翻訳というのは難しい。 韓米通産長官会談,合意なしに終了 一向に進まないFTA交渉だけど、こういうニュース見てると、韓国人の考え方が透けて見えて面白い。政府は韓米 FTAが両側の相互利益を保障しなければならないという基本立場を明らかにしています.。 「進歩的」政党の親玉、孫鶴圭も、在米大使との面会で「相互互恵平等の原則の上で発展しなければならない」と前置きし「そんな点で国際的状況変化に当たるように過去一方的な依存関係だった韓米間外交関係が均衡の取れた発展を成さなければならない」と主張した。 「互恵」や「相互利益」は、恐らく日本語由来の漢字語彙だろう。 しかし、韓国語では、日本語とは少し意味が異なる。 韓国人と交渉した人はわかると思うが、韓国人が「互恵」や「相互利益」という場合、基本的には「韓国が一方的に利益を伸ばす」という意味になる。 なぜか? 理由は簡単で、 ――お前は
時計職人の愛と解剖 僕は、困った人間で、壊れたものを直すのは得意だけれど、動いているものを壊さないのは苦手だ。どうも、そういう困った人間は、ある種の業界に多いらしい。 WIRED VISIONで「「注意力散漫」とインターネットと創造性」という記事があった。 ・・・創造性とオープンな考え方とに関係があることは長らく知られているが、注意力散漫というのは、考え方がこれ以上ないほどオープンな状態と見ることもできるからだ。 潜在抑制の機能の低い人は、文字通り「心を閉ざす」ことができなくて、注目というスポットライトを舞台の隅々にまで走らせ続けている。その結果否応なく、これらの人は思いがけないものについて深く考察するようになる。 まあ、そういう「ADHD的な何か」を抱えている人間としては、ついつい「創造性」という怪しげな宗教に救いを見出したくなってしまうのは事実だ。そして、やはり物書きには、そういう社
今のうちに宣言しておくがもしブロガー将棋大会なんてものが行なわれるとしても私は絶対に出ない。もし出て自分の棋譜がネット上に晒されたら、もう恥ずかしくて二度と将棋のことを書くことができなくなってしまう。それくらいヘボなので絶対に出ないよ。 でも、ヘボでもプロの将棋を鑑賞して楽しむことはできる。大きな対局では棋譜中継というのがあって、ブラウザから解説付きでリアルタイムの棋譜を見ることができる。Kifu for iPhone というソフトを使うと、iPhoneから見ることもできる。 当然、盤面だけを見てもチンプンカンプンなのだが、プロ棋士の解説がつくと、単に勝ってる負けてるだけはなくて、何が争点になって、それがどういうふうに推移していくかよくわかる。勝負の決め手となる重要な場面で何が起きたのかもだいたいわかる。 電車の中でワクワクしながら、固唾をのんでiPhoneを見てたりして、「本当にいい時代
ページが見つかりません - smashmedia.jp http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090724/1248397496 十代の人が、人生を棒に振ってしまうためのフラグの立て方は色々あるが、そのなかでも有名なものの一つに「悪性の読書」というやつがある。若いうちから、活字の海で現実を誤魔化すような処世術を身につけたり、捻れた本との付き合い方を覚えてしまったりした人は、まぁ、あとあと難しいだろう。上記リンク先の二つの文章を読んでいて、そういうことを思った。 人生をダメにするための“読書”いろいろ では、人生を棒に振るような“悪性の読書”とはどういうものか。色々なパターンをみかけるなかでも特に頻度の高いもの三つを、書き残しておこうと思う。 ・世の中を色眼鏡で眺めるために本を求める 目の前の現実なり、自分が置かれている境遇なりが気に入らなくて、それを色
フルリノベ後4年間住んでみて思った、よかったところと後悔したところ フルリノベの中古マンションに住んでみて、2020年の5月で4年経ちました。 良かった点や、もっと考慮すべきだった後悔ポイントなどをまとめてみます。 間取りは、ぜひ完成時のweb内覧で見てみてください。家具を入れる前の写真なので、室内の作りがわかりやすいです。 …
今日、最も印象に残った言葉。とある大学の先生の言だという。 「女を説得なんかできない。女を説得できると思っている時点で、お前はまだ若い」 仰るとおりです先生。 「説得」っていうのはつまり「理屈で攻める」であって、理屈の通用しない相手に向かって「説得」をしようってのは無茶である。 昨日の日記に照らすと僕はおそらく「説得できるような女」を求めているのであって、それというのはじつに無茶な要求であろう。 この言葉を教えてくれた相手が、もう一つ興味深い話をしてくれた。 それは「新興宗教にはまってしまった友人」の話。 彼は実際にその宗教団体を訪れ、儀式を見聞きし、「これはまずいだろう」と思って、友人を「説得」しようと試みたらしい。「これは真っ当な宗教じゃない。いわゆる“怪しげな新興宗教”だ」と。 が、「そういうことじゃないんだよなぁ」とか「やっぱり神ってのはいると思うし」とか、よくわからない、的外れな
2006年09月01日02:20 カテゴリEcosystem 亡国系 私自身も「理系」に分類されるようだけど、だからこそ理系の危険も指摘しておかずにはいられない。 レジデント初期研修用資料: 文系亡国 何もかも文系が悪い。 技術系はみんな頑張ってる。文系は余計な足を引っ張って、 全てを台無しにする。 アンカテ(Uncategorizable Blog) - 理系的ラッダイト運動このラッダイト運動は、理系から文系へのルサンチマンのような気がする。つまり 全ての巨大技術は文系が牛耳っている! だから巨大技術が科学的であるはずがない! 科学的でないものが信じられるものか! まず、「文系」「理系」といういい方。これ自身、「文系的」、というより「非理系的」な二分法だ。もし法律家が文系なら、同じくcodeを生業とするプログラマーもまた文系のはずだし、公理から定理を導く数学者が理系なら、構想から世界を構
レイプ被害についての様々なやりとりが最近、あちこちを賑わせているのです。 この手のやりとりの恐ろしいところは、盛り上がれば盛り上がるほど、男と女というのが無闇に対立するような構造になりやすいところだと思っています。おまけにその構造は男は加害者、女は被害者みたいな二元論ぶりでおまけにその場合の男と女って、ヘテロ前提ですが何か?風に語られている気がして、それもまたよくないよねえ、と感じます。 そしてさらに、しばし待たれよ、ほんとにこの手の性犯罪と自衛を結びつけた議論において、男女は必ず対立するものなのですかどうなのですかそのへん。 『24人のビリー・ミリガン』において、レイプを行った加害者たる人格はアダラナという名の19歳女性の人格だったりすることを思い出したりして。 さて、レイプの話になると、自衛すべきだという意見は、大体こんな風になるのではないかと思います。 「もちろん加害者が悪いのは確か
「創作活動と「晒されたもの負け」の恐怖。」勝手に注解 平沢進についてのエントリもそうであったが、流石にプロのライターだけあって、何を書いても実に平易で分かり易い解説をするもんだあ、流れを掴むだけであれば元記事よりもこっちを読んだほうが遥かに手っ取り早えわ、と感心することしきりであるのだが、内容については、BLなんぞただの一遍も読んだことのないオレがフラットに書かれていることのみを追う限り、どうも論点をずらしているような気がするだけで、何を言いたいのかいまいちよく分からない。と言うのは、このエントリでは元記事に付いたブコメを、 晒されるのが嫌なら公開するな派 マッチョはいやだよ派 晒しは批判じゃなくて私怨や人格攻撃だよ派 という3類型に整理しているのだが、1と2が「晒され」たときの身の処し方についてであるのに対して、3は「晒し」が起きた原因であり、言うなればこれは傍系に属する話だからである。
大企業病に至る流れ 「大企業病」を検索すると色々な言葉が出てくるが、最終結末である倒産・買収から逆をたどり衰退への大まかな流れを見ると、検索された用語の殆どはその流れの中に納まる。大企業病へのターニングポイントは、成功を収め業界で優位な地位を一定期間維持した企業が、攻めから守りへ舵を切り、変革をないがしろにし始めた頃。大企業病とは、それ以降の様々な宿命的弊害-企業の末期症状や老化現象の総称。あるいは、経営陣、社員、組織が、大企業病を生む社風の中で複雑に絡み合い、「危機意識の低下・うぬぼれ」、「保身・閉鎖性」、「無責任構造」という3つの潤滑油が、患者を衰退へと円滑に進める巧妙なトリック。 倒産・買収←不祥事発覚・業績悪化←悪い情報が伝わらない・変化に対応できない←組織複雑化・セクショナリズム←攻めから守り&競争から協調体制へ・視線が顧客から上司へ←うぬぼれ・危機意識の低下←安定期←成功・既得
結論から言えば、個別戦術を一般化させた戦略運用においては誤爆が多発する。 結局の所、個々別々の対象を乱暴に一般化して単一の戦術を全体に適用できるような対象と見なすことがそもそもの間違いの発端ではないのだろうか。 男が女を一般化すればセクハラという誤爆=性暴力被害が発生し、女が男を一般化すれば草食系=軟弱者という誤爆=中傷被害が発生する。 つまるところ、最大公約数的な解法としては「そういう人もいる」くらいのことしか言えないのではないのか。 しかし、こういったリベラルな態度が気に入らないという「肉食系女子」からの不満がたびたび漏れ聞こえてくるので、こんなコメントをしてみたわけだ。 ――元記事は故森繁久彌のセクハラ常習を「ほほえましいエピソード」化した朝日新聞「天声人語」*1への批評。 はてなブックマーク - これはひどい - Apes! Not Monkeys! 本館 http://b.ha
私も実は、嘘が嫌いだ。 正直、いい年をして、子供の「澄んだ心」から発せられるべきこんな言葉を口にするのは、とっても恥ずかしいのだが、本当に嫌いなので仕方がない。 実生活においては清濁併せ呑む老獪さを装って、スムーズな社会生活を心がけてはいるので、勘弁してほしいのだが・・・でも、やはり実は、嘘が嫌でしょうがないのだ。(よってここに記す。嫌いだ!大嫌いだ!) 私の腐った心に、このような雪片のごとき潔癖さが残されているということ自体驚くべきことといえよう。 否、むしろ嘘に「弱い」といったほうがいいかも知れない。 嘘はまるでスズメバチの毒針ように私に刺さり容易に抜けず、恥ずかしさという毒で脳波をゆがめる。 そして、なにやら知恵熱が出て、ついには寝込んでしまうのである。 まるでアナフィラキシー・ショックだ。(大げさかもしれないが、これは生死にかかわる問題だ。確実に「本日の死にたい度」がアップするのだ
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