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研究者に関するkusukusunokiのブックマーク (7)

  • 8割おじさん・西浦教授が語る「コロナ新事実」

    ――新型コロナウイルスの流行状況を理解するために、現在、多くの国民が報道などを通じて実効再生産数について学んでいますね。 2009年に新型インフルエンザの流行があったとき、初めて日の全国紙の一面記事に再生産数という言葉が登場した。それから10年ちょっと経って、今回の新型コロナでここまで広く詳しく論じられるようになったのは、画期的なことだと思っている。 重大な責任負う実効再生産数という指標 ――改めて話せば、基再生産数は、すべての人が免疫を持たず感受性を持つときの、1人の感染者が生み出す2次(新規)感染者の平均値。いわば、病原体の素の感染力を示すものです。これに対して実効再生産数は、実際に1人の感染者が生み出している2次感染者の平均値で、さまざまな現実の対策の影響を受けているものと位置づけられます(詳細は4月22日付「科学が示す『コロナ長期化』という確実な将来」を参照)。 現在、実効再生

    8割おじさん・西浦教授が語る「コロナ新事実」
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/05/26
    全ての人が同質に振る舞う計算でなく異質性を導入した計算では、行動制限なしでも累積罹患率は50%に届かず、集団免疫率も(基本再生産数2.5で)20~40%で済むという論文。数理疫学者は世界で200~300人で知合も多く年代も近い
  • それにしても、なぜ?――『〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺――1972~2016』(4)

    私は脳出血で、2014年11月20日に、虎の門病院に運び込まれた。それからほどなく、小金井リハビリ病院に転院した。そこに半年間、2015年6月の初めまでいて、家に帰った。半身不随のままだった。 西村玲さんは、2014年3月に、「『私、結婚する』と突然、親に宣言」し(「年譜」)、精神科医でクリニック勤務の男性と婚約、11月に式を挙げる(『遺稿拾遺』には、男性は実名で記載されている)。 西村さんは、講義の都合があるので、東京の実家で暮らし、2015年の4月から、倉敷で結婚生活に入った。 6月には、イタリアで新婚旅行に出かけている。 私が、友人たちのおかげで、快気祝いの席に出られたのは7月で、このとき西村さんは、東京にいて出席されている。 場所は出版クラブだった。私が、結婚したんですね、と声をかけると、ええ、とためらいがちに、微笑みを浮かべておられた。 それ以上の話はしなかった。とにかく私は、か

    それにしても、なぜ?――『〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺――1972~2016』(4)
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    kusukusunoki 2019/04/10
    ある研究者3/3。離婚にもなかなか応じてもらえず。"仕事、研究のことがまるで別世界のように思える。それだけのことをされたんだから"。離婚届を出したあと鎰死。
  • 森 Q之介 on Twitter: "ご両親から恵投された『西村玲遺稿拾遺――一九七二~二〇一六――』(私家版、2019年1月25日)の終わりの方だけ読了。2016年2月2日に急逝された西村さんの最晩年と最期をはじめて知った。こんな酷い話があるのかよ……。 https://t.co/8bhaSMUZpL"

    ご両親から恵投された『西村玲遺稿拾遺――一九七二~二〇一六――』(私家版、2019年1月25日)の終わりの方だけ読了。2016年2月2日に急逝された西村さんの最晩年と最期をはじめて知った。こんな酷い話があるのかよ……。 https://t.co/8bhaSMUZpL

    森 Q之介 on Twitter: "ご両親から恵投された『西村玲遺稿拾遺――一九七二~二〇一六――』(私家版、2019年1月25日)の終わりの方だけ読了。2016年2月2日に急逝された西村さんの最晩年と最期をはじめて知った。こんな酷い話があるのかよ……。 https://t.co/8bhaSMUZpL"
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    kusukusunoki 2019/04/10
    ある研究者2/3。安定を求め、女性経験もない14歳上の精神科医と結婚。しかし相手は統合失調症の病歴を隠していて結婚後の症状悪化で発覚。相手の被害妄想・幻聴・執拗な攻撃性などで苦しめられ鬱に。
  • 「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた:朝日新聞デジタル

    大きな研究成果を上げて将来を期待されながら、自ら命を絶った女性がいる。享年43歳。多くの大学に就職を断られ、追い詰められた末だった。 西村玲(りょう)さん、2016年2月2日死去。 東北大学で日思想史を学んだ。江戸中期の普寂(ふじゃく)という僧侶に注目した仏教の研究で、04年に博士(文学)に。都内の多摩地区にある実家に戻って両親と同居しながら、研究に打ち込んだ。 翌05年、日学術振興会の「SPD」と呼ばれる特別研究員に選ばれた。採用された人に月額約45万円の研究奨励金を支給する制度だ。「これで(研究で使う)がバンバン買える」と、両親に喜びを伝えた。「もらったお金の分は、研究成果で返さないといけない」 年に論文2、学会発表4。自らにノルマを課し、経典などを大量に運び込んだ2階の自室にこもった。数少ない息抜きは両親と囲む卓。箸を動かしながら、研究の内容を早口で熱く語った。「覚えたこ

    「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた:朝日新聞デジタル
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    kusukusunoki 2019/04/10
    ある研究者1/3。学振SPD(特別研究員)、日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞(毎年5~6人で文系は1~2人で宗教研究としては初の受賞)。SPDは3年、それ以降は両親の年金が頼り。20以上の大学に応募したが不採用。
  • WEB特集 九州大学 ある“研究者”の死を追って | NHKニュース

    去年9月7日の早朝。福岡市の九州大学で火災が発生した。現場は、大学院生が使う研究棟。所狭しと研究室が並ぶ「院生長屋」と呼ばれる場所だった。キャンパスの移転で、取り壊しが始まるやさきに事件は起きた。焼け跡から遺体で見つかったのが、K、46歳。九州大学の博士課程まで進み、9年前に退学した男で、誰もいなくなった研究室に放火し、自殺したと見られている。九州大学は、Kが利用資格を失った後も、無断で研究室を使っていたと説明した。 ともすれば、この事件は注目を浴びることもなく、忘れ去られていたかもしれない。しかし事件後、その死をめぐり思わぬ波紋が広がった。ネット上に、「あすはわが身」など、Kにみずからの境遇を重ね合わせる研究者たちの悲痛な叫びがあふれたのだ。Kの死が投げかけたものはなんだったのか。私たちはその人生をたどることにした。(報道局社会番組部ディレクター 森田徹/福岡放送局ディレクター 水嶋大悟

    WEB特集 九州大学 ある“研究者”の死を追って | NHKニュース
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    kusukusunoki 2019/01/18
    染物会社を営む家の長男、勉強も運動もできる優しい人間、父の破産で一般高校に行けず自衛隊少年工科学校に入学しいじめにあう、21歳で九大に合格、大学院へ進むも在籍期限37歳で退学、700万超の奨学金、独語も堪能
  • 朝永振一郎教授の「思い出ばなし」

    (注)朝永振一郎氏(1906-1979)は京都大学の出身であるが、理化学研究所仁科研究室を経てライプチッヒ大学に留学(ハイゼンベルクに師事)、帰国後1941年に東京文理科大学の教授となられ、新制東京教育大学の発足に伴い1949年から1969年まで、東京教育大学理学部物理学科および光学研究所の教授を務められた。その間、1956年から1962年の2期6年間(1期4年間、再任2年間)にわたり、東京教育大学の学長を務められ、東京教育大学の発展のために尽力された。朝永氏が学長をされていた時代は後年教育大関係者によって「朝永時代」と呼ばれるようになり、東京教育大学がもっとも輝いていた時代、東京教育大学の黄金時代と見なされるようになった。教育大学新聞会は、学長退任直後の1962年、朝永教授に過去の「思い出ばなし」の連載企画を提案したが、教授はこれを快く引き受けられ、24回にわたって当「教育大学新聞」の紙

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    kusukusunoki 2018/08/12
    健康不安もあり何一つ楽しくなかったという学生時代、痔の悪化で実験は出来ない、人見知りで友を作る勇気がない、研究に一生の情熱とは言えない我が身、功名心の減少とやる気の減少。弱音と迷いに満ちた思い出。
  • 物理の秀才・広瀬健一が麻原の「浮揚」を信じた瞬間 <教団エリートの「罪と罰」(5)> (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

    医師、弁護士、科学者……「宗教国家」を夢想した麻原彰晃の下には、高学歴で才能あふれるエリートが集まっていた。26日に死刑が執行された、東大卒の死刑囚・豊田亨、麻原の「浮揚」信じた… 続きを読む

    物理の秀才・広瀬健一が麻原の「浮揚」を信じた瞬間 <教団エリートの「罪と罰」(5)> (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
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    kusukusunoki 2018/08/01
    東大大学院、成績上位1割しか入れない難関研究室で素粒子理論を研究。(空中浮揚を力学的に測定した)データを見せてもらったが、明らかに脚の力で跳んでいた。それを見てもおかしいと思わず、教義への信を失わなかった
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