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無いという存在のつくに関するkusukusunokiのブックマーク (1)

  • [無いものの存在]_02:無いものの在り方|青木彬

    手術前日の主治医とのカンファレンスで驚いたことがある。 患者が希望すれば切断した足は火葬して骨壷にいれて貰えるというのだ。 そんなサービスがあるのかと驚き、迷わず「欲しい」と即答した。 術後、硬膜外麻酔(術中から術後しばらく背骨に入れ続けている麻酔)で意識がぼんやりしている最中に医師が紙袋を手に持ち仰々しく病室に入ってきて「先日火葬が済んだ足になります」と届けてくれた。 骨壷によって知らされる肉体の一部が先に死んだという感覚は、嘘のようでもあるけど右足がもう無いことを改めて実感させてくれた。もらったは良いけど今は保管場所を迷っている。 来年、喫茶野ざらしという喫茶店兼イベントスペースを作るのだけど、野ざらし感は抜群にあるけど、そこにずっと祀るのもな…。 もしくは2020年だし、アキラ(彬)の名を持つ一人なので、新国立競技場に埋めようと提案をしてきた友人もいた。大覚アキラ様である。 体の一部

    [無いものの存在]_02:無いものの在り方|青木彬
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2019/12/19
    幻肢痛は存在の履歴、履歴が感じとれれば無い身体がつくれるか。"大切なのは“あった”という事実とは違い、存在の無さを知覚していること""「無い」は存在が消滅していることではなく、無いという存在自体を指す。"
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