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青空文庫と歴史に関するcastleのブックマーク (3)

  • 福沢諭吉 瘠我慢の説 瘠我慢の説

    立国(りっこく)は私(わたくし)なり、公(おおやけ)に非(あら)ざるなり。地球面の人類、その数億のみならず、山海(さんかい)天然(てんねん)の境界(きょうかい)に隔(へだ)てられて、各処(かくしょ)に群を成し各処に相分(あいわか)るるは止むを得ずといえども、各処におのおの衣の富源(ふげん)あれば、これによりて生活を遂(と)ぐべし。また或は各地の固有に有余(ゆうよ)不足(ふそく)あらんには互にこれを交易(こうえき)するも可(か)なり。すなわち天与(てんよ)の恩恵(おんけい)にして、耕(たがや)してい、製造して用い、交易(こうえき)して便利を達す。人生の所望(しょもう)この外にあるべからず。なんぞ必ずしも区々たる人為(じんい)の国を分(わかち)て人為の境界を定むることを須(もち)いんや。いわんやその国を分(わかち)て隣国と境界を争うにおいてをや。いわんや隣(となり)の不幸を顧(かえり)みず

  • 最終戦争論 (石原 莞爾)

    石原莞爾の主著である。来るべき最終戦争によって世界は統一され戦争がなくなる、その戦争は日を中心とする東洋とアメリカを中心とする西洋の決戦である、という独特の思想を主として戦史分析の観点から詳述している。 1940(昭和15)年5月29日、石原莞爾は京都市にあった福島清三郎(東亜連盟会員・柔道家)の道場、義方会において、「人類の前史終らんとす」と題した講話を行った。これを筆記・整理したものが、「世界最終戦争論」である。B6判88頁の小冊子として立命館出版部から刊行された「世界最終戦争論」は、数十万部に及ぶベストセラーとなった。その後、同書の読者から寄せられた質問への回答をまとめ、1942(昭和17)年3月20日に新正堂から出版された『世界最終戦争論』に、「世界最終戦争論」、「戦争史大観」、「戦争史大観の由来記」と共に、「『世界最終戦争論』に関する質疑回答」として収録された。ただし著者は、1

    最終戦争論 (石原 莞爾)
  • 坂口安吾 天皇小論

    は天皇によつて終戦の混乱から救はれたといふが常識であるが、之(これ)は嘘だ。日人は内心厭なことでも大義名分らしきものがないと厭だと言へないところがあり、いはゞ大義名分といふものはさういふ意味で利用せられてきたのであるが、今度の戦争でも天皇の名によつて矛をすてたといふのは狡猾な表面にすぎず、なんとかうまく戦争をやめたいと内々誰しも考へてをり、政治家がそれを利用し、人民が又さらにそれを利用したゞけにすぎない。 日人の生活に残存する封建的偽瞞(ぎまん)は根強いもので、ともかく旧来の一切の権威に懐疑や否定を行ふことは重要でこの敗戦は絶好の機会であつたが、かういふ単純な偽瞞が尚無意識に持続せられるのみならず、社会主義政党が選挙戦術のために之を利用し天皇制を支持するに至つては、日の悲劇、文化貧困、これより大なるはない。 日的知性の中から封建的偽瞞をとりさるためには天皇をたゞの天皇家になつ

    castle
    castle 2009/01/15
    「今度の戦争でも天皇の名によつて矛をすてたといふのは狡猾な表面にすぎず、うまく戦争をやめたいと内々誰しも考へてをり、政治家がそれを利用し、人民がさらにそれを利用」「人間から神を取り去る事はできない」
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