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ボルボラ @zairic0 江戸時代の人たちは権利意識が高く、労働基準法違反を見つけると即座に立ち上がり、弁護士に相談し訴訟を起こし勝利と不払い賃金、そして精神的苦痛を味わった賠償金とをもぎ取ったものです。現代人はそれができなくなって久しく、まことに残念なことです。 #江戸しぐさ 2015-06-10 12:19:39 ボルボラ @zairic0 もちろんノーリスクだったわけではありません。訴訟で負けることもあるでしょう。しかし正義のために立ち上がり、民衆の生活を変えるために自らリスクを背負うその姿を、江戸時代の人は『粋』と呼び、たいへんな尊敬を集めていたのです。 #江戸しぐさ 2015-06-10 20:28:53
まとめ 駄菓子菓子@看取るスレ(二代目)さんの政治・官僚の方面から見たコンテンツ業界関連のお話 表現規制問題、国立メディアセンター構想などについてコンテンツ業界サイドと違う立場の方からの意見はあまり聞けないので、貴重だと考えてまとめさせていただきました。 ※関連まとめ:駄菓子菓子@看取るスレ(二代目)さんから見たコンテンツ業界関連のお話:補足 http://togetter.com/li/508451 40169 pv 1054 28 users 36 高村武義 #WalkAway @tk_takamura 国立メディアセンター構想の頓挫が、漫画やアニメへの児童ポルノ規制や、青少年健全育成基本法に繋がるというのは、完全に大嘘。業界が掌返したから、というのも違う。国立メディアセンター構想以前に、自民党が児童ポルノ禁止法や青少年健全育成基本法などでメディア規制を推進してきた背景がある。 201
スクランブル、というものをご存知でしょうか。航空自衛隊の戦闘機が緊急発進することです。日本に対する領空侵犯を防ぐためです。領空侵犯とは許可無く日本の空に押し入ってくることです。 未確認機接近の知らせが入ると、空自の基地からただちに戦闘機が飛び立ちます。パイロットがただちに戦闘機に飛び乗り、すぐさま離陸するのです。 飛び立った日本の戦闘機は未確認機に近づき、領空侵犯を防ぎます。このまま進むと領空侵犯にあたるぞと注意し、誘導します。相手機がそれに従わなければさまざまに警告し、それでも駄目なら機関銃の威嚇射撃をおこないます。 このような領空侵犯対処のスクランブルは1年に300回近く行われています。 このため航空自衛隊は24時間、即応できるよう常に備えています。夜中だろうと、盆や正月だろうと、いまこの時も例外はありません。パイロットは待機し、戦闘機にはミサイルを装着して、いつでも出られるようにして
法務図書館に眠っていた約2万点の史料を整理した高山京子さん(右)と手伝った藤井祥子さん=東京・霞が関の法務省、延与写す 法務省の法務図書館に長年眠っていた戦前戦後の史料約2万点の整理が3月末で終わり、15冊の目録にまとめられることになった。旧司法省時代の立法過程など日本の司法制度の成り立ちがうかがえる、法制史研究の貴重な資料になりそうだ。長く司書を務めた名物職員が定年後、仲間と1点ずつ内容を確認しながら10年がかりで完成させた。 検事から司法大臣に上りつめ、戦前の刑法改正作業や司法制度調査会の審議に携わった岩村通世の残した文書や、戦後占領期に連合国総司令部と司法省とのやりとりをまとめた文書、貴族院議員も務めた法学者で旧少年法の制定に携わった山岡万之助関係の文書などがある。明治時代に司法省が集めた江戸期の裁判事例も含まれていた。 中心になって取りまとめたのは、司法法制部非常勤職員の高山
2009年02月(1) 2009年01月(9) 2008年12月(3) 2008年11月(6) 2008年10月(6) 2008年09月(5) 2008年08月(6) 2008年07月(7) 2008年06月(5) 2008年05月(4) 2008年04月(7) 2008年03月(5) 2008年02月(5) 2008年01月(3) 2007年12月(5) 2007年11月(9) 2007年10月(4) 2007年09月(9) 2007年08月(1) 2007年07月(5) 今回はゲーム業界の裁判沙汰をピックアップ。 教科書はゲームラボ99年7月号「電脳事件簿」。 んじゃスタート。 テレビゲーム業界提訟年表 1978年(昭和53年) インベーダーブームでコピー基盤が横行。タイトーが海賊版を訴える。 1981年(昭和56年) アメリカで猛威を奮っていた
自分がモデルガンで遊んでたのは、マルゼンが「エアーソフトガン」という名称で、 エアガンを発売して間もなかった頃から、マルイの電動ガンが発売されるちょっと前まで。 火薬で遊ぶ「モデルガン」もまだまだ元気で、エアガンはすべて、スプリングを手で圧縮しないと、 弾が撃てなかった。ガスで動作するエアガンだとか、ましてや電動ガンなんて、まだ誰も考えもしなかった。 モデルガンという小さな文化が、プラモデルという、もっと大きな文化に呑み込まれた頃のお話し。 エアガン以前 金属モデルガンがまだ真っ黒だったのは、昭和48年の規制まで。 火薬の反動が肩に来る亜鉛合金製で、新聞には「ガンマニアの犯行」なんて、 違法改造して実弾発射可能になったモデルガンが報道されてたりした。 表現規制法に反対する人達が憂慮する未来というものは、モデルガンが好きな人達にとっては、 すでに通り過ぎた道だった。 規制以降、手元の金属モデ
知的財産権法に関する研究の第一人者として知られ、知的財産戦略会議や文化審議会などの委員も務める東京大学の中山信弘教授が、2008年3月末で東京大学を退職する。同氏の最終講義が1月22日に行われ、同氏が教鞭を振るった約40年間における知財をめぐる環境の変化、知財法制や人材育成などに関する今後の課題などを説いた。中山氏は4月以降、西村あさひ法律事務所顧問として引き続き知財関連の業務に携わっていく予定。 40年前の知財法は「諸法」の1つだった 中山氏は東京大学法学部を卒業後、1969年に助手として東京大学に就職。学生時代に師事した教授の下で著作権法の書籍の編集作業を手伝ったことがきっかけで、知財法に興味を持ったという。以来、一貫して知財法を専門としてきた。「当時は、知財法がドイツ語の直訳で『無形財産権法』と呼ばれていた時代。独占禁止法などと共に『諸法』と位置付けられていた。1973年に無形財産権
以下の論文は、2006年8月18日に札幌国際大学図書館で開催された、第49回北海道地区大学図書館職員研究集会での講演内容を整理したものです。 1 図書館の歴史と役割 時の流れとともに失われていく情報を記録し保存することは、 人類の歴史そのものといえる。 そうした記録や保存を意識的に行っていた担い手もまた、 極めて古い起源をもつといえるだろう。記録や保存には、 石碑や壁画といった移動が困難な媒体もあれば、石板、粘土版、皮革、 紙布といった移動が容易な媒体も用いられた。 そのうち移動容易な媒体を一個所に収集し保存することは、 管理や利用の便宜を考えれば、自然な発想である。わが国でも、 書籍類を公的あるいは私的に収集することが広く行われ、 各地に文庫や書庫などが形成されていた。 とはいえ、「物」としての書籍類を収集し保管するという発想が強く、書籍類の 「内容」を広く社会に流通させるという視点に欠
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