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神話と池田信夫に関するcastleのブックマーク (6)

  • バブルはなぜ繰り返されるのか - 池田信夫 blog

    書は、昨年のディスカッションペーパー(Reinhart-Rogoff)をさらに800年にわたるデータで拡張したもので、いわばキンドルバーガーの有名なの数量経済史版という感じだ。金融関係者には必携の包括的なデータベースだが、一般向きではない(ビジネスマンには上の論文で十分だろう)。 書の問題提起は、なぜバブルはこうも繰り返されるのかということだ。結論はタイトルにもあらわれているように、人々が歴史に学ばず、「今回は相場が上がり続ける」と信じることだ。日のバブルのときも、「ストック経済」というキャッチフレーズで「パラダイム転換」を説いた経済学者がいた。ITバブルのときは、Businessweekが「ニューエコノミー」という言葉をはやらせた。サブプライムのときは「金融工学ですべてのリスクはヘッジできる」という神話が過剰投資をもたらした。 したがって著者は、こうしたバブルから「卒業」でき

    castle
    castle 2009/10/04
    「土地バブルを「ストック経済」という言葉でパラダイム転換を説いた学者がいた。ITバブル時は「ニューエコノミー」という言葉が。サブプライム時は「金融工学で全てのリスクはヘッジできる」という神話が過剰投資を
  • 現代思想の断層 - 池田信夫 blog

    ニーチェは「来るべき200年はニヒリズムの時代になるだろう」という言葉を遺し、狂気の中で20世紀の始まる前年に世を去ったが、彼の予言はますますリアリティを増しつつある。よく誤解されるように彼は「神を殺す」ニヒリズムを主張したのではなく、「神が自然死する」ことによって西洋世界が深い混迷に陥ることを予言し、それを克服する思想を構築しようとして果たせなかったのである。 書はこのニーチェの予言を軸として、ウェーバー、フロイト、ベンヤミン、アドルノの4人の思想をスケッチしたものだ。ウェーバーとニーチェという組み合わせは奇異に感じる人がいるかもしれないが、ウェーバーは姜尚中氏の描くような「市場原理主義」をなげく凡庸な合理的知識人ではなく、ニーチェの影響を強く受け、キリスト教のニヒリズム的な側面が近代社会の合理的支配を自壊させると考えていた。 中心は著者の専門でもあるアドルノ論である。ヒトラーによ

    castle
    castle 2009/09/28
    「啓蒙は手段的合理性によって壮大な物質的富をもたらしたが、それはすべての目的や意味を否定するニヒリズムとなり、人々の精神的なよりどころを否定した」「古きよき神話的世界を人工的に復元することはできない」
  • 汚穢と禁忌 - 池田信夫 blog

    ウンベルト・エーコによれば、文化は「危機に直面する技術」だという。記号論が示すように、文化の基は一定のシンボル体系の中に情報を秩序づけて共有することだが、こうしたフレームが制度化されると源的なリアリティとの間に齟齬が生まれる。それが非常に大きくなるとコミュニティの存続が脅かされるので、そのリスクを認識させるのが「反秩序」としての文化である。 こういう話は一時、「トリックスター」論として流行したが、その走りが書(原著は1966年)である。著者は、それまで文化人類学の研究対象とされなかった不浄なものが、文化の中で重要な役割を果たしていることを明らかにした。汚物についての禁忌(タブー)は、どの文化圏でもきわめて強いが、その対象は両義的な意味をもつことがしばしばあり、聖なるシンボルとして儀礼で重要な役割を果たす。 たとえば葬儀に糞尿を使う慣習は「未開社会」に広く見られる。死体に尿をかけて

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    castle 2009/08/18
    「文化の基本は一定のシンボル体系の中に情報を秩序づけて共有することだが、こうしたフレームが制度化されると本源的なリアリティとの間に齟齬が生まれる。それが非常に大きくなるとコミュニティの存続が脅かされ」
  • パロール・ドネ - 池田信夫 blog

    くだらない雑用で頭が窒息状態になったときは、書のような人類の数千年の営みに思いをはせるを読むのが精神衛生にいいかもしれない。書は20世紀最大の知的巨人の30年以上にわたる講義の内容を要約したもので、その膨大な業績を一望するには便利だが、それを400ページ足らずの訳に圧縮することは不可能なので、彼の著書を読んでいない人には難解かもしれない。 全体として描かれているのは、冷たい社会の人々が謎に満ちた世界を理解し、社会の存在する意味を見出す努力の跡である。圧倒的に巨大な自然の闇の中で微小な存在でしかない人間が、そのささやかな秩序を守るためにつむいできた神話や親族構造が、詳細に分析される。それを通じて見えてくるのは、荒々しく不確実な自然の中で、人間の築いた文化がいかに無力で壊れやすいものかということだ。 しかし人類は、いつからかこういう静的な秩序を守るのをやめ、自然を征服して不確実性を

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    castle 2009/06/29
    「人類は、いつからかこういう静的な秩序(神話や親族構造)を守るのをやめ、自然を征服して不確実性をなくすテクノロジーを開発するようになった」「彼らも結局は、生きる目的を見出せないまま、自然に帰る」
  • 致命的な思いあがり - 池田信夫 blog

    雨後のタケノコのように出る「大恐慌」を立ち読みしてみると、ほとんどが「アメリカ金融資主義の破綻」→「新自由主義は終わった」→「思い切った景気対策を」といったお手軽な論理展開で、これなら池尾・池田も製品差別化できそうだ。書を読めば、そういう「ネオリベ批判」がいかに下らないかがわかるだろう。 書はハイエクの最後の著作だが、これまで邦訳が出ていなかった。それは書がどこまでハイエクの著作なのかについて疑問があったからだ。ハイエクは健康を害していたため、彼が書いたのは未完成の草稿(未公開)だけで、それをW・バートリーⅢ世が編集したのだが、このとき編者が大幅な改変を加え、しかもそれを明記しなかったため、どこまでがハイエクの著作かよくわからなかった。ただ最近の研究では、大筋ではハイエクの了解を得ており、それほどひどい改竄は行なわれていないとされる。 内容の完成度は高くないが、90歳に近か

    castle
    castle 2009/01/29
    「無神論者のハイエクが「コミュニティを存続させている道徳や価値の人格化」としての宗教の価値を認め、こうした精神的統合が可能かどうかに「われわれの文明の生き残りがかかっているのかもしれない」と結ぶ」
  • 「歓待」の精神史 - 池田信夫 blog

    当ブログを「読書ガイド」として使う方もいらっしゃるようなので断っておくと、ここで取り上げるは、私の個人的な興味で選んでいるので、必ずしも万人向きではない。左側の「おすすめの」にリストアップしたは、買って損はないと思うが、記事で取り上げるは、専門的なや読みにくいもある。 書も一般向けとはいいがたいが、扱っているテーマは重要である。歓待というのは英語ではhospitality、やまとことばでは「もてなし」だろうか。これはレヴィナスやデリダを読んだ人にはおなじみだろうが、一般にはわかりにくい。その対義語である排除という言葉と対にして考えたほうがわかりやすいかもしれない。 近代社会は「排除の論理」で成り立つ社会である。その根原理である財産権は、物を排他的に支配し、他人を排除する権利だ。古代の共同体も、よそものを排除するシステムだったが、折口信夫の「まれびと」信仰のように、他から

    castle
    castle 2008/03/11
    「(歓待と)対義語である排除」「近代社会は「排除の論理」で成り立つ社会。その根本原理である財産権は、物を排他的に支配し、他人を排除する権利」「他者を歓待して情報を共有する原理を考える必要があるのでは」
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