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philosophyに関するkenjiro_nのブックマーク (134)

  • 【格差社会】 平野 啓一郎さん - 西日本新聞

    【格差社会】 平野 啓一郎さん 2014年09月01日(最終更新 2014年09月01日 13時34分) 平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)さん=作家写真を見る ◆「正直者は馬鹿」説の愚   今世紀になって「格差社会」が問題になるにつれ、「社会ダーウィニズム」的な言説も喧(かまびす)しく復活した。彼らは言う。経済的な「弱者」は単に怠惰であり、そんな連中を、どうして汗水垂らして働いているわれわれが、税金で養わなければならないのか? 「正直者が馬鹿(ばか)を見る」世の中はゴメンだ、と。 P・J・ボウラーの『進化思想の歴史』によれば、一般にヴィクトリア朝時代の情け容赦ない資主義が起源と目されている社会ダーウィニズムは、必ずしもダーウィニズムではなく、むしろもう一つの進化論の仮説を唱えたラマルクの影響を受け、「適者生存」という造語を広めたスペンサーの思想に多くを負っているという。そして、それ自体

    【格差社会】 平野 啓一郎さん - 西日本新聞
  • 内田樹の思想 - しっきーのブログ

    内田樹(うちだたつる)って知ってる?ひょっとしたら、今最も「影響力」のある思想家かもしれない。神戸女学院大学の教授をしてて、現在は退職して「凱風館」という道場をかまえている。思想家であり、合気道を修める武道家でもある。 凱風館です。合気道を習えるみたい。 内田樹の思想は好き嫌いが別れると思う。というより、受けつける人は受けつけるし、受けつけない人はまったく受けつけない種類のものだ。内田樹は25歳のときからずっと合気道に打ち込んでいて、身体感覚に根ざした発想で話を展開する。切り口や扱うトピックを変えながら、身体に染み込ませるように同じことを繰り返し言う。彼のは、まるで道場に通って武道の練習をしているかのような読み心地なのだ。 内田樹を批判する人も多いが、そういう人の気持ちはわかる。内田樹は「科学的」とされる論の進め方をしていない。科学にとって大事なのは「反証可能性」で、理系だったら同じ実験

    内田樹の思想 - しっきーのブログ
  • 命の教育の話 - 価値のない話

    2014-07-28 命の教育の話 命は大切にしましょう。 命はこの世でいちばん大切なものです。 命は地球より重いのです。 そんな言葉で「命の教育」と言っているなら、それは「子供ではないものの自己満足」だと思う。「命の教育」という言葉自体おかしい。そもそも「命は大切である」と教育しなければいけないこと自体がおかしいからだ。 地球上に生きる生命は、「生命を維持すること」を目標として生まれている。生まれ、栄え、子孫を残して死んでいく。そのサイクルで何億年もやってきた。増えすぎて種の保存が難しくなると能的に数を調節したり、環境に応じて適応する形に進化することで命の継続を図ってきたから、今の我々がいる。ところが我々が生命維持を放棄しようとしている。これは生き物全体にとっての反逆行為だ。 そもそも「何故生きなければならないのか」「どうして死は訪れるのか」という問い全てが生命に対する反逆だ。「どうし

    命の教育の話 - 価値のない話
  • イノベーションを 技術革新って、言うなああああああああ!!!!!(湯之上 隆) - 個人 - Yahoo!ニュース

    私は、企業や大学などで毎年20回ほど講演を行う。講演では必ず、「イノベーション=技術革新」が「誤認識」であり、これこそが日にイノベーションが起きなくなった元凶であると説明する。 では、イノベーションとは何か? 経済学者のシュンペーターは、「イノベーションとは発明と市場との新結合」と定義した。 簡単に言えば、「爆発的に普及した製品」となる。 爆発的に普及することが重要なのであって、技術が革新的かどうかは一切関係がない。 だから技術開発を行った段階では、何もイノベーションは起きていない。 その技術を使った製品が爆発的に売れて初めてイノベーションが起きたと言えるのである。 例えば、 2006年にソニーが開発したプレイステーション3(PS3)。PS3には、ソニー、東芝、IBMが、5000億円を投じて、500人の設計者が5年かけて開発した革新的なスーパープロセッサ「Cell」が使用されていた。 私

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/04/21
    「言うなああああああああ!!!!!」とか恥も外聞もない否定をするものいいけど、対案を出そうよ。
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  • 正しさを超えていく - 狐の王国

    いまさらながら マイケル・サンデル教授のこれからの正義の話をしようをちまちまと読み始めたのだが、ひとつの「正義」というのは往々にしてさほど正義として受け入れられないことが多い。 このは序盤に災害時の便乗値上げに関する考察が展開されるのだが、311 を経験した我々日人にとっても非常に身につまされる話だろう。 これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) 作者: マイケルサンデル,鬼澤忍出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2011/11/25メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 204回この商品を含むブログ (68件) を見る 災害が起きた時に商店が値上げをしなかったら、お金と時間のある人が物資を買い占めてしまう。時間が取れずにあとから駆けつけた人には物資が回らない。物資の値段が上がれば買い占めも防げるし、それによってあがった利益を元に災害で壊れた道路などをかい

    正しさを超えていく - 狐の王国
  • リベラルのことばが届かない - 擬似環境の向こう側

    ネット上では「サヨク」や「リベラル」を嘲笑し、罵倒する言葉に溢れている。 そもそも、誰が「サヨク」で誰が「リベラル」なのか、いまいちはっきりしないのだが、たとえば『朝日新聞』でよく見るような意見の持ち主を指すと考えていいんじゃないかと思う。護憲、歴史修正主義に反対、国際的融和の重視、反ナショナリズムといった主張がそれにあたる。他方で、格差や貧困の是正や社会保障の拡充などは典型的な左翼的主張だとも言えるが、この点についてはそれほど批判されない。 いずれにせよ、ここではそうしたリベラルの「ことば」が届かないという事態について考えてみたい。まず、12月25日の『朝日新聞』に掲載された星野智幸さんの論説を一部紹介しておこう。 それにしても、不思議に思う。あれほど政治や社会を熱く語ることを毛嫌いし、冷淡だった人たちが、今にしてなぜ、こうもナショナリズムに入れ込んでしまうのか。(中略) ナショナリズム

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  • 内田樹氏のどこがだめなのか: 黒木の世迷い言

    政治の美学化」と「美学の政治性」という2つの概念がある。 「政治の美学化」とは、政治的な議論を正しいか正しくないかではなく、美しいか美しくないかに置き換えてしまうこと。 「美学の政治性」とは美しいか美しくないかがいかに政治に作用してしまうか、という問題系のこと。 僕らよりの上の世代の仏文研究者には「政治の美学化」を好むものが多い。積極的に政治を語り、文学理論や所謂現代思想を応用することによって現状を分析し、自らの政治的前衛を誇るのである。その分析は面白いのだが、では具体的にどうすれば良いか、と問うと「現実を見ろ、という場合、この現実とはイデオロギーにしかすぎない」とか「直接行動を説く欺瞞性を弾劾しなければならない」とか「何もしないことが一番過激な政治運動なんだ」とか「具体的な政策を考えるのは政治家や官僚の仕事だ」などと言って、はぐらかす。 結局は、政治的発言を行なうことで格好つけているだ

    内田樹氏のどこがだめなのか: 黒木の世迷い言
  • 脱社畜とは嫌労働ではなく労働のコントロールを自分に戻す環境作りである - Guinea Pig

    私の観測範囲が狭いせいか、脱社畜と言う単語でネットを見回すと、つまり働かないための言い訳作りの材料に終始しているように見受けられる。 (そもそも、簡単にn倍の利益なんて個人の努力で出せるわけがないのでこの仮定すらほとんど意味がないのですが)n倍の利益を叩きだしても給料はn倍にならないから頑張るだけ無駄である、とか、自分の生活時間を会社に合わせて生きるのは人間らしくない、みたいな論調で、つまり会社のために自分の人生を差し出すのはやめよう、みたいなアプローチで話を進めていく。 もちろん、その主張自体は間違っていないが、その通りに行動しても人生は打開されない。単純に気持ち良い言葉を並べているだけである。(そして、こういう書き方に対しては「やりがい搾取だ」とか「苦労が人を成長させるとは限らない」みたいな、一見まともそうに見えて、さらに気持ちの良い言葉を重ねてくる) このまやかしのタネは、単に用語が

    脱社畜とは嫌労働ではなく労働のコントロールを自分に戻す環境作りである - Guinea Pig
  • はてなブログ

    思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。

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  • ストレス耐性が異様に低いわたしの生存戦略 - インターネットの備忘録

    どっちかというと最近は「生きること」より「死なないこと」にフォーカスしてます。 誰のせいにもしない 誰かを責めようとすると自分も責めることになるから。そして誰かのせいにしたとしても、それは解決につながらないから。 自分のせいではないトラブルは絶対に起きるものとして、予めリカバリ方法や次の手を考える習慣をつけておくこと。しかもなるべくたくさん。 過去をいじくらない 過ぎてしまったことは変えられないから、「どうしてああしたんだろう」「もっとああしておけばよかった」は考えない。 変えられないことについていつまでも考えていても、ただ辛さが募るだけ。辛がってるのは心地よいかもしれないけど、周りにとってはいい迷惑。 ただし、そうなった理由と解決策を考えるのは別。問題と仮説と回答。 悔やむなら活かす 失敗は絶対にする、そしてそれなり長く生きると似たようなパターンにハマるときが来るので、同じ間違いを繰り返

    ストレス耐性が異様に低いわたしの生存戦略 - インターネットの備忘録
  • ネルソン・マンデラの死。人類救済という理想の終わり。 | ブログ運営のためのブログ運営

    世界から大きな物語が消えつつあることは散々指摘されている。大きな物語の終わりとはなんぞやと考えると、その根幹は人類を救済するという思想の終焉なのである。キリストが人類救済の世界宗教を提唱してから、われわれはずいぶん人類救済を試みてきたはずだが、その少なからずは侵略や虐殺や思想弾圧であった。20世紀の共産主義は唯物論によって地上の楽園を作り、すべての人類を救済するはずだったが、無惨な結果に終わったのは言うまでもない。 人類を救済するという思想は、キング牧師やネルソン・マンデラのように実を結んだこともあるが、もはや行き詰まっており、人類全体を救済する思想(狂気)はもう誰も唱えていない。そこそこ人権思想が浸透し、それが一段落ついたので、個々人が生き残るゲームに関心がシフトしている。今の世の中はカンダタが蜘蛛の糸を登り切れる時代なのである。「蜘蛛の糸」はカラマーゾフの兄弟にも似たような話が出てくる

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2013/12/10
    この手のワイドショー的言説を行う人たちが理想主義に唾を吐くことに積極的なのはなんなんだろう?
  • 日本人が苦手な議論。あるいは、いかにして民主主義は死に至るか。 - デマこい!

    人は議論が苦手だと言われている。が、これは「自分の意見をはっきり言わない」ぐらいに理解されている場合が多いようだ。議論の種類や方法について語られることは滅多になく、無遠慮な恫喝で他人を黙らせるのが「議論の上手い人」と見なされてしまう。 ■マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術 マイケル・サンデルのこの講演によれば、民主主義とは物事の「質」について議論し、合意を形成していくことをいう。この社会の何が大切で、何がそうでないのか、物事の「質」に立ち返って議論しなければ判断を下せない。民主主義とはただの多数決ではなく、社会の構成員すべてが納得できる価値観を探り出すプロセスのことだ。 そして日人は、この「質について議論する」のが苦手なのだろう。 たとえば「秘密保護法反対デモの参加者は顔をマスクで隠すな! 自分の秘密は大事なのかよww」という言葉を2chで見かけた。この書き込みをした

    日本人が苦手な議論。あるいは、いかにして民主主義は死に至るか。 - デマこい!
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2013/12/10
    というかなぜ日本人(へたすると東アジア人全般?)がフィロソフィカルな議論が下手なのか、という話が読みたかったのだが。
  • 日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき - 狐の王国

    多くの日人が、日は無宗教で自分は無宗派だと思い込んでることは、たびたび各所で指摘されている。実際そう感じてる人が多いのだろうなとは思う。 だが事実はそうではない。日はとても宗教的な国だし、日人はすごく宗教的だ。 もちろん特定の宗教団体に帰依してるわけではない。帰依するだけが信仰ではない。もっと原始宗教に近いものを、日人は持ち続けている。 たとえば因果応報という考え方。これは仏教の教えだが、多くの日人がこの考えに沿って行動倫理を律している。良いことをすれば幸せが訪れる、悪いことをすれば不幸になる。なんとなく多くの日人はそう思って生きてる。 万物に魂が宿るというのも、非常にアニミズム的であるが、多くの日人はなんとなくそれを感じ取っている。物を大切にしなさいと教え教えられるとき、道具の手入れを怠るなと言い言われるとき、日人はそこに宿るべき魂を感じ取っている。 なんとなく身につけ

    日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき - 狐の王国
  • 【時流自流】作家・辺見庸さん「現在は戦時」:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

    喉がしきりに渇いた。喫茶店で向き合った辺見庸さんの問いに、即座に答えられずにいた。 「現在は平時か。僕は戦時だと思っています。あなたが平時だと思うなら、反論してください。でないと議論はかみあわない」 安倍晋三政権が集団的自衛権の行使に向け、憲法解釈を変えようとしている。なりふりかまわぬ手法をどう見るか、そう尋ねた後だった。 「十年一日のようにマスメディアも同じような記事を書いている。大した危機意識はないはずですよ。見ている限りね」。いらだち混じりの口調。低くゆっくりとした声が耳の奥深くに重たく響く。 「日中戦争の始まり、あるいは盧溝橋事件。われわれの親の世代はその時、日常生活が1センチでも変わったかどうか。変わっていないはずです。あれは歴史的瞬間だったが、誰もそれを深く考えようとしなかった。実時間の渦中に『日中戦争はいけない』と認められた人はいたか。当時の新聞が『その通りだ』といっ

  • もうひとつの知られざるオープンソース 〜 ウェブ企業のOSS戦略

    「オープンソースソフトウェア(OSS)」と聞いて、あなたがイメージするものはなんですか? 多くの人は Linux や Apache、Firefox といった成功した大規模なソフトウェア製品を思い浮かべることでしょう。 実は、ウェブ上でサービスを提供する会社のエンジニアたちは、これらとは別の種類のOSSを使って仕事をしています。このブログエントリでは、そのようなOSSを紹介し、それらがなぜ開発され使われているかを説明したいと思います。 ■ウェブ企業におけるOSS開発の実例と合理性 下の図は、Perl で記述される大規模ウェブアプリケーションの一般的な構成を示しています注1。このうち、「自社ロジック」と書かれているところ以外は、全てオープンソースとして開発/公開されているモジュール(ソフトウェア部品)です。各社のエンジニアが密接に協力しながら、ミドルウェアをオープンソースとして整備していること

    もうひとつの知られざるオープンソース 〜 ウェブ企業のOSS戦略
  • 自分の商品価値を落とさないためだろ - 紙屋研究所

    ちきりんが「ネットでは議論しない」と言っているんだけど、 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120813 その理由は“議論して結論を一つに決めるのは多様性の否定だから”ということだそうで…。 単純に、ちきりんが議論しない=体サイトのコメント欄を非表示にして、はてなブックマークの表示にも厳しく制限をかけているのは、自分の商品価値が落ちるからだろ。 ちきりんがツッコミどころ満載の極論を書く。 普通はコメント欄が燃え上がる。いや、炎上はまだ「極論」を商売とするうえではいいかもしれないけど、はてなブックマークのコメントになると嘲笑に近くなる。 そういうものがエントリといっしょに出てくると、もう極論を売りものにしているというより、ただの珍論、頭の悪そうな意見になってしまう。 自分の商品価値が下がる。 そういう商品の見せ方が嫌なんだろ。 あえてちきりんの議論に乗ってみ

    自分の商品価値を落とさないためだろ - 紙屋研究所
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  • 國分功一郎・古市憲寿『社会の抜け道』 - 紙屋研究所

    革命と改良 社会問題の解決、ということについて、古市と國分が語り合っている。一言で言って、國分が論じて古市が突っ込んでいる。だから國分のだといえる。このは社会問題の解決、ということがテーマで、オビにあるように、「あらゆる社会問題は『解決』しない。けれど、必ず“抜け道”はある」ということが主張の核になっている。 そして…なぜか書には随所にマルクスが登場する。そんなに必然性があるとは思えない箇所にいろいろマルクスが。マルクスが社会問題の解決として意識されているのだ。まあ、國分がドゥルーズがどうした、フーコーがこうした、と言っている哲学者なのだからその前提になっているマルクスが「チラッチラッ」と意識されて当然なんだけど。 ということは、そう、これは「革命と改良」をめぐるだといえる。 「革命と改良」はマルクス主義では古くからあるテーマだ。 改良を積み重ねて社会を改革するのか、それとも革命

    國分功一郎・古市憲寿『社会の抜け道』 - 紙屋研究所
  • やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと

    コラムニストの石原壮一郎氏は、震災直後、事務所で付けっぱなしにしていたラジオから『アンパンマンのマーチ』が流れてきたのを聞き、思わず落涙した。そして自分がレギュラーを務めているラジオ番組の企画で「被災者を元気づける曲」として、この曲を躊躇わずイチ押ししたという。なぜそれほどまでに心を揺さぶられたのか。 「震災で被災地の悲惨な状況を見て心を痛めたり、原発事故で不安を感じたり、モヤモヤとした複雑な感情が入り交じっていたと思うんです。その中でこの歌が、たとえいろいろなことがあっても人は生きて行かなくてはならないんだということを教えてくれました。漠然とした生きる事への不安に対して、それでも生きていけと励ましてくれたのです」 人々を勇気づけるこの歌はどのように誕生したのか、どのような想いが込められているのか。自ら作詞を手がけた「アンパンマン」作者で今年92歳、漫画界の大御所やなせたかし氏に、ノンフィ

    やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと