タグ

歴史に関するkabutomutsuのブックマーク (208)

  • 『婦人公論』の童貞狩り - 虚構の皇国

    古新聞をめくっていたら、盧溝橋事件直後の『婦人公論』誌の広告にこんなのがあった。 東京朝日新聞 昭和12年7月16日付 「貞操と犯罪」号と銘打たれたこの号には「同性愛心中の秘密」「春の目覚めと少年の犯罪」「貞操危険信号」(なかなか秀逸な小見出し)が並ぶ。当時の婦人雑誌はこんなもんなのであまり驚かないが、数々のエロ記事のなかでひときわ目を引くのが、安田徳太郎博士による「現代大学生の童貞調査」である。 これはすでに澁谷知美さんの研究などで取上げられているのかもしれないが、残念ながら私は未見。とりあえず、煽り文句がすごい。 男子を正しく理解することは結婚期の娘にとつても、結婚生活にあるにとつても、子女をもつ母親にとつても實に大切なことである。この為に私は日の青年の童貞観念及び童貞破棄の姿を客観的に科学的に一一六七人の青年、大学生を動員して七年間に亙つて苦心惨憺して調査した…… 博士もたいへん

    『婦人公論』の童貞狩り - 虚構の皇国
  • 東京)旧満州の朝鮮人移民の歴史たどる:朝日新聞デジタル

    戦前や戦中に朝鮮半島から旧満州に渡り、戦後は中国東北地方で朝鮮族として暮らしてきた人々を撮り、歴史をたどった写真集「『満洲』に渡った朝鮮人たち」(世織書房)が今月出版された。記念の写真展「李光平写真展 植民地朝鮮から『満洲』へ渡った朝鮮人移民」が26日から7月7日まで、新宿区大久保の高麗博物館で開かれる。 李光平(リグァンピョン)さん(74)の両親と祖父は1939年、日による植民地支配下の朝鮮半島北部・咸鏡北道(ハムギョンブクド)から旧満州の龍井(現中国吉林省龍井市)に移住。李さんは99年から朝鮮人集団移住歴史を調べ始めた。翌2000年には地域の文化館長を早期退職して調査に専念。戦前を知る老人約600人に話を聞き、写真を撮った。当初はバイクで移動していたが、04年に転倒事故で頭や腕に大けがをし、車に切り替えた。 戦前、旧満州には日の内地や朝鮮半島南部などから開拓民が送り込まれ、朝鮮人

    東京)旧満州の朝鮮人移民の歴史たどる:朝日新聞デジタル
  • 東京)早乙女館長が退任 東京大空襲・戦災資料センター:朝日新聞デジタル

    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

    東京)早乙女館長が退任 東京大空襲・戦災資料センター:朝日新聞デジタル
  • [CML 017916] 先生は陸軍の工作員だった

    kabutomutsu
    kabutomutsu 2019/06/22
    "釈放後、故郷の兵庫県に帰った上原は、小学校 教員として勤務しました。最後は校長になりました。いつも命の大切さを訴えま した。戦争のことは全く話しませんでした。そして、死ぬまで久米島を訪れるこ とはありま
  • 「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺 - 琉球新報デジタル

    沖縄戦での久米島で、米軍から逃れて自死しようとして住民の呼び掛けで一命を取り留めた渡嘉敷一郎さん=19日、東京都練馬区の自宅 【東京】沖縄戦で島における日軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。同じ久米島出身の政子さん(80)が住民虐殺の歴史を語り継ぐ活動を続けており、一郎さんも参加して語り始めた。紙に体験を語るのは初めてで「一番怖かったのは日兵だった」と振り返る。 沖縄島で捕らわれた仲村渠さんは1945年6月26日、米軍と共に久米島に上陸し、住民に投降を呼び掛けていた。日のポツダム宣言受諾後の8月18日、島にいた日軍の

    「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺 - 琉球新報デジタル
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2019/06/22
    "「山の部隊」(鹿山正海軍通信隊長)が、6月26日の米軍上陸後にスパイ嫌疑で住民20人を殺害した。米兵に拉致された住民を「スパイ」と見なし、目隠しのまま銃剣で刺し、家に火をつけて焼き払うなどした。朝鮮人家族も
  • キーワード沖縄戦(52)残置工作員 | 沖縄タイムス+プラス

    スパイ養成機関の陸軍中野学校出身者で、太平洋戦争のさなか、伊平屋島、伊是名島、久米島、多良間島、粟国島、黒島、波照間島、西表島、与那国島の9離島に11人が配置された。県知事から辞令を受け、学校の教員など社会的地位の高い人物になりすまし、住民生活に入り込んだ。

    キーワード沖縄戦(52)残置工作員 | 沖縄タイムス+プラス
  • 戦場で負傷、帰国した兵士たちによる恩給増額の請願行動「後顧するなと大虚言つかれ」「隊長殿にだまされた」

    大正11年3月15日、「増加恩給増額請願、廃兵全部無賃乗車請願示威運動」が陸軍省や貴族院で行われました。こちらは、その様子を伝えるチラシです。 日は明治維新以来、対外出兵の連続でした。征台の役(明治7年)、日清戦争(明治27・28年)、日露戦争(明治37・38年)、第一次世界大戦(大正3年)、シベリア出兵(大正7-11年)と、戦争続きです。その中で、負傷して障碍者となった元兵士「傷痍軍人」も続出しています。こちらは、示威運動に合わせ、松亭(日比谷の松楼のことか)に集まって撮影した写真です。 「足1月9円」「盲目のデクの棒 月たった12円」など、それぞれが首から下げた紙に書き込んであります。「足 この勇士月たった9円 203高地」との札もあり、日露戦争の負傷兵が参加していたことが分かります。 こちらは、陸軍省正門前での示威行動です。「一将功成り万骨枯る」「閣下踏み台連」といった表現が

    戦場で負傷、帰国した兵士たちによる恩給増額の請願行動「後顧するなと大虚言つかれ」「隊長殿にだまされた」
  • 映画編集の岸富美子さんが死去 女性編集者の草分け | 共同通信

    女性の映画編集者の草分けとして活動した岸富美子(きし・ふみこ)さんが5月23日午前0時33分、老衰のため東京都小平市の病院で死去した。98歳。中国東北部生まれ。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長女千蔵真理(ちくら・まり)さん。 戦前から日映画の編集に携わり、1939年に旧満州に渡って満州映画協会(満映)に入社。敗戦後も中国にとどまって国民的映画「白毛女」などの編集を担当し、中国映画の草創期を支えた。日人が製作に貢献した事実は伏せられ、2005年までは「安芙梅」という中国名で記録されていた。共著に「満映とわたし」。

    映画編集の岸富美子さんが死去 女性編集者の草分け | 共同通信
  • 天安門事件から30年目の初証言──元「人民解放軍・女性記者」が見た“地獄”(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース

    kabutomutsu
    kabutomutsu 2019/06/06
    "あの時の感情を問われた江は「そうね……。母親が強姦されたのにも等しい耐え難さ、とでも言えばいいのか……」" これ日本軍の暴虐の残響ですよね…
  • 「外交官アパート乱射事件」の謎=日本館員の洗濯シャツ撃ち抜く-天安門事件・中国:時事ドットコム

    「外交官アパート乱射事件」の謎=日館員の洗濯シャツ撃ち抜く-天安門事件中国 2019年05月31日07時14分 中国・北京の外交官アパートの窓や外壁に残った人民解放軍による銃乱射の跡=1989年6月(露口洋介氏撮影・時事) 中国で学生・市民を武力弾圧した天安門事件から3日後の1989年6月7日、北京中心部・建国門の大通り・長安街を通過中の人民解放軍部隊が、外交官アパートなどに向けて無差別に銃を乱射した事件があった。アパートの日大使館員の部屋では洗濯して中に干していたポロシャツの心臓部分を弾丸が貫通。なぜ各国外交官らを標的にしたのか、いまだ謎が多い。 【まとめ】天安門事件30年 ◇弾痕だらけの部屋 当時日銀から日大使館に派遣されていた露口洋介氏=現・帝京大教授=(61)は今も、穴の開いたポロシャツ、部屋内で跳弾した弾丸、弾痕だらけの部屋の写真の3点を大切に保管している。露口氏は長安街

    「外交官アパート乱射事件」の謎=日本館員の洗濯シャツ撃ち抜く-天安門事件・中国:時事ドットコム
  • 朝鮮は植民地ではなかった説について:データで見る植民地朝鮮史

    言葉の意味をすり替えて言論を破壊しごまかすのは、「いつものやり口」です。 まとめ ① 当時の日政府当局も植民地として扱った ② 定義上も植民地である ③ 学問の世界において通説である 2015年、愛知県のさる大学で行われた司書講習において、講師が「日による朝鮮の植民地支配」にふれたところ、休憩時間中に聴講者の誰かが横車なクレームを入れたらしく、次の時間でその講師が「正しくは併合でした、植民地だったと間違った事を言って申し訳ありません」と言わされる事故がありました。 間違ってなどいません。植民地期の朝鮮は、日の植民地でした。 が、よりによって大学という場所で、このような馬鹿馬鹿しいほど誤ったクレームがまかり通る事態は深刻です。 「あれは植民地支配だった」と自信をもって貫き、お馬鹿なネトウヨクレームは軽く一蹴できるよう、ざっくり材料を揃えてみることにします。 1、当時の日政府当局も植民

    朝鮮は植民地ではなかった説について:データで見る植民地朝鮮史
  • 「米国最後の奴隷船」を発見、110人を密輸

    *会員:年間購読、電子版月ぎめ、 日経読者割引サービスをご利用中の方、ならびにWeb無料会員になります。

    「米国最後の奴隷船」を発見、110人を密輸
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2019/05/28
    "クロティルダ号は何十年も秘密を守り続け、一部の人はこの恥ずべき出来事そのものを否定した"
  • ジェームズタウン (バージニア州) - Wikipedia

    位置 1608年ごろのジェームズタウンのスケッチ 1622年のインディアンによる襲撃を描いた木版画 古い教会の塔の廃墟 ジェームズタウン(Jamestown)は、イギリスが北アメリカに建設した最初の永続的植民地で、後のイギリス帝国の広大な植民地の端緒でもある。集落は現存せず、現在は歴史的遺構となっている。 位置[編集] 現在のバージニア州ジェームズシティ郡内、チェサピーク湾に注ぐジェームズ川河口付近の島上に位置する。 今日のジェームズタウンは、ウィリアムズバーグとヨークタウンとで作る歴史三角形として知られる重要な国家資産の一部(歴史的ジェームズタウン)であり、これら三史跡を結ぶ植民地道路の西終端でもある。 歴史[編集] 建設[編集] 1607年、ロンドン・ヴァージニア会社によってスーザン・コンスタント、ゴッドスピード、ディスカバリーの3隻の船で105名の植民団が北米植民地開拓に送り込まれた

    ジェームズタウン (バージニア州) - Wikipedia
  • 梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史』を今こそ読むべき理由 - 葦辺の車家ブログ

    honto.jp 1970年代に行われた梶村秀樹*1先生(1935-1989)の講演記録を一冊にまとめた『排外主義克服のための朝鮮史』は、朝鮮史の知識を網羅的に解説したものでありませんし、梶村先生が依って立つ学説の中には、最近の研究によってすでに否定されている見解もあります。それゆえ、「梶村秀樹の著作は、もはや読む価値がない」と言う人もいるでしょう。しかし、私が思うに、そのような人は書の意義を誤解しています。 『排外主義克服のための朝鮮史』は、決して朝鮮史の知識を網羅的に習得するためのものではなく、書名のとおり「排外主義克服のための」ものです。つまり、書でいう「朝鮮史」とは、単なる知識としての「朝鮮史」ではないのです。それでは、書でいう「朝鮮史」とはどういうものか。思うに、それは一言で言えば「朝鮮を主体として捉えた朝鮮史」です。日国民が学校教育などを通じて習得する「朝鮮の歴史」は、

    梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史』を今こそ読むべき理由 - 葦辺の車家ブログ
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2019/04/20
    "「日本国民のまなざし」も帝国主義的なイデオロギー体系の中で作り出された価値体系から免れえないのでありそうした「まなざし」で眺めた「朝鮮の歴史」は「朝鮮停滞史観」的な朝鮮を蔑視したものとならざるを得な"
  • ぢっとお札を見る - 私のエッジから観ている風景

    埼玉にはだれもが知っているような「偉人」がいないせいか、名の知られている偉人がちょっとでも関係あれば「埼玉とゆかりのある偉人」として無理矢理紹介する。 先日、埼玉の観光サイトを読んでいると太宰治が「埼玉とゆかりのある偉人」であることを知った。理由は『人間失格』を大宮で書いたかららしい。 埼玉県民のわたしは思わず、こうつぶやいた。 「知らねぇよ。」 どこで書きはじめたかなんてどうでもいいし、仮にそうだとしても「ゆかりがある」なんて実感が湧かない。 こうしなければいけないぐらいメジャーな偉人がいないのだ。 もちろん、それは埼玉に「偉人」がいないというわけではない。とりあえず、思い浮かぶひとは3人いる。 1人は江戸時代中期から後期に活躍した塙保己一だ。幼少のころ、病で失明したが、江戸に出て学者になり、日の国文学や国史をまとめた大著『群書類従』を編纂した。編纂の際に版木を「20字×20行」の40

    ぢっとお札を見る - 私のエッジから観ている風景
  • 「元号を廃止した中国は日本をうらやんでいる」? んなわけないだろw - 読む・考える・書く

    昨日TLに流れてきたツイート。 新聞に「中国では100年前に元号を廃止したので日を羨んでいる」という記事があったけど、何で日は他国が大昔に廃止したようなもんをありがたがってるんだって話。 — Tad (@CybershotTad) 2019年3月30日 どこかのバカウヨの妄想かと思ったら、なんと新聞記事だという。 調べてみると、共同通信が地方紙に配信した、それも署名記事だった。 四国新聞(3/28): 発祥の地から熱視線 中国も新元号に注目 百年前消滅、うらやむ声も 「次の元号も中国の文献から?」。元号発祥の地、中国でも4月1日の日の新元号発表に熱い視線が注がれている。国内メディアは、日の元号が中国から伝わり、中国古典に基づき決められてきたことに注目。中国で100年以上前に消滅した元号が、日で大切に受け継がれていることをうらやむ声も上がる。(1面参照) (略) 「新元号の発表は日

    「元号を廃止した中国は日本をうらやんでいる」? んなわけないだろw - 読む・考える・書く
  • 二・四事件 - Wikipedia

    二・四事件(にしじけん[1])は、1933年(昭和8年)2月4日から半年あまりの間に、長野県で多数の学校教員などが治安維持法違反として検挙された事件[2]。 弾圧の対象となったのは、県内の日共産党、日共産青年同盟、日プロレタリア文化連盟関係団体や、労働組合、農民組合など広範囲に及んだが、特に日労働組合全国協議会(全協)や新興教育同盟準備会の傘下にあった教員組合員への弾圧は大規模で、全検挙者608名のうち230名が教員であった[3]。このため、この事件は「教員赤化事件」、「左翼教員事件」などとも呼称された[1]。 4月までに検挙された教員のうち28名が起訴され、このうち13名が有罪となって服役した[4]。また、検挙された教員のうち、115名が何らかの行政処分を受け、懲戒免職や諭旨退職によって教壇から追われた者も33名にのぼった[4]。 この事件を契機に、全国各地で同様の弾圧が行なわれ

  • 工業化と所得:データで見る植民地朝鮮史

    帝国の支配下で朝鮮は工業化が進み豊かになったと言われますが、その恩恵はいかほどだったのでしょうか。 まとめ ① 工業生産は大きく成長したが、農業の実質生産額は一人あたり1.2-1.3倍程度の成長に留まった ② 工業従事者世帯の人が朝鮮人に占める割合は、1940年でも4.7% ③ 工業従事者など賃労働者の所得は、物価を加味すると、経済情勢により大きく上下しつつ実質的には向上しなかった ④ 朝鮮人と日人の間には概ね1.5倍を超える給与格差があった ⑤ 株主=会社の持ち主は9割が日人 ⑥ 1930年代の日による重工業は自己完結型が多く、地場産業への波及効果は疑問 ⑦ 重工業や発電所は北部偏重で、戦後の韓国には恩恵がなかったどころか朝鮮戦争北朝鮮の軍事力の支えに 最初に、朝鮮と帝国国の所得格差を見ておきましょう。 左グラフは1943年時点の日土)と朝鮮の一人あたり平均所得で

  • 戦時下にメディアの意地を見せた毎日新聞「竹槍事件」―国が亡びるかもしれないという時、黙っておれなかった

    「信州戦争資料センター 長野県から伝える戦争の姿」ブログの各種コンテンツを収蔵しています。問い合わせや情報提供は「オーナーへメッセージ」からお願いします。 こちらは、昭和19年2月23日付毎日新聞朝刊。トップ記事は東条首相が閣議で「戦局の現段階はまことに深刻」「一大勇猛心をもって突進するのとき、そこには必ずや難局打開の途があるのである」などと発言したことを据えています。ところが、この新聞は発禁処分となります。 「勝利か滅亡か」の記事では、米軍が太平洋の島伝いに進行してきている現実を地図と併用して解説。「緒戦の赫々としたわが進攻に対する敵の盛り返しにより、勝利か滅亡かの現実にならんとしつつある」と強調した。そして「大東亜戦争は太平洋戦争であり、海洋戦である。(略)土沿岸に敵が進攻し来るにおいては最早万事休すである」とし、遠く離れた海上の島を争う戦闘こそが焦点であることを説いた。 これを受け

    戦時下にメディアの意地を見せた毎日新聞「竹槍事件」―国が亡びるかもしれないという時、黙っておれなかった
  • 南京事件-日中戦争 小さな資料集

    サイトは、南京事件、及び日中戦争についてのホームページです。 私の関心は、「事実は何か」ということにあります。イデオロギー的なものは極力排し、事実は事実として描く。私はサイトを、そのようなスタンスで製作しています。 ときどき、内容をよく読まないままに、この点を誤解したコメントをいただくことがありますので、念のためにお断りしておきます。