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知識と哲学と池田信夫に関するcastleのブックマーク (8)

  • 自然科学モデルの限界 - 『行動経済学』

    ★★★★☆(評者)池田信夫 行動経済学―感情に揺れる経済心理 (中公新書) 著者:依田 高典 販売元:中央公論新社 発売日:2010-02-25 クチコミを見る このごろ行動経済学についてのがたくさん出るようになったが、ほとんどはカーネマン=トベルスキーなどの実験を日常生活に応用してアノマリー(特異性)の実例をあげるもので、いささか傷だ。書はこうしたおもしろとは違って、大学の講義録をもとにして行動経済学歴史を振り返り、理論的にまとめた入門書である。 意思決定理論の歴史は古く、パスカルやベルヌイにさかのぼる。こうした理論において最大の問題は、不確実な未来のもとでどう決断するかということだったが、フォン=ノイマン以降の期待効用理論は、これを数学的に操作可能な公理系に単純化してしまった。それによってゲーム理論などの体系的な理論ができたが、エルズバーグのパラドックスやアレのパラドックスな

    自然科学モデルの限界 - 『行動経済学』
    castle
    castle 2010/02/28
    「人間の意思決定が価値関数のような数値として表現される発想が、人間を快楽を最大化するロボットと考える功利主義の変種。人間を本質的に理解するには認識論レベルから見直す「パラダイム転換」が必要なのでは」
  • 金融危機が示した「無知の知」の重要性 - 『フリーフォール』

    ★★★☆☆(評者)池田信夫 フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか 著者:ジョセフ・E・スティグリッツ 販売元:徳間書店 発売日:2010-02-19 クチコミを見る 著者はノーベル賞を受賞した大学者だが、最近はコメンテーターとしても活躍し、毎年のように時事的なを出している。最初のはまだ新鮮味があったが、その後は繰り返しが多く、書もその例にもれない。2008年の金融危機についての分析もありきたりで、その種のを読んだ読者が書を読む意味はあまりない。「保守派の強欲」や「ブッシュ政権の略奪」を批判する党派的なバイアスが強くてうんざりする。 著者の立場は、市場は失敗するので政府が介入しろという「ケインズ派」だが、市場の失敗があるのと同様に政府の失敗もある。つねに後者のほうが大きいと主張する保守派の主張が今回の危機で反証されたことは確かだが、それは自動的に前者のほうが大きいこと

    castle
    castle 2010/02/22
    「情報の非対称性だけでなくケインズの強調した不確実性を含む「情報の不完全性」を経済学に全面的に取り入れ、人間の無知を前提にした制度設計を考えるべきだ」「新しい経済理論の枠組だけでも示してほしかった」
  • 存在論的ブラック・スワン : 池田信夫 blog

    2010年01月26日23:56 カテゴリ経済 存在論的ブラック・スワン タレブが"Black Swan"の第2版で追加した部分をツイッターで紹介している。あれを読んだとき誰もが感じる疑問は、彼はフランク・ナイトを読んだことがないのかということだが、これに反論してタレブは、ナイトのリスクと不確実性の区別は質的ではないという。 たとえば世界貿易センタービルで働いていた人にとって9・11は確率ゼロのブラック・スワンだったが、そこに突っ込む飛行機に乗っていたテロリストにとっては確率1に近い出来事だった。両者を知っている神がいれば「存在論的リスク」は計算可能かも知れないが、神はいないので、すべての社会現象はナイトの意味で不確実なのだ。それが機械的なリスクに見えるのは、特定の座標軸を固定した場合の錯覚にすぎない。 Black-Scholes公式に代表される経済学の理論は、社会の質的な複雑性を捨象

    存在論的ブラック・スワン : 池田信夫 blog
    castle
    castle 2010/01/27
    「全てのリスクは主観的」「(特定の理論を固定しそれに合わない現象を捨象する)パラダイム自閉症は学問が職業として成り立つ上で避けられないバイアスであり、重要なのは、それを使う側がバイアスを弁えて使う事」
  • 廣松渉の哲学 : 池田信夫 blog

    2009年10月31日11:12 カテゴリ 廣松渉の哲学 70年安保のころの学生運動が残した知的な遺産はほとんどないが、当時の教祖的な存在だった廣松渉だけは、戦後の日を代表する哲学者として歴史に残るだろう。当時、彼の講義には、他大学からも多くの聴講生がやってきて、いつも500人の大教室に立ち見が出た。その講義も、原稿なしで古今の文献を詳細に引用する濃密なもので、1回の授業で1冊分の内容があった。 書は、廣松のデビュー作(卒業論文!)である『世界の共同主観的存在構造』(第1章)を中心にして、彼の代表的な哲学論文を集めたものだ。彼のわかりやすい講義とは違って、文章は一見むずかしい漢字が多くて読みにくいが、彼の認識論の基である「四肢構造」はきわめて単純で、いわばそれを公理系として展開する数学の論文のように書かれているので、基的な図式が頭に入ると意外にわかりやすい。 廣松はマルクスの研

    廣松渉の哲学 : 池田信夫 blog
    castle
    castle 2009/10/31
    「彼の認識論の基本である「四肢構造」はきわめて単純で、いわばそれを公理系として展開する数学の論文のように書かれている」「行動経済学が「認知構造」から再出発するとすれば、認識論の基礎的な勉強は不可欠」
  • 池田信夫 blog:ウィトゲンシュタインとラムゼー*

    ウィトゲンシュタインとラムゼー* テクニカルな話には*をつけることにしたので、経済学や哲学に興味のない読者は無視してください(BLOGOSにも転載しなくて結構です)。 今月の日経済学会の招待講演で、神取道宏氏が今後の経済学の方向として行動経済学をあげていた。ただしその現状は、物理学でいえば落ち葉の運動がニュートンの運動方程式(新古典派理論)では記述できないと指摘するにとどまっており、そのゆらぎにいろいろなパラメータを当てはめてアドホックな仮説を立てている段階だ。神取氏は、ここから進んで空気抵抗の理論のようなものを見つけないと行動経済学は行き詰まるといい、空気抵抗に相当するのは人間の認知構造だと結論した。 神取氏から認知構造という言葉が出てきたのは意外だったが、これを空気抵抗のような例外と考えている限り、行き詰まると思う。天動説に惑星の運動のような例外を際限なく付け加えれば、天体の運動

    castle
    castle 2009/10/26
    「認知構造を例外と考えている限り、行き詰まる。天動説に惑星の運動のような例外を際限なく付け加えれば、天体の運動は「説明」できるが、それは理論とはいいがたい」「確実性の問題(ヴィトゲンシュタイン)」
  • 技術への問い - 池田信夫 blog

    書は、ハイデガー晩年のもっとも重要な論文「技術への問い」を中心にして5の論文を集めたものである(復刊)。最初に断っておかなければならないのは、訳があまりにもひどく、とても通読できないということだ。たとえば有名な、技術をGe-stellという奇妙な言葉で表現する部分は、書ではこう訳されている:われわれはいま、それ自体を開蔵するものを用象として用立てるように人間を収拾するあの挑発しつつ呼びかけ、要求するものをこう名づける――集‐立(Ge-stell)と。この文を理解できる人は、まずいないだろう(訳者が理解しているかどうかも疑問だ)。私は原文を読んではいないが、英訳のほうがはるかにわかりやすい。英訳ではGe-stellはenframingと訳されており、自然を一定の枠組の中で理解し、利用することだ。 この論文が重要なのは、若きハイデガーが『存在と時間』で提起した形而上学批判という問題に、

    castle
    castle 2009/09/24
    「技術が対立するのは科学ではなく、自然がおのずから立ち現れてくるポイエーシス(生成」「近代科学の方法論は自然を受動的に見るのではなく、実験や工学的応用によって自然を「挑発」して真理を開示するテクネー」
  • ハイエク 知識社会の自由主義 - 池田信夫 blog

    やっとハイエクができた。発売は19日だが、アマゾンでは予約の受付が始まった。あくまでも新書なので、「ハイエク入門」として誰でも読めるようにやさしく書き、専門的な議論や文献は省いた。しかしケインズとの論争は現在の世界経済を考える上でも示唆に富んでいるし、彼の法哲学はShleiferなどの実証研究でホットな話題になっている。また「合理的経済人」の仮定を徹底的に拒否した彼は、行動経済学の元祖としても再評価されている。そういう専門的な議論や参照文献のリストアップは、サポートページでやる予定である。序文を引用しておこう: 世界の金融市場を、前代未聞の危機がおおっている。現代の金融商品は数学やコンピュータを駆使した「金融工学」によって合理化され、あらゆるリスクは技術的にヘッジされ、世界中の市場がいっせいに暴落するパニックは起こりえないはずだった。今回のサブプライム・ローン危機による株価の暴落は、通

    castle
    castle 2008/08/09
    「「合理的経済人」の仮定を徹底的に拒否」「人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的といえない)行動をする」「不完全な知識に基いて生まれ、常に進化を続ける秩序があらゆる合理的な計画を凌ぐ」
  • まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか - 池田信夫 blog

    Dan氏のところには訳が届いたようだが、私は原著しかもっていないので、それをもとに書く。したがって例によって、これは書評ではない(書評は2/25発売の週刊ダイヤモンドに書く予定)。 原著は2004年に出て大反響を読んだが、同じ著者のこれを上回る傑作、Black Swanが出たあと訳が出たのは残念だ。書の議論はBlack Swanで深められているので、1冊読むなら、そっちを読んだ方がいい。実は、書は別の版元で最後まで訳したのだが、あまりにも訳がひどくて廃棄され、ダイヤモンド社でやりなおしたという経緯がある。 ここでは、1点だけコメントしておく。それは著者の議論のコアになっている素朴ポパー主義だ。ポパーについては、当ブログで私が批判すると、アマチュアから粘着的なコメントが来るが、もはや見捨てられた過去の哲学者であることは世界の常識だ。著者もそれを前提にしているのだが、彼はあえてポパ

    castle
    castle 2008/01/28
    「興味あるのは、著者が科学哲学における通約不可能性理論と同じ結論に達していること」「すべての科学理論は宗教の一種であり、客観的知識なんて存在しない、という知的アナーキズム」「不可知論と実質的に同じ」
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