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ブックマーク / www1.odn.ne.jp (5)

  • 口実としての「自己責任」論

    イラクの日人人質への「自己責任」論とその背景について。これは野宿者「自業自得論」(自己責任論)と合わせるといろんな問題が浮かび上がるみたい。 ■その1■(2004.4.24) ここ何日か、人質問題での「自己責任」に関心を持って、新聞やネット上でそれに関するものを捜していろいろ読んでいた(「自己責任」論はいまや国民的話題だな)。その中でぼくが参考になったのは、特に「エロライター」松沢呉一の http://www.pot.co.jp/matsukuro/20040416_687.html 経済学者、批評家の浅田彰の http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/20040416/index.html 小説家の星野智幸の http://www.hoshinot.jp/diary.html ジャーナリストの江川紹子の http://www.egawashoko.com

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    FFF 2013/05/09
  • 『本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』『路上からできる生活保護申請ガイド』

    湯浅誠『当に困った人のための生活保護申請マニュアル』 ホームレス総合相談ネットワーク『路上からできる生活保護申請ガイド』 湯浅誠『当に困った人のための生活保護申請マニュアル』は一般市民の生活保護観、というか生活保護申請観(どんな観だ)を変える革命的なだ。ぼくもこので学ばされることがいっぱいあった。不明を恥じる他ない。 もっとも革命的なことは、「申請に対応する役人は平気でウソをつく。そしてウソの連続である」ということだった。 湯浅は、彼らを便宜的に「敵」と呼ぶ。もちろん「福祉事務所職員は血も涙もないのか?」というコラムを書いているとおり、彼らを「絶対的な敵」だと考えているわけではない。だが、わかりやすく心構えをつくるうえでは、彼らを乗り越えるべき障害と見なす以外にないのだ。 したがって、湯浅のこのは、まさに窓口職員との「戦闘」をするためのマニュアルである。章立てをみればそれがわかろ

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    FFF 2010/01/29
  • NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想

    NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想 ※NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」の感想こはちら ※NHKスペシャル「ワーキングプア 努力すれば抜け出せますか」の感想こはちら 07年12月15日放映のNHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」を見た。「海外のワーキングプアについて報道するらしい」という話を聞いていたから、「ああ、日の話はだいたいやっちゃったので、『海外でも広がっていますよ』『海外ではこうしてますよ』みたいなやつかな」というヌルい想像をしていたのだが、「ワーキングプアI」と「II」をつくったスタッフの力を甘くみすぎていた。 そのような、学生のレポートみてえなボケた一般論ではなかった。 日のワーキングプア問題がいきつく先が予想や推測の中ではなく、すでに「海外」という現実の中に存在しているということ、そして、日のワーキ

  • 竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』 - 紙屋研究所

    竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』 ※このテーマをはじめて読む人には少し分かりにくい、という評をいただいたので、ちょっと改稿。 『人は見た目が9割』の著者。 最近、まったく漫画には縁がなさそうな同僚(別の部署の上司)に『人は見た目が9割』をすすめられていたのだが、こんな「つながり」で再びこの著者と邂逅するとは思わなんだ。 著者は大学で教えながら現在は漫画原作などの著述業をしている。 「日初の漫画評論」? それにしても、このはすごい。すごすぎる。 いや、中身がすごいというより、なにせ「日初の漫画評論!」とオビに銘打っているのだから。はじめ「著者初の」かと見間違えたのかと思ったけど、何度眼をこすりをひっぱたいたりしてみても「日初の」と書いてある。 「はじめに」に、こうある。 「私には、マンガ研究家によるマンガ論が物足りなかった。マンガしか知らない人が多いのである。学

    FFF
    FFF 2006/02/17
     『人は見た目が9割』の著者
  • 短評2006年上半期

    03年短評 04年上半期 04年下半期 05年上半期 05年下半期 メニューへもどる 志村志保子『女の子の卓』2 卓にまつわる人生のエピソードを集めた短編。 2巻冒頭には、離婚した父親の新居を訪ね、そこで、もう自分たちの父親ではない父親を見てしまうという、ぼくが冬目景の感想のところで書いたような話が登場。その道具立てに「甘い麦茶」が使われる。自分たちの家庭の味ではない「甘い麦茶」を違和感なく飲み干す父親にショックを受けるのだ。 いやー、微妙だなあ。 1話完結で何がしかの感情を読者に残さないといけないから、「早く、うまく、まとめよう」という焦りがみえるのだ(ちなみにこの形式は1巻の終わりごろに定まったようだ)。ぼくは、安永知澄の短編集に「なにを描きたいんだかよくわからん」と苦情をいったはずなのだが、こういうふうに「わかりやすく」パッケージにされてもまた戸惑ってしまう。 ぼくは1巻を読

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