえてくるので、こんなコメントをしてみたわけだ。 ――元記事は故森繁久彌のセクハラ常習を「ほほえましいエピソード」化した朝日新聞「天声人語」*1への批評。 はてなブックマーク - これはひどい - Apes! Not Monkeys!  館 http://b.ha

    セクハラと草食の関係――個別戦術を一般化させた戦略運用の誤り - umeten's blog
    castle
    castle 2009/11/16
    「個々別々の対象を乱暴に一般化して単一の戦術を全体に適用できるような対象と見なすことがそもそもの間違いの発端」「つまるところ、最大公約数的な解法としては「そういう人もいる」くらいのことしか言えない」
  • 差別は正当かつ合理的である(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    どうやら、回り道が近道っぽいので、腰を据えて回り道をすることにしますにゃ*1。 言論・表現への法規制に抗するために - 地下生活者の手遊びで例示した ♀が結婚するときに限り退職金を優遇する措置は労働基準法4条の性差別禁止にひっかかる。 この措置って、具体的な差別ではにゃーよな。 というところから差別問題を考えてみますにゃ。 これについてはコメント欄ですでに田中氏が指摘しているにゃ。 男性および結婚しない女性および既婚女性に対する差別、という立論でいいでしょう。 それはそうなんだろうけど、視点を法の枠外にもってくるとちょっと違ったことになるんだにゃ。 結婚らくらくおまかせパック 2009-05-25 まずこのエントリを読んでいただきたい。引用する。 ここでびっくりしたのが「この時期専務は大忙し…」というナレーションとともに始まった映像でして、その独立を目指す五人の写真と履歴書を見ながら、専務

    差別は正当かつ合理的である(追記アリ - 地下生活者の手遊び
    castle
    castle 2009/06/03
    「女子上昇婚:結婚が経済的・社会的地位を高める手段として適当であれば、女性は結婚したがる」「結婚によって♂の首に縄を付け、身元の確りした♀を専業主婦という無償の家庭内労働力にして、企業戦士を囲い込む」
  • なんというかまあ - finalventの日記

    フェミニズムというのに関心を失って久しい。単に関心がなくなったというか、フェミニズムと限らず「現代思想」もそうなんだろうし、他歴史問題という問題もそうなのかもしれないけど、議論のフレームワークがよくわからなくなっている。奇妙な印象を受けるのはそれでもそのフレームワークは「知」的に構成されていて、それなりに外国の議論などが前提になっているっぽいし、それなりに学際的な学術領域においてフレームワークはあるのかもしれないのだけど(翻訳文化という印象はあるけど)、けど、というのは、普通に欧米圏のインテリの日常というか世相の議論を見ていると、出てこない、そして欧米圏のインテリってけっこう洒落もあるけどマジな人が多いという印象はある(とくに同性愛問題)。なのでそうしたレベルを見ていると、まあ、現下の世界認識において、日のそうした知のフレームワークはそれほど重要でもないのかなという印象はある。 で、と。

    なんというかまあ - finalventの日記
    castle
    castle 2009/01/14
    「日本のフェミニズムというのは、それを語る女性の論者というのが先生で、その先生を信奉する女性がいて、その女性に嫌われたくない男がフェミ思想を語るという構図、あるいは、その構図を嫌悪するという構図」
  • 「女は何を欲望するか?」/内田樹 - 空中キャンプ

    内田樹新刊。テーマはフェミニズム批判である*1。とはいえ、内田は批判に主軸を置いていない。フェミニズム退潮の原因をさぐり、なぜフェミニズムは知的威信を失ったのかを検証し、かつてフェミニズムが達成した文化的成果のうちで良質なものを見直そうというのがこのの目的になっている。内田はこの作業について、「フェミニズムという船は沈みかかっているけれど、だからといって、ここまで運んできた財宝(知的達成)まで一緒に沈めてしまうのはもったいない。だから持ち出せるだけのものは持ち出して、これからも使うのだ」と例えており、「ポジティブな再検討」といっていいとおもう。 旧態依然としたフェミニズム的価値観──これを内田は「私たちは『そういうことばづかい』で何かを説明されることにしだいにうんざりしてくるのだ」と説明している──をふりまわすような人、ステレオタイプなフェミニストを素でやっているような人がほとんどいなく

    castle
    castle 2008/05/19
    「(男性も)加害者であることを義務づけられ」「その起源が知られておらず、それを構築した主体を特定できない制度については、私たちはその制度を改廃したり、異議を申し立てたり、壊乱したりすることはできない」
  • 男女論の最高峰 - 書評 - モテたい理由 : 404 Blog Not Found

    2007年12月26日08:30 カテゴリ書評/画評/品評Love 男女論の最高峰 - 書評 - モテたい理由 マーフィーの法則、書評ブログ篇。 モテたい理由 赤坂真理 スゴは、まとめ記事を出した後にやってくる。 今年読んだエッセイの中で最高傑作。面白くなかったら買い取るを通り越して、買い占めて配りたいぐらいの一冊。 書「モテたい理由」は、副題に「男の受難・女の業」とあるように、男女論である。書籍にもblogosphereにも掃いて捨ててもまだ捨てきれぬほどありふれているあの男女論である。はっきり言ってレッドオーシャンである。そのレッドオーシャンの中に埋もれない力強さを、書は持っている。 目次 - BOOK倶楽部より 第1章 女の目から見た世界 第2章 獰猛な恋愛主義 第3章 蔓延するライフスタイル語り 第4章 女子が生きるファンタジー 第5章 ライフスタイルの先祖たち 第6章

    男女論の最高峰 - 書評 - モテたい理由 : 404 Blog Not Found
    castle
    castle 2007/12/27
    「男を理性で理解する女は多い。彼女達の多くは、理性ゆえに男が下等に見えてしょうがない」「しかし下等であることと、下等であることを指摘されるのは違う。下等である者は、そう指摘されることで二重に傷つく」
  • タイトル=著者 - 書評 - 女の敵 : 404 Blog Not Found

    2007年12月12日02:30 カテゴリ書評/画評/品評 タイトル=著者 - 書評 - 女の敵 日経BP出版局編集第二部の柳瀬様より献御礼。 女の敵 遙洋子 献頂いたにも関わらず大変恐縮なのだが、これをきちんと言っておかないと書評ブロガーとしての私の価値が暴落してしまうので、柳瀬様には申し訳ないが最初に申し上げる。 今年私が読んだの中で、最低の一冊。 書「女の敵」は、遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」 (遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」):NBonline(日経ビジネス オンライン)を書籍化したもの。 目次 日経BP書店|商品詳細 - 女の敵より はじめに 「女の敵」のオンナ 「女の敵」のオトコ 「女の敵」のあれやこれや 「女の味方」のオトコ 「女の味方」のオンナ 「女の敵」はもしかして私? 目次を見てわかるとおり、四方八方敵ばかり。ここで著者は覇者、項羽ばりにバリバリ

    タイトル=著者 - 書評 - 女の敵 : 404 Blog Not Found
    castle
    castle 2007/12/12
    「彼女達の戦いは、一体何をもたらしたのだろうか」「男の方が命が安い」「人の最大の敵、それは敵愾心そのものではないのか?本来は味方であるはずの者を敵に回さずにいられないその激情なのではないか?」
  • 売春というのはちと違うか - finalventの日記

    私はかなりたぶん痴漢とかいうのはしないというかそういう嗜好がない。が、夏場など女性と限らず骨格をよく見ているというのはある。ま、それもかなり変な話だが。 で、売春と売春に似たもの、たとえば、性産業というのか、そこに差があるのか、あるいは段階があるのか、あるいはスペクトルがあるのか、私は知らない。たぶん、売春というのは古典的には性交を対価させるもので、岸田秀がいうように、育児をしない代価というふうな議論もありうるのかもしれない。 ただ、これは男の性欲の側からすれば、ようするに性欲なるものの対価に見えるので、売春が古典的だろうがどのようなスペクトルがあろうが、けっこうどうでもいいものかもしれない。話をめんどくさくしているみたいだが。 で。 性交でなくても、たとえば、女性の身体を触る、というのでも、その場合、それが対価の商売たりえる。というとき、そこで、違法と商売という契機がある。単純な話、見知

    売春というのはちと違うか - finalventの日記
    castle
    castle 2007/08/12
    「女性の性の主体性というのは二義的な、あるいはお芝居というか、実はかなりフェミニズム的な言説の本質的な欺瞞性があるか、知らないか」「尻の感触によって得る特定の女性の屈辱であり、屈辱の対価が5000円」
  • 曇天 - finalventの日記

    ユーミンの「人魚姫の恋」を聞きながら、これをべたに聞いて、いつか自分が目覚めると思う40歳以降の女性がどのくらいいるのだろう、いやどのくらいという数ではない、心の形というか、思った。ユーミンが何を思ってこんな曲を作ったのか、わかるようなわからないような。女というものはわからないものだなと思うが、では男がわかるかというと、男とは私にとってはただ他者でもある。私はどうも男が親密に話し合う空間が気持ち悪い。女性が多い空間も苦手だ。適当な数まざって機能的しているくらいでないと、気持ち悪くなってしまう。が、では、ある程度少数ならどうかというと、どこかで心が動揺する。何かを自分が無意識に隠し持っているのかもしれない。中村中の歌をすんなり理解・共感してしまう自分の心の形もなにか奇妙だ。母子関係の問題がまだまだあるのだろうか。あるいはそこから一生出られるものもないのか。 うかつながら、ミルトン・エリクソン

    曇天 - finalventの日記
    castle
    castle 2007/07/08
    「エリクソンはどうも人間というのは「セックスして子どもを生め」のような生物社会学的に見ている。理屈・解釈といったことを彼はまるで信じておらず」「ラカンなどはフランスではベタな実技集団であり投影の実技」
  • 日経 春秋(10/27) - finalventの日記

    よい。こんなによいコラムを春秋で読むとは思わなかった。これがいつもボケコラムと同じ執筆者だとしたら、野暮なツッコミをしていた私が自身を恥じる番だ。 『抱擁家族』の30年後を描いた『うるわしき日々』。記憶を失っていくを家に残し外出した男は「これから10年をどう過ごすか」を思いかがみこんで泣く。手にしているのは大量消費社会を象徴する「コンビニの袋」。今の日人にとって米国とは何なのか。小島さんの言葉を、もっと聞いてみたかった。 つまり、戦後の日の社会と民衆というのは、これなのだ。これを描き出すのが文学なのだ、と。 米国という国に負けた民族としての日人というものがコンビニ袋を捧げてしゃがんで泣く男そのものである。地べたに貼りついている日人ですら敗戦の当の屈辱を生きてきた。それをイデオロギー化すれば屈辱に反発したりそれを受け入れることを是とする倒錯になったりするだろう。しかし、その屈辱に

    日経 春秋(10/27) - finalventの日記
    castle
    castle 2006/10/27
    「手にしているのは大量消費社会を象徴する「コンビニの袋」。今の日本人にとって米国とは」「つまり、戦後の日本の社会と民衆というのは、これなのだ。これが文学なのだ」「彼らはなぜ私をこの国に残したのか」
  • 植草先生のことはわからんが その2 - finalventの日記

    承前⇒finalventの日記 - 植草先生のことはわからんが 昨晩、そして今朝方、また少し考えた。 死の乗り越えの欲望、というのだとして(バタイユ=ヘーゲル的)、少し違うか、と。 たとえば、私の前に若い女がいるとする(まあかつていたが)。 そこに手を出すことは容易ではない、というときの障壁の質の問題ではないか。 一般的には、その障壁は、女の側の意志の問題だとされる。悪い言い方をすると、そこで女が、意志と身体に分けられれば、商談のようなふうにして障壁を越えることができる。あるいは、愛情とか。たぶん、愛情とは別の商談のような契約性を持つとしても。 ところが。 たとえば痴漢という場合、そこに対象との女との間の障壁は、基的に、社会なり、慣習なり、掟なりであって、現代世界では、法=国家=共同幻想だろう。 つまり、性的な欲望=快感、あるいは、性的な欲望=二項関係というのではなく、そこには質的な三

    植草先生のことはわからんが その2 - finalventの日記
    castle
    castle 2006/09/28
    「つまり、共同幻想性というのは、本質的に二項の関係と、そのエロスのなかから発生したものなのでは」「なぜ小さい(小さな声の正義・良心)かというと、共同幻想性なエロスへの危険性を先駆的に包含している」
  • 彼女はそれを理解できない――川原泉現象には理由がある - umeten's blog

    川原泉作品のゲイフォビア*1とはおそらく彼女個人では対処不可能なものなのではないか。 そう、問題は川原泉個人ではなく、「川原泉的なるもの」であるように思える。 川原作品に顕著な恋愛や性に対する淡白さから、それらに類する問題に対する「関心の低さ」を読み取り、そして、その「興味がない」という心理状態を一概に「無自覚」「無関心」だと捉えるなら―― 確かに、問題となった表現は川原泉個人の自由意志に基づいた差別と偏見を意図的に振りまくフォビア(嫌悪)の表れであり、彼女を差別主義者だとみなせるだろう。 しかし、それがあるいは「無意識」の産物なのだとしたら、どうだろうか。 語弊を招かぬよう言葉を言い換えれば、「理解不可能」「認識不可能」。 「彼女はそれを理解できない」――のだとしたら、どうなるだろうか。 「興味がない」というのも、「意味や価値を理解できない」ということであって、何も意図的に「貶め」たり「

    彼女はそれを理解できない――川原泉現象には理由がある - umeten's blog
    castle
    castle 2006/09/21
    「「理解できないものは不快なものであり、その感覚はごく自然な生理的な反応であるとして合理化=正当化されている」「無関心は決して中立の立場を意味しない」/「夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始め」」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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    castle
    castle 2006/09/06
    「真の権威は、もともと誰もが持っている」「神様(天とか宇宙とか、人間を超える存在ならなんでもいいです)と結婚する意欲をもつと、人生がスムーズに展開する」《気づき》タグ俺も作りたくなった。
  • ロングテールな弱者共闘のコストの話とバックラッシュにメディアアウトで対抗しててOKな業界の話 - アンカテ

    なるほど、リベラルというのはたこつぼのロングテールだということか。ロングテールのちりを集めているのが民主党で、ヘッドで勝負をしているのが共和党、そう考えると分かりやすい。 このアナロジーを使うと、バックラッシュ論争のひとつのポイントは「弱者共闘の品揃えを増やすことのコスト」がどれくらいのものかという話になるのではないだろうか。 それが、Life is Survival @はてな - Masao さんとのやり取り 3にリンクされている、一連のエントリーにあらわれてきている。 こうして脱オタした僕は「強者」になることができました(少なくとも以前よりは)。これは僕にとって、とても嬉しいことでした。 でも同時に、僕はこうも思いました。僕が脱オタしたときにやった「自分改造」ってなんだったんだろう、と。 「改造」以前の自分は、確かに「若者男性らしく」はなかった。でも、それってそんなに「悪い」ことだった

    ロングテールな弱者共闘のコストの話とバックラッシュにメディアアウトで対抗しててOKな業界の話 - アンカテ
    castle
    castle 2006/07/26
    「この対立は「共闘」という言葉に対する、「ヘッド指向」と「ロングテール指向」のスレ違いではないかと言うこと」
  • なぜ、何のために子供を持つのですか? 労働力のためですか?…

    なぜ、何のために子供を持つのですか? 労働力のためですか? 親(自分)の面倒を見させるためですか? 自分にできなかった事を実現させるためですか? 敬意がほしいからですか? 行為の代償ですか? 「種の繁栄のため」(「国力」等も含む)以外のお答えをお願いします。

    castle
    castle 2006/07/16
    「子供が産まれてみたら、子供は自分にとって想像以上に特別な存在でした」
  • [書評]心の探究(佐々木孝次): 極東ブログ

    佐々木孝次「心の探究」(せりか書房)はアマゾンではもう見かけなかった。文庫化していることもないと思う。初版は一九八〇年なのでそう古いでもなく、古書店などでは比較的容易に見つかるだろう。サブタイトルに「精神分析の日記」とあるように、ラカン派の著者がフランスでラカン派の精神分析を七十二回に渡り受けていた足かけ二年を扱っている。 私は折に触れてこのを読み続けてきた。そうしなければならない内的な理由があるからだ。この以外では出会うことのない恐ろしいインサイトに自分の精神を晒さなくてはならなかった。気が付くと、今の自分が佐々木が分析を受けていた年齢を超えている。 精神分析とは、単純に言ってしまえば、疑似科学であろう。そこで終わりとなればいいのだが先日のニューズウィークに蘇るフロイトの記事があったが(それはそれなりに浅薄なものだったが)、フロイトはそう容易く葬り去られはしない。理由はある意味で

    castle
    castle 2006/07/08
    「知識から現実への移し換えが、この分析の大きな課題のひとつである」「この母的な問題のなかに恐ろしい権力の構図の可能性を思い描いている」死の衝動は生の賛歌が飽和することに関係があるかもだ、とか思った。
  • finalventの日記

    castle
    castle 2006/05/29
    「日本の男、というのは、いわゆるイメージとは違って、天地の下にただ一人あると思うべし、というか、奇妙な変人が多い。そして、その変人を、日本の女はじっとささえている。」
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