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能力と内田樹に関するcastleのブックマーク (18)

  • 大人への道 - 内田樹の研究室

    お休みの日だけれど、取材が二件あるので大学へ。 最初は花王の研究所のみなさん。30 代の中堅どころのチームリーダーのみなさんが「ちかごろのわかいもん」をどうやって組織人に仕立て上げたらよろしいのでしょうかという悩みをかかえていらしたのである。 よくぞ私のところに「それ」を訊きに来られましたな。 Right time, right place とはこのことです。 前日の週刊ポストの取材もほとんど同趣旨のお訊ねであった。 要するに「共同的に生きる」ということの基礎的なノウハウが欠如した社会集団がいるのだけれど、それを「どうしたらいいのか」という問いである。 「どうしたらいい」のかという対症的な問いの前に、「どうしてこのような集団が発生したのか」という原因についての問いが立てられなければならない。 同じことをもう繰り返し書いているので、詳しくはもう書かないが、要するに「自己利益を優先的に追求する

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    castle 2010/04/22
    「自己利益と自分らしさの追求が国策的に推奨されたのは、集団の解体を促進し、市民の原子化を徹底し、消費活動の活性化をもたらしたから」「「子どもが邪魔だから子どもを切り捨てる」というのは「子どもの発想」」
  • グーグルの存在する世界にて - 内田樹の研究室

    木曜日、学士会館で目覚めて、ぼんやり窓の外を見ながら朝ごはん。 「学士会館朝ごはん、なう。」と Tweet すると、見知らぬ読者から「いま白山通りを歩いています」という reply が入る。 不思議なガジェットだなあ。 mixiとも携帯メールとも、機能がどこか根的に違うような気がする。 「ダイレクトメッセージ」ではなく、「宛名のないつぶやき」に反応する人がいるということが「広大な共生感」(@大江健三郎)をもたらすのであろうか。 よくわかんないけど、とりあえずは「精神衛生上よい」機能を果たしていることは間違いない。 だから、Twitter では「反論」とか「事実誤認の指摘」とかは遠慮してほしいですね。 「グーグル問題」について、いろいろ意見を訊かれる。 私の基的態度は「テクノロジーの進化は止められない」というものである。 とくにグーグルのビジネスモデルは「利用者はサービスに課金されない」

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    castle 2010/03/05
    「テクノロジーの進化は止められない」「コピーライトという既得権に固執する人は「コピーライトがあるがゆえに生じる逸失利益」に気づいてない」「ビジネスというのは本質的に「ものがぐるぐる回ること」」
  • 相対的貧困は解決できるか - 内田樹の研究室

    晩ご飯のあと、ごろんと寝ころんだら書棚にあった『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)というの背表紙が眼に入った。 そのまま手を伸ばして読み始める。 書架というのはこういうときに便利である。 読み始めたらおもしろくて、最後まで読んでしまった。 橘木さんは67歳の経済学者、山森先生は40歳の社会政策学者。学問的なアプローチも、ものの考え方もずいぶん違うけれど、きちんとした対話になっている。 相手と意見が違うときも、ふたりとも遠慮なく「私はそうは思いません」と言うけれど、それはたいていの場合、相手の発語を塞ぐというより、「それ、私にもあなたにも、どちらにもわからないことでしょう」という表示である。 過去の事例だけれど、まだ成否の検証が済んでいない政策と、未来予測に属する政策については、「私はあなたと評価を異にする」ということを表明して

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    castle 2010/02/21
    「学者の最も大切な仕事の一つは「誰にとっても知られにくい論点」を前景化する事」「「知っていること」を列挙する学者を嫌うのは、その知的リソースをもっぱら自分の知的威信に使用するから」「人は羨望でも死ぬ」
  • 出口なし - 内田樹の研究室

    『日辺境論』の書評がだいぶ前の「赤旗」に出ていた(昨日、アダチさんがファックスしてくれた)。 いろいろな媒体に取り上げられたけれど、「赤旗」とはね・・・ 代々木の(けっこう)えらい党員知識人であるところのワルモノ先生と共著で『若者よ、マルクスを読もう!』(仮題)を執筆中であることは党部のすでに知るところであろうから、「ウチダは代々木的には OK」というご判断がくだったのかも知れない。 私は右も左もなく、頼まれればほいほい寄稿する。 国民協会でも(ボツになっちゃったけど)、『第三文明』でも、『月刊・社民』でも、『赤旗』でも、身体が空いていれば、取材も寄稿も「いいすよ」と引き受ける。 私は政治イデオロギーによって人を差別しない。 人々が固有の政治イデオロギーを奉ずるに至るには、余人には窺い知れぬ個人的ご事情というものがあって、それはやはりできる限り配慮せねばならないと思うからである。 そ

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    castle 2010/02/21
    「私は人間が「どんな事があっても主観的には合理的に生きようとする」その努力を可憐だと思う」「(日本人の)「世界標準に合わせて『まとも』になろう」という発想そのものが辺境的」「人間の知性は定型に飽きる」
  • ナマケモノでいいじゃないですか - 内田樹の研究室

    ようやく授業が終わる。 今日から冬休みである。 なんとか生きて冬休みを迎えることができたことをとりあえず言祝ぎたい。 しかし、この二ヶ月実によく働いたものである。 『日辺境論』を出したせいで、販促活動がばたばたと重なり、たいへんな日程になってしまった。 それも一段落。 辺境ネタでは養老先生と二回対談した(『新潮45』と『AERA』) どちらもたいへん面白かった。 昨日は『サンデー毎日』の取材。 雑誌の4頁を使っての宣伝をしてくれるというありがたい企画である。 いろいろなメディアからの取材を受けたり、書評を読んで感じるのは「日人よ、がんばれ」という叱咤激励型の言説に日人自身がもううんざりしているということである。 叱咤激励的であるという点では右翼も左翼も変わらない。 「今の日はダメだ」という点では進歩的反動的、老いも若いも、みな口調が揃っている。 「いいじゃん、もう、これで」という

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    castle 2009/12/23
    「「他者が所有し、自分が所有していないもの」について「私もまた所有すべきである」と考えこれまでやってきた」「世界標準へのキャッチアップだけでわが身を鞭打ち続け、日本人は国民的規模で鬱になってしまった」
  • 動的平衡な夜 - 内田樹の研究室

    「死のロード」が終わり、月曜は「今年最後の出稼ぎ」。 朝カルで福岡伸一ハカセと対談。 福岡ハカセはご自身を「ハカセ」と称し、また私のことを「内田センセイ」と表記されているのはご案内のとおりである。 この「ハカセ」という自称には福岡先生の自然科学に対する深い愛着とクールな批評性の両方がこめられていて、私はこの文字を見るたびに、胸の奧が「ぽっ」と暖かくなる。 福岡ハカセ自身も、お会いするたびに「ぽっ」と胸の奥が暖かくなるような方である。 「センセイ」にも同様の文学的余情がある。 新刊はお互いに送り合っており、そのつどそれぞれの書評コラムで「めちゃ面白いです」と「ほめっこ」しているのもご案内の通りである。 そういうフレンドリーかつハート・ウオーミングな「仲良し」二人なのであるが、忙しくてなかなかお会いする機会がなかった。 今般は朝カルの森さんのオハカライで1年半ぶりくらいのご対面となった。 今

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    castle 2009/12/16
    「分子レベルでの生命のふるまいは、人間社会での生命のふるまいと同型的」「自分のありようを組織全体のパフォーマンスを最大化するように変成する」「もっとも自由闊達に変化するものがもっとも自己同一的である」
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    台湾ひとり事旅(前編) 台湾へ行ってきた。チケットと宿を予めおさえていたものの、台湾地震の発生で予約を一度はキャンセル。その後の台湾観光庁の旅行に来て大丈夫だよ、という声明を確認してやはり行くことに。 目的はシンプルで、台北周辺で美味しい事をたくさんべること。そして自宅…

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    castle 2009/12/16
    「労働の目的は「適切なしかたで贈与が行える人間になること」」「奉仕しあうことで人が生きていけるようになるには、その人がその集団の一員だという感覚がまず前提にあってこそ成り立ちうる関係なんじゃないかと」
  • 人間はどうして労働するのか - 内田樹の研究室

    『日の論点2010』(文藝春秋)が届いた。 そこに「労働について」一文を寄せている。 こんなことを書いた。 「働くとはどういうことか」 編集部から「働くとはどういうことか」というお題を頂いた。この問いがトピックとなりうるという事実から私たちはさしあたり次の二つのことを推論することができる。 (1)「働くことはどういうことか」の定義について、現在のところ一義的な定義が存在しない(あるいは定義についての国民的合意が存在しない)。 (2)そのことが「うまく働けない」若い人たちが存在することの一因だと思われている。 だが、「働くとはどういうことか」についての一義的な定義や国民的合意が存在しないことを私は特に困ったことだと思っていない。その理路を述べたいと思う。 人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹が

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    castle 2009/12/16
    「(「働くこと」の定義がないことが)「うまく働けない」若い人たちが存在する一因」「労働するのは「贈与する」ため」「その人がなしとげた事の意味は、仕事そのものではなく、それが他者に何を贈ったかで決まる」
  • 内田樹の研究室 : オリジナリティについての孔子の教え

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

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    castle 2009/10/03
    「孔子は、その(規範的なものの)全てを伝統の創始者としての周公に帰した」「村上龍はかつてすべての小説は「人間が穴に落ちる」「穴からはいあがる/穴の中で死ぬ」という話型でできていると道破したことがある」
  • 増子化対策 - 内田樹の研究室

    共同通信の取材。 テーマは少子化・未婚化・婚活。 同じテーマで何度もしゃべっている。 同じことを何度も書くのも疲れるけれど、基的なことなので、繰り返す。 「少子化問題」というものは存在しない。 例えば、新石器時代に「少子化問題」というものは存在しなかっただろう(その時代に生きたことがないので想像だが)。 その時代の集団において、「最近、みんな結婚しないし、子供が生まれないのはまことに困ったことだ」というような問題があったとは思えない。 そんな問題をかかえた集団は数世代で(はやければ一世代で)消滅してしまったはずだから、そもそもそれが「問題」として意識される暇さえなかった。 「親族を形成する」というのは人間が人間である基礎条件の一つだからである。 それは「労働する」とか「言語を話す」ということとほとんど同レベルの「当為」である。 「最近、みんな労働ないので、困ったものだ」というような悠長な

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    castle 2009/09/13
    「carrying capacityとは一定の環境の中に一種類の生物がどれだけ棲息できるか、その上限数のこと」「人口減少が始まったということは、私たちの集団がその集団の意思として「人口が多すぎるから個体数を抑制しよう」と判
  • 日曜日なので呼吸法をしてみる - 内田樹の研究室

    ひさしぶりの日曜日。 朝寝をして、ゆっくり朝ご飯をべて、少し原稿(「日辺境論」)の続きを書いて、昼過ぎから合気道のお稽古。 ふだんは土曜が稽古日だけれど、たまたま日曜の午後まるまる体育館がとれたので、特別稽古。 時間がたっぷりあるので、まず中村明一さんに習ったばかりの「密息」で呼吸法をやる。 表層筋を使わずに、深層筋だけで深く、沈み込むような呼吸をする。呼気はそれほど違和感がないのだけれど、吸気のやり方がふだんと違う。容れ物の底が抜けたような感じで息がすうっと落ちてゆく。 密息を習った翌日がちょうど能のお稽古の日だった。謡の稽古(『安宅』と『山姥』)をつけていただいたあと、下川先生から「呼吸の仕方がよくなったね」と言われた。さすが専門家である。わずかな変化でも見落とさないのである。 謡はどういう呼吸法なのかお訊ねしてみた。 改まって習ったことはなく、子どものころから大人の能楽師たちの立

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    castle 2009/03/14
    「呼吸法をよくやると動きに「甘み」が出てくると多田先生はよくおっしゃっている。「甘み」というのは言い得て妙である。「柔らかさ」と言うのとは違う~つまり、「甘み」というのはすぐれて時間的な現象」
  • 足元を見よ - 内田樹の研究室

    ジブリが出している「熱風」という雑誌がある。 そこに宮崎駿が2008年11月20日に日外国特派員協会で質疑応答があったときのやりとりが採録されている。 宮崎駿が天才であることに異論のある人はいないだろう。 その天才はつよい思想に裏づけられている。 一読して驚いたのは、宮崎駿もまた「国内市場のサイズ」と「国内需要」を創作のキーワードに挙げていたことである。 宮崎はハンガリーの記者の「日の観客と世界の観客の違いを意識しているか」という質問にこう答えている。 「実は何もわからないんです。僕は自分の目の前にいる子供達に向かって映画をつくります。子供達が見えなくなるときもあります。それで中年に向かって映画をつくってしまったりもします。でも、自分達のアニメーションが成り立ったのは日の人口が一億を超えたからなんです。つまり日の国内でペイラインに達することができる可能性を持つようになったからですか

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    castle 2009/01/13
    「私達にとって考えなければいけなのは)目の前にいる子供達」「そのような問いがなされる当のそのときに他ならぬ「これ」の前に私はいるように宿命づけられているという絶対的な確信」「足元を見ろ。それがお前だ」
  • とっても忙しい週末 - 内田樹の研究室

    師走である。 ほんとうにばたばた西へ東へ走っている。 風邪はようやく癒えた。 週末と来週にかけて最後の「死のロード」があり、はたしてちゃんとおつとめできるかしらと懸念していたのであるが、とりあえず治ってよかった。 土曜日、合気道の稽古をお休みして東京へ。 まずは苅谷剛彦さんと『中央公論』のための対談。仕切りは『大学ランキング』の小林さんと中央公論の井之上くん。 苅谷さんとお会いするのははじめてである。 苅谷さんはこの秋からオックスフォードの先生になられたので、イギリス住まいである。 今回は東大での集中講義のために一時帰国しているところを時間を作っていただいた。 話題はもちろん教育問題。 苅谷さんの『階層化日教育危機』は過去十年のあいだに読んだの中で、もっともインパクトのある書物の一つであった。 「インパクトがある」というのは内容が驚嘆すべきだったというだけではなく、その驚嘆すべきコン

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    castle 2008/12/16
    「社会の上層を占めている人々は「金で全てが買える」と思っていない。むしろ「金で買えないものの価値」について強く意識的な人々が日本では階層上位を形成している」「人間的信義、血縁地縁共同体、相互扶助」
  • こんな日本はいつまで続く? - 書評 - こんな日本でよかったね : 404 Blog Not Found

    2008年07月25日21:00 カテゴリ書評/画評/品評Culture こんな日はいつまで続く? - 書評 - こんな日でよかったね バジリコ社安藤様より献御礼。 こんな日でよかったね 内田樹 よく考えると、著者のを献いただくのははじめてかも知れない。 今までの「内田樹blog」の中では、最もよくまとまった、いやよくまとめた一冊である。よくまとめてあるだけあって、blogそのものを読むよりも圧倒的に速く内田樹の思想を理解できる--その耐えられない軽さをも含めて。 書「こんな日でよかったね」は、"Yet Another 内田"である。養老孟司と同様、どのも同工異曲であるのが内田の特徴であるのだが、それだけに、そのの差は著者というより編集者の差であり、そして今まで読んだ中では最もよく編集された一冊であると感じた。 目次 - basilico - こんな日でよかった

    こんな日本はいつまで続く? - 書評 - こんな日本でよかったね : 404 Blog Not Found
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    castle 2008/07/26
    「そんな著者たち(の世代)に今の30-40代はやさしい。実のところは自分達のことだけで精一杯なだけなのだが、少なくとも団塊の世代がやったように上の世代を吊るし上げるようなことはしていない」
  • 妄想の効用 - 内田樹の研究室

    河合塾の島原先生からメールを頂いた。 日曜の講演で、どうすれば知のパフォーマンスが向上するのでしょうか、という予備校生からの切実な質問に苦し紛れに「妄想しなさい」とお答えしたのであるが、これが塾生たちにはたいへん好評だったらしく、塾内では「妄想ごっこ」が流行の兆しだそうである。 つねづね申し上げていることだが、妄想はたいせつである。 強く念じたことは実現する。 「それ、ほんとうですか?」と疑念をもつかたもおられるやもしれぬ。 ご安心ください。 これはほんとうである。 多田先生がそうおっしゃったのであるから、間違いない。 多田先生がそうおっしゃったのは、中村天風先生がそうおっしゃったのを聞いて、「天風先生がそうおっしゃるなら、間違いない」と思われたからである。 天風先生がそうおっしゃったのは、頭山満翁かカリアッパ師からそう聞いて「この人が言うなら間違いないだろう」と思われたからである。 「・

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    castle 2008/07/08
    「強く念じたことは実現する。~「強く念じる」というのは「細部にわたって想像する」こと」「順逆を間違えてはいけない。想像したことが実現するのではない。想像していたからこそ、実現したことがわかるのである」
  • 格差社会論(再録) (内田樹の研究室)

    今回の秋葉原の事件に「格差社会下層」に自分を「格付け」するという「物語」が深く関与していることにはどなたも異論がないだろう。 私は以前そのような「物語」が瀰漫することに、とりわけそれが「政治的に正しい」説明原理として称揚されることについてその危険を指摘したことがある。 『神奈川大学評論』という大学紀要に寄稿したものであるので、大学関係者以外には読まれた方はほとんどおられないであろうから、ここに再録する。 2007年の9月に書かれたものである。 この論考のせいで私は「保守系リベラル」「中道右派」とカテゴライズされることになった(ウィキペディアにはそう書いてある)。 ここに書かれたことのどこが「中道」なのか、どこが「保守」なのか、私にはよくわからないが。 善意の格差論のもたらす害について 内田樹 「格差」という語はそれ自体では価値中立的なものであるが、現在のメディアではこの語は中立的なものとし

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    castle 2008/06/11
    「格差はつねに存在したし、これからも存在するであろう。だから、格差を廃絶する事はできない。できるのは格差が社会に壊乱的要素をもたらさないように扱うことだけである」「「富者」の名乗りがはばかられる社会」
  • 言語と身体 - 内田樹の研究室

    岡山県高等学校教育研究会図書館部会研究協議会という長い名前の集まりに呼ばれて「言語と身体」と題する講演をする。 オーディエンスは岡山県下の高校の先生方である。 岡山の高校からは多数の卒業生を学にお送り頂いている関係もあり、いそいそと岡山まで出かける。 新神戸に車を置いて新幹線で30分ちょいで岡山である。 岡山は私の母方の祖父の郷里であり、今も伯母と従兄一家が住んでいる。ゼミの卒業生のマキちゃんもいるし、私にとっては懐かしい土地である。 高校の先生たちにはいろいろと申し上げたいことがある。 「申し上げたいことがある」と言っても、別に文句があるわけではなくて、そちらが18歳まで育ててくださった続きをこちらは引き受けて教育をさせて頂いているという「スクラムハーフからスタンドオフへ」というような関係である。 この間のパスの連携に「阿吽の呼吸」というものがなければ、教育はうまく機能しない。 私がま

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    castle 2008/02/06
    「言葉は遮らないが、内容には同意しない」「私たちは誰も「畏るべきこと」を言語化しなければならない」「「魔境」に入ったときに、そこから道は「呼吸」をたどって戻って来る」「人間的な「軸」を立ち上げること」
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

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    castle 2005/12/24
    精神病は、《超》能力の暴走
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