新番組「白井聡のニッポンの正体」。気鋭の政治学者、白井聡さんと、日々のニュースの根本にある、ニッポンの政治的問題を解きあかします。第1回目は、韓国の文在寅大統領が繰り返し表明している「朝鮮戦争終結宣言」について。その背景を探っていくと、休戦状態が70年近く続く朝鮮戦争を終わらせたくないニッポンの奇妙な本音が見えて...
記事:幻戯書房 『もう一つ上の日本史』と『日本国紀』単行本・文庫版 書籍情報はこちら 2021年11月17日、百田尚樹著『[新版]日本国紀』(幻冬舎文庫)という本(全二冊)が出版されました。三年前に出た同著者による『日本国紀』という本の文庫版で、カバーや帯、版元の公式サイトには「当代一のストーリーテラーによる日本通史の決定版」「知られざる史実と感動の歴史秘話が満載」「満を持して、待望の文庫化!」「大増量150ページ!! 著者こだわりの超大幅加筆により新しく生まれ変わった、令和完全版!」などという、思わず胸が高鳴るような文言が並んでいます。 今年に入り、この文庫本(以下「文庫版」)の刊行予告がアナウンスされて以来、私にはずっとその存在が気にかかってきました。というのは昨年(2020)、『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート 古代~近世篇』『近代~現代篇』という、『日本国紀』(以下「元版
この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年8月) 渡海船 補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた、自発的な捨身を行って民衆を先導する捨身行の形態である。 概要[編集] 南方に臨む海岸から行者が渡海船に乗り込み、そのまま沖に出るのが基本的な形態である。その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る[1]。場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。 江戸時代になると遺体を渡海船に乗せて送り出す水葬の一種に変化する。補陀洛山寺の住職の事例が知られている。 現在確認できる事例は57件で、最古の事例は貞観10年(868年)11月3日に僧侶の慶龍上人によって行われ[2]、最後に行われたのは明治42年(190
移送は夏服のまま。マイナス20度の寒さが新関さんたちを襲った。 「亡くなった仲間は、停車した先に放置した。墓なんて作れなくて、そのまま進んでね。かわいそうなことをしたよね」 ロシア中部のレニンスク・クズネツキーの収容所に着いたのは、12月8日の早朝。 「この日から、終わりが見えない強制労働が始まった」 ドイツ人捕虜と入れ替えで入った収容所で、最初に命じられたのは生活拠点となる宿舎づくり。年が明けてからは、炭鉱で1日8時間、3交代制で力作業をこなした。食事は黒パンと薄いスープという質素なもの。課せられたノルマを達成できないと、食事の量が減らされた。重労働、飢餓に加え、不衛生な環境下での感染症に苦しんだ。 「朝起きると、隣で寝ていた人が死んでいたこともあった。凍結した地面は硬く、満足に掘ることができなくて。裸にした遺体に雪をかけて安置したため、野犬や狼に食べられてしまうこともありました」 「入
1942年(昭和17)年11月末の夜だった。北海道阿寒村(現・釧路市)の我が家に父が男を担ぎ込んできた。男は朝鮮の人で、名は福山さん。近くの雄別炭鉱で働かされていたという。仕事は厳しく、同じ死ぬなら一歩でも故国に近い所でと覚悟のうえ脱走し、畑で動けなくなっていたところを助けてきたそうだ。 後日、駐在所のお巡りさんが彼の引き渡しを求めてきたが、父は「俺の家族だから、指一本触れさせぬ」と拒んだ。困っている人を放っておけない性分の父。それをよく知るお巡りさんとの間で阿吽(あうん)の了解でもあったのか、我が家でかくまう脱走者は3人に増え、気づけば14人の大家族になった。〔下略〕 (出典:『朝日新聞』「声」欄への投書、2021年4月17日付) ◎解説 上記の新聞投書の筆者は、北海道在住の88歳の方。脱走した朝鮮人と接していたのは8、9歳の頃となる。年齢から考えてだいたいの状況を理解した上での記憶であ
アジールあるいはアサイラム(独: Asyl、仏: asile、英: asylum)は、歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味する。ギリシア語の「ἄσυλον(侵すことのできない、神聖な場所の意)」を語源とする。具体的には、おおむね「統治権力が及ばない地域」ということになる。現代の法制度の中で近いものを探せば在外公館の内部など「治外法権(が認められた場所)」のようなものである。 概説[編集] 歴史的には、当初は統治権力は存在せず、全ての場所が(のちに言うところの)アジールであった。統治権力は、徐々にその支配領域を広げていったが、多くの場所が統治権力の支配下となっても、いまだその支配を受けない場所が、あちこちにとびとびに残された。この段階になってはじめて、アジールは後に歴史研究におけるテーマとして注目されるものとなった。 アジー
「この地域の住民、とりわけ都市住民はきわめて大規模な餓死に直面することになるだろうことは、間違いない。(中略)数千万人がこの地域で余剰となり、死ぬかもしくはシベリアに移住しなければならない」。〔註3〕 ソ連占領地域に派遣されることになっていた農業指導者たちに、食糧省は開戦2週間前に「12の掟」を通達している。「ロシア人」については、次のようにある。 「彼らの腹はいくらでも我慢ができる。だから、誤った同情はしないように!」〔註4〕 この「飢餓計画」は戦争の残酷な帰結であり、責任者にとってはやむを得ない事情、いや正当防衛ですらあった。しかし、この計画の影響がもっともはっきりと表れたのは、ドイツ占領権力のヒエラルキーにおいてもっとも下位に置かれた人びと、つまりユダヤ人、ソ連兵捕虜、そして「大ロシア」〔註5〕諸都市の住民の取り扱いにおいてだった。 ここでは、戦争経済のプランナーたちのコンセプトが実
■共和党支持者の間に高まる「第3党待望論」 日本人はずっとアメリカは民主主義の手本だと教えられてきた。特に「2大政党制」は見習うべきものとされてきた。日本が小選挙区制を導入したのも、2大政党制を確立するという狙いがあった。だがアメリカの現実は、2大政党制は機能せず、政治的対立は極限にまで達している。「交渉」と「妥協」が民主主義の基本なら、もはやアメリカは民主主義国家とはいえない。民主党と共和党の間にあるイデオロギーの違いは、あらゆる政治的妥協を不可能にしているように思える。そんな政治的現実を前に、アメリカ国民も2大政党制に批判的になりつつある。第3党の登場を期待する声が高まっている。 ちなみに日本の小選挙区制も期待された結果とはまったく異なった現実を生み出している。国民の過半数の支持を得ない政党が政権を取り、有権者の投票の多くが“死票”になり、政府と国民の間に大きな意識のずれが生じている。
14日から始まったNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公(モデル)は渋沢栄一(1840~1931)です。「新しい時代を切り開いた」「日本経済の父」などと番宣を繰り返してきましたが、NHKがけっして触れない(描かない)渋沢の素顔があります。それは、彼が朝鮮半島侵略・植民地支配の先頭に立った人物だったことです。 「そもそも渋沢は1876年の日朝修好条規の締結前後という早い段階から第一国立銀行(1873年に渋沢が創設―引用者)の朝鮮侵出に強い意欲をもっていた。1878年に釜山支店が開設され、元山、仁川と次々に出張所が設けられていった。…その行動は日本の朝鮮半島への経済侵出の大きな足がかりとなり、植民地化を導くものであった。 その動機は第一国立銀行の…業績の低迷を補う経営的な目的と、渋沢自身がもともと強く持っていた「三韓征伐神話」や「日鮮同祖論」といった対朝鮮意識に由来するものであった。…独立した
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ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(ヴェロドローム・ディヴェールたいりょうけんきょじけん、フランス語: Rafle du Vélodrome d'Hiver)、または、その略称であるヴェル・ディヴ事件(Rafle du Vél' d'Hiv、日本語ではベルディブ事件とも[1])は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで1942年7月16日~17日に行われた最大のユダヤ人大量検挙事件である。本質的には外国から避難してきた無国籍のユダヤ人が標的だったとされる。 概要[編集] ナチス・ドイツはホロコーストの一環として1942年の7月、占領したヨーロッパ各国でユダヤ人を大量検挙することを目的とした「春の風」作戦(Opération Vent printanier)を計画した。フランスにおいては、親独のヴィシー政権がフランスの警察官ら4500人以上を動員して作戦を実行した[
よく晴れた、けれども風の冷たい午後だった。道端の落ち葉が舞うカサカサという音が妙に心地よい。早足で家に戻りポストをあけると、無造作に投げ込まれたチラシの間に、細長い茶色い封筒が挟まっている。手に取ると、紙が数枚折りたたまれているであろう厚みがあった。送り主は出入国在留管理庁(入管)だった。その瞬間、確信した。「祖母はもう、この世にはいないのだ」、と。 『もう一つの「遺書」、外国人登録原票』にも書いたように、私が中学2年生の時に、父が亡くなった。その後、戸籍を見る機会があり、そこで初めて父が在日コリアンであることを知った。父は自分のルーツや、自分の父母のことを、一切語らないままこの世を去ってしまった。家族と断絶していた父が、どんな生い立ちで、どんな幼少期を過ごしてきたのか、知る手立ては殆ど残されていなかった。戸籍に残された「韓国籍」という文字以上のことを、もう死者に尋ねることはできない。父の
「おふくろの味」という言葉を普及させた土井勝は、海軍の経理学校を出ていて、いわば海軍仕込みの近代的料理法をバックボーンにしているといえます。土井先生の「おふくろの味」は実は、「伝統的」な「家庭」の味というわけではないんですね。
旧陸軍施設「振武寮」跡地の前で話す西南学院大の伊藤慎二教授=福岡市中央区で2020年12月2日午後1時33分、矢頭智剛撮影 太平洋戦争末期、機体トラブルなどで帰ってきた特攻隊員を次の出撃まで収容した旧陸軍施設「振武(しんぶ)寮」(福岡市中央区薬院)跡地でマンション建設が進んでいる。振武寮を巡っては戦後、元隊員らが「収容中は生還したことを上官に激しく非難され、暴行されることもあった」と証言している。日本が無謀な戦争に突き進んだ日米開戦から8日で79年。惨禍を語り継ぐ体験者が少なくなる中、戦争遺跡の保存・継承を求める声は各地で高まっている。専門家は、埋もれた特攻の歴史を語り継ぐ必要性を訴える。 振武寮は1945年、特攻作戦を主導した旧陸軍第6航空軍が福岡女学校(現在の福岡女学院中・高校)の寄宿舎を接収して創設。生還した特攻隊員約80人が収容された。特攻部隊の名称「振武隊」が名前の由来とみられる
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