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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (20)

  • 関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記

    李建志君は、私の後輩である。中央大学を出て東大比較に来た。在日である。ちょうど私が阪大へ赴任する時に修士課程を終えたのだが、私と、つくば国際大学に就職する加藤百合さんの歓送会が平川先生宅であって、その時李君が、「日文化なんてのはみんな朝鮮から来たんですよ」とべらべらしゃべっていて、みな「?」と思いつつ、黙っていたということがあった。 その後、京都ノートルダム女子大学へ赴任したが、いつもジーパンを履いていて、何だか駅前のバンドで演奏でもしているような風体で、もてないもてないと言っていた。 2005年3月、東大の大澤吉博教授が急死した葬儀の時で、帰りに延広先生と三人で事をして、李君が落語に詳しいことを知った。私はそのころ、川柳川柳が好きだったのだが、「ガーコン」といえば川柳で、しかし李君は、古今亭右朝もやる、と言った。へえと思って、しかし右朝が先にやったと聞き違えて、その頃『文學界』に連

    関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2016/05/31
    在日朝鮮人たちは何の疑いもなく被差別民族でありお上品な人々が幾ら眉をひそめようがそこには『暴力で集団をまとめなければわが身を守れない』というアウトカースト独特の悲劇性がある。「闇」とか言ってる奴はバカ
  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/gendai-000203453/1.htm こういう見当はずれなことを言う人が出るだろうなと思ったのだが、芸能人の手記をゴーストが書くのは、芸能人としての実績があって、しかし文筆家ではないから。高峰秀子や森繁久弥は自分で書く。 菊池寛や川端康成も代作をさせたが、これは菊池や川端に、自分で書いた優れた作品があって、若くて金のない作家志望の若者に代作させて金をやるという意味もあった。 佐村河内は、どちらでもないのである。 (追加)そういえば、アイドルが歌手デビューするのに歌が下手だからゴーストが歌うなんてのもあったな。実話であるかは知らないが、オードリー・ヘプバーンが歌えないので「マイ・フェア・レディ」は吹き替えってのは有名だが、あれはまた別。なお歌が下手な時にドラマなどでよく「音痴」というが、歌の

    ■ - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2014/02/12
    もともとタレントというのは『嘘だからよかった』とこが必ずある。例えば私たちは津軽三味線の弾き語りを前にして彼らの本物の不幸、切っても切り離せない生い立ちその他のダークな部分を「でも幾らなんでも気の毒で
  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://www.j-cast.com/2013/12/18192103.html 石原慎太郎が、自分の原稿の掲載を拒否した『すばる』編集長の池田千春を「勇気ある女性」だと言っているが、とんでもない話である。私は2009年に小説「天皇の煙草」を同誌に持ち込んだが、街宣車が怖いからといって「天皇」を「あの方」などに改稿するよう要求されて拒否している。勇気あるどころかヘタレ編集長である。石原は怖くないが右翼は怖いらしい。

    ■ - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2013/12/23
    石原への対応に思想性はない(政治関係ない)。「書きたい」と言われたからとりあえず本人の刺激になりそうなとこ突っついて煽っただけ(仕事の範囲内。いざとなれば謝ればすむ)。いわば本人は「私がこんな事を言った
  • 江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記

    『川端康成伝』(中央公論新社)を書いていて、江藤淳がかなり川端を嫌っていたことを知った。同じ鎌倉に住んでいて、江藤は先輩への礼儀として著書が出ると送っていたが、川端は筆まめな人だから、そのたびに礼状をよこしたが、江藤はいっぺんも返事などを書かなかったという。『犬と私』(一九六六)を送った際、やはり礼状が来て、川端も長く犬を飼っていたので、先日十七歳になる犬が死んで、川端家では三十七、八年ぶりに犬が一匹もいなくなったとあった。江藤は、『文學界』に載った川端追悼文で、その手紙は表装して飾ってあるが、それは川端の手紙だからではなく、犬が懐かしいからだとわざわざ書いている。それは川端追悼特集の巻頭に来た長めのものだが、そこで江藤は、川端批判をしているのである。江藤はそこで、川端の文学は高度大衆社会の文学で、谷崎や志賀、荷風の貴族的な文学とは違っていると書いている。 一昨年死去した、川端研究の代表格

    江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2013/06/01
    江藤は元祖リア充(チャラ男)。当時花形な英文科女子大生のアイドル。田中を褒めたのも色好みに親近感を覚えたから。小林や川端への優位性もこの戦後価値観(モテ最強)が普遍に通じたから。芸術は思想でなく官能の選択
  • マジックリアリズム - jun-jun1965の日記

    マジック・リアリズムというのは、事典風に言えば、通俗小説を純文学に見せかけるために考案された技法、というところか。 20世紀半ば、いわゆる純文学は、死滅しつつあった。19世紀の小説の技法はおおかた通俗小説に流用されるようになり、純文学と言えるのは、前衛小説か、私小説くらいしかなくなっていた。そこへ、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』の亜流としてガルシア=マルケスの『百年の孤独』が出てきたものだから、人々は飛びついたというわけだ。いや、出版社などは、通俗小説でも良かったのだが、ちと良心が痛む。いくらかは「純文学」を尊重しているふりもしなければ、外聞(誰に対して?)が悪い。かといって、前衛や私小説は売れない。で、この路線なら、読者をたぶらかして、そこそこ売れるだろうと見込んだわけである。 フォークナーの「サーガ」の技法に、ラテンアメリカ的な諸要素で味つけがされて、エスニックな味わい

    マジックリアリズム - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2012/12/31
    純文学ですら100年の時を超え読継がれる本が何割あるか考えてみるべき。これは筒美京平問題と同じ。今や誰でも人類学や精神分析をつまみ食いして(でき)るからあれほど偉大だった技法が色褪せただけ。これは芸術の宿命
  • 私は通俗小説をバカにしているわけではない。 - jun-jun1965の日記

    私は通俗小説とか娯楽ものをバカにしているわけではなくて、常に、巧みなストオリイテリングで楽しませてもらいたいと思って読み始めて、失望するということが多いのである。 藤村の『破戒』というのはあれはストーリーテリングが巧みなのである。ところが藤村自身は、それ以後、二度とああいう手腕を見せなかった。中村光夫は、そのことを言えばいいのに、社会性がどうとか言ったために、以後の批評を歪めてしまったのである。 今日、ストーリーテリングの巧みさを言われることが多いのは、漫画映画やドラマである。『めぞん一刻』後半の巧みさは誰も言うところで、例のお墓のエピソードなど、当時みな讃嘆したところである。ただ結局それが「漫画」という、いくらか荒唐無稽でも許されるジャンルだからであることは、重要で、だからあの漫画映画化しても成功はしない。 ここに厄介なのは、ストーリーの巧みさは、パターンがいく通りかに決まっているの

    Midas
    Midas 2012/05/28
    「20世紀」が破綻したのは『企画段階で予め練り上げられてた大枠物語を』引き伸ばしすぎたから。モダニズム(特に芥川賞)芸術が評価するのは物語る行為の中にある『最初は何の話か作者自身も実は把握できてない部分』
  • 「現代文学論争」補遺2 - jun-jun1965の日記

    『忠臣蔵とは何か』論争と丸谷才一 丸谷才一(一九二五− )は、三島由紀夫や梅原猛と同年である。東大英文科の大学院を出て、國學院大学の教授をしており、作家として独立したのは四十を過ぎてからのことだ。若いころ、篠田一士らと同人誌『秩序』をやっており、一九五二年からそこに長編『エホバの顔を避けて』(のち中公文庫)を連載したのが、デビュー作ということになるがこれが単行として刊行されたのは六〇年のことである。その間、もっぱら、グレアム・グリーンやジェローム・K・ジェローム、また英文科の後輩で、のち東大教授になる高松雄一(一九二九− )らとともに、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を翻訳したことで、次第に名を知られていった。六二年に「彼方へ」を『文藝』に載せて文藝誌にデビューし、六六年に書き下ろし長編『笹まくら』を刊行し、好評を得て、河出文化賞を受賞した。 丸谷は、日の私小説批判で知られる批評家

    「現代文学論争」補遺2 - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2010/12/04
    83年6月「ジョイス・言葉・現代文学」が転回点。これを見る限り当時のグローバルスタンダードなジョイス論に誰もついてけてない。翌年以降「忠臣蔵」等の物語(含・人類学)へシフトしたのはある意味退行←美点かつ欠点
  • 「現代文学論争」補遺 - jun-jun1965の日記

    「現代文学論争」のために書いたのだが、分量の関係で割愛したものである。未完。 福田和也という謎 福田和也(一九六〇− )は、江藤淳、柄谷行人の衣鉢を継ぐ文藝評論家とされ、慶応義塾大学環境情報学部教授である。これまでいくつかの論争を行ってきたが、むしろ福田自身が、謎めいた人物、論争的な人物だと言っていいだろう。 福田は慶大仏文科の大学院に在籍して、修士課程で追い出され、実家の仕事を手伝いながら、フランスが一九四〇年にドイツに降伏したあとの、ナチス協力作家たち(コラボラトゥール)を論じた『奇妙な廃墟』(国書刊行会、のちちくま学芸文庫)を一九八九年に刊行した。福田は、このにはほとんど反響がなくがっかりしたと語っているが、実際には江藤淳がこれに目をつけ、翌九〇年七月号の『諸君!』に「遥かなる日ルネサンス」を「大型新人登場」という見出しとともに載せ、論壇デビューした。これは隔月で四回連載され、同

    「現代文学論争」補遺 - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2010/11/10
    福田のルーツは文芸でなくパンクバンドの追っかけ。文学史では町田康に代表されるミュージシャン上がりの系譜。一見危険そうな思想を振りかざすのはパンクだから。右翼でなくウヨ。評論家どまりなのは追っかけだから
  • 純文学作家はなぜ犯罪小説を書くか - jun-jun1965の日記

    何かと話題の吉田修一『悪人』を読んだ。私は吉田の「パーク・ライフ」をまったく評価していないし、『パレード』もどうということはなかった。前者は芥川賞、後者は山周五郎賞受賞作で、『悪人』はある意味最高峰の一つである大佛次郎賞、そして毎日出版文化賞を受賞している。大佛賞は、学者であれば60過ぎの大物でなければ貰えないものである。といっても吉田は受賞時41で、同年で受賞した学者もいる。 『悪人』は、ほぼ予想どおり、通俗小説であった。推理小説というより犯罪小説で、人情話でもある。しかしこのところ、純文学作家が、宮部みゆきばりの犯罪小説を書くというのがはやっているのは、純文学の行き詰まりの一端を示していると言えよう。実際これを、作者名を隠して読ませたら、多くの人が宮部と答えるのではないかとすら思う。 長編推理小説にはどれでも一つはミスがあると言われるが、これの場合、ほとんど現代版『砂の器』で、殺人の

    純文学作家はなぜ犯罪小説を書くか - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2010/09/23
    単純に日本文学に最も影響をもたらした犯罪推理小説は『罪と罰』でなく『黒猫(1人称私小説)』『モルグ街の殺人』。両者とも『罪と罰』より翻訳は古い。この事実が忘れられてる(含・ブログ主)のが「通俗化」の原因
  • 人間関係プロレタリアート - jun-jun1965の日記

    大学一年の時に「人間関係プロレタリアート」という言葉を見つけて、これだ! と思った。それこそがまさに、私が求めていた概念であったのだ。もちろん、自分がそうだという意味でである。しかし、サークルの読書会で、「それは××さんが人間関係プロレタリアートじゃないからですよ」と言ったら、いきなり三年生の先輩が「また、そういう言葉を使いたがるう〜」と嫌な顔をしたものだ。しかし使いたがったのではなくて、それこそ必要な概念だと思ったのである。 「もてない男女」というと、まだ、同性の友達はいるという含みを持ってしまう。同性異性を問わず、貧弱な人間関係しか持てずにいる者を表すために、必須の概念だと思う。それとも何か別の用語があるのか。 (カニさんが「非コミュ」と言っているが、それは違和感がある。コミュニケーション能力というのとは必ずしも関係ないから。ファッションセンスが悪いとか、顔が醜いとか、流行りものに疎い

    人間関係プロレタリアート - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2010/09/22
    人間関係プロレタリア←このジャーゴンの起源はアンチまたは非・人間革命(メリットになりそうな人とだけつきあう、もしくは他人の『よい』面だけを活かし人間関係を構築してくのが社会発展、即ち仏の道だという教え)
  • そして新書が一冊没になった - jun-jun1965の日記

    その新書の原稿は春ごろには完成していたが、十月刊行予定とのことでだいぶ待たされた。東大卒、20代、男の編集者Kは、『大河ドラマ入門』でひどい仕事をした奴で、その時『小説宝石』で宮崎哲弥氏と対談した際も、再校ゲラで宮崎氏の直しが反映されていないなど、この社の質の低下ぶりを窺わせるものがあったが、もう一回つきあったのである。 時間があるからブラッシュアップしましょうなどと言って、Kは、テクスト形式のままいくつか直しを提案したが、存外マイナーな修正しかなかった。 そして八月末になって、いよいよやるというのでゲラにして、校閲に見せるというので、私は用意しておいた「校正に関する覚書」を送った。以下のごときものである。 一、みだりに語の統一をしない。「とき」と「時」、「ころ」と「頃」などは、文脈に応じ、その周辺の漢字の量などを勘案して使い分ける。 二、差別語のむやみな規制はしない。「シナ」「看護婦」「

    そして新書が一冊没になった - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2010/09/04
    これは女でなく男のバカ左翼。編集者より年上。日本の校閲は単なる表記とFACTUAL VERIFICATION、訴えられた際の法務がごっちゃだから特に政治マターでは著者の立場でなく自分が民衆の代表のつもりで直してくるだけ
  • テレビに出ているつもり - jun-jun1965の日記

    臼井儀人らしい遺体が見つかったというニュースで、ミクシィのコミュを見たら「亡くなった方には申し訳ないけど臼井さんじゃありませんように」などという書き込みが散見されて、そんなことまで気にするかなあ、と思っていて、はっと気づいたのだ。 こいつら、自分らが、テレビに出演している人間のつもりなのである。というか、テレビに出演する人間をまねているのである。それで、禁止用語であるかのように「看護婦って言っちゃいけない」とか思うのである。 - 私が小熊英二が嫌いなのは、これがあるからである。 http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/02f1/pre/kobayashi-ai.htm もう十年くらい前のものが何で残っているのであろうか。まあ発表者が『江戸幻想批判』を参照してくれたからホッとしたが、こんなスカスカで間違いだらけのを授業に使うなよ、と当時思った。 しか

    テレビに出ているつもり - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2009/09/22
    その通り。有名人気取りも甚だしい。だがこれは大衆文化以前の世界観。彼らは「つもり」でなく逆に現実の解釈がTV基準。何かの功績で発言権を得るのでなくバカであるほどその人はセレブ、アイドル、リーダーなのだ
  • フランドルの冬 - jun-jun1965の日記

    品切れになってはいるが、加賀乙彦の『フランドルの冬』を読み始めて、ほどなく頭を抱えてしまった。いちおう、後の方へ行くと、「コバヤシ」という日人の医師が中心になるらしいのだが、始めはほとんどフランス人ばかり出てくる。フランス小説の翻訳だと言われても信じてしまいそうだ。そして江藤淳が「フォニイ」と言って嫌った理由がひたすらよく分かる。作り物じみているのである。最初の小説にしては達者だが、ではフランス人が書いたものとして読んだらいいかというと、それも分からない。医学関係の細かい用語が出てくるが、それは有吉佐和子が服や調度について細かく書くのと同じような感じしか与えない。 辻邦生も「フォニイ」だからそういうところがあるが、『背教者ユリアヌス』は、一種の通俗歴史小説として読めばよろしいが、加賀の場合はそうではない。こんなにうまいんならいっそ通俗小説を書いたらいいのではないかと思えるところがある。平

    フランドルの冬 - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2009/07/30
    時代小説は歴史でなくタイムトラベルSF(例・戦国自衛隊)の亜種。登場人物のメンタリティが全くの現代人。所謂外人小説もこの構造の踏襲。「過去(異国)にも我々と同じ人々がいた(る)んだ」はイデオロギー操作の基本
  • いいかげんにしてよアグネス - jun-jun1965の日記

    斎藤孝とかに眼をとられて、渡部昇一先生がものすごい量のを出しているのに気付かずにいた。半分くらいは対談なのだが、あのバリバリ右翼の渡部先生と、木田元とか林望とか白川静とかが出しているのが意外。 - おとといあたりのニュースで、宮沢りえのヌード写真集が児童ポルノになるかどうか国会で議論されたとあった。アグネス・チャンが出てきて、児童ポルノの犠牲者はずたずたになり、とか話したそうだが、宮沢りえがずたずたになっているか。バカものが。ピューリタンの国へ帰れと言いたくなる。 なら宮沢りえを国会へ呼んで、ずたずたになりましたかと訊けばよい。 私が恐れているのは「絵は守る派」の日和見的態度だ。東浩紀もこの一派ではないかと睨んでいる。だいたい「松文館事件」の時から、「絵はいいが写真は」派というのがいて、恐ろしくてしょうがない。 もはやこれはキャサリン・マッキンノンの、ポルノ規制のためなら保守派とも手を

    いいかげんにしてよアグネス - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2009/07/04
    そもそもアグネスのミニスカにハアハアした団塊とシラケ世代に責任があるという考えかたもできる。その子供の世代に今や彼女は復讐してまわってるのだ。女版「嵐が丘」のようなもの。
  • やっぱりバカだと思う - jun-jun1965の日記

    これだけ報道されているのに今なお振り込ませ詐欺に引っかかるなどというのは、半分ボケた老人でなければバカである、という声を気にしたのか、「毎日新聞」夕刊に、「巧妙な手口」が紹介されている。江戸川区に住む74歳女性に「お母さん、俺だよ」と電話があり、印刷会社に勤める40代の長男だと思い込み、「相談があるんだ。でも今日はやめとく」と思わせぶりに電話を切り、翌日昼ごろ、「夫のいる女性を妊娠させた。慰謝料がいる」と電話、それから一週間ほど続けて電話があって計260万を振り込んだという。「恥ずかしいから、誰にも話さないで」と涙ながらに訴えるので、8日になるまで夫にも話さなかったという。 ・・・どこが「巧妙な手口」なのか。だいたい、そんなに何度も話していて、息子ではないと気づかないのもおかしいし、自分から息子に電話して確認しないのもおかしい。それとも息子はそういうことの常習犯なのか? わけが分からん。

    やっぱりバカだと思う - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2008/10/16
    これをブードゥというアングルから検証→携帯電波を通じ無くしてしまった愛(孫のピンチ、税金)を取り戻せると指令が下ると意志のないゾンビ(死人)の様に指示に従ってしまう。今や日本はハイチや南米程度の文化レベル
  • 黒古一夫の村上春樹論 - jun-jun1965の日記

    私は『反=文藝評論』に徹底的村上春樹批判論を載せた時、黒古一夫による春樹論を見落としていたらしい。あの時はかなり網羅的に春樹論を見たはずなので、不明を恥じる。黒古には三冊の「村上春樹」を表題に含む著書があるが、うち一冊は私のあとで出たものである。また『村上春樹と同時代の文学』は、1990年のものだが、実際に春樹に触れているのは、『TVピープル』の時評めいた一文だけで、しかも最新の『村上春樹 「喪失」と「転換」の物語』は、第一部が『村上春樹 ザ・ロスト・ワールド』と同じなので、事実上黒古の春樹論は一冊しかないと言ってもいい。 つまらぬことから書くと、黒古は、『風の歌を聴け』を春樹の「デヴュー作」と書いている。古い文章から最新のまで「デヴュー」である。教養のないライターや佐藤亜紀などがよくこういう間違いをしでかすが、六十を過ぎてなお、「デヴュー」を英語のdeviewか何かだと思っているのだろ

    黒古一夫の村上春樹論 - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2008/09/26
    その通り。凡庸な思想や芸術ほどすぐに忘れさられるものはない。それ故いつも新しく、そして外来に見えるのだ。流行とは瞬間という名の永遠である/村上春樹はかくれ天皇主義ではないか。かくれキリシタンと同じく
  • 読んだけどつまらなかったよ - jun-jun1965の日記

    ちょいと前の日経新聞で佐々木敦とかいう人が、今の小説はダメだと言う人がいるが、読まずに言うのはおかしい、と言っていたのだが(ただし取材記事)、うーん具体的にどこのどなたさんが、読まずにそういうことを言っているのか、ちと教えて欲しいのであるが、別に私は今の小説がダメだとは言っていないし読んでもいるのだが、これは佐々木なるお方が推奨する古川日出男とかを読まねばならんのだろうと思って読み始めたが、三島賞受賞作は実につまらなかった。この人は通俗作家らしいので、そっちの代表作らしいアラビアなんとかの「大仰文体」に、またかとうんざりさせられた。 「大仰文体」は擬古典的なところもあるので、起源を探れば、中世の軍記物語や浄瑠璃にまで遡るし、歴史小説や大河ドラマ、ファンタジーやSFにも淵源するだろうが、私がはっきり最近の大仰文体の始祖と思えるのは、富野喜幸(由悠季)で、1979年のノベライゼーション『機動戦

    読んだけどつまらなかったよ - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2008/09/06
    さっきケーブルTVつけたらシャアが「認めたくないものだな、若さゆえの過ち…」て言ってて確かに大仰だと思った。個人的には平野啓一郎退屈としか感じれないので、l11先生には是非その魅力を語って貰いたいと思う
  • 加藤周一を讃える - jun-jun1965の日記

    先日、さる若者のインタビューを受けた際、私が、加藤秀一の恋愛結婚論に触れたら、出来上がってきた原稿には「加藤周一」と書いてあって、ふむ、東浩紀を尊敬しているらしいこの若者は、加藤秀一を知らないのだな、と思ったのだが、むろんそれは修正し、彼がさらなる勘違いをしないために「ちくま新書」と書き加えておいたのだが、それでふと、書棚にあった加藤周一の『続・羊の歌』を読過した。 私が正編『羊の歌』を読んだのは、確か大学へ入った年だから、それから四半世紀をへて続編を読むことになったわけだが、正編を読んだ頃私は、戦前の東京の裕福な家庭に生まれ育ち、琴を弾くような母を持ち、夏は軽井沢の山荘にあって中野好夫と語り、東大医学部にいながら仏文科の授業に出て中村真一郎と語る姿に憧れた。どういうわけか、こののことを思い出すと、果たしてそれを読んでいた時のことだったのか、それとも軽井沢からの連想か、大学三年のころサー

    加藤周一を讃える - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2008/08/13
  • 史上最低の芥川賞受賞作 - jun-jun1965の日記

    最近でいえば、中村文則と双璧をなす。漢語表現をそのまま使っているほか、変な日語が散見される。中味にしても、何ら小説である必然性がなく、これなら、ドキュメンタリーかノンフィションを読んだほうがいいだろう。白英露とかいう女の描写も中途半端だし、「梅」とかいうに至っては、何も描かれていない。まるで明治40年以前の青春小説の出来損ないで、青年二人が主人公なのに、尾崎豊がどうのこうの言っているだけで、「性」については何も書いていないというのが、いかにもシナ人らしい。同人雑誌に載って埋もれていくべきレベルの「小説」である。 石原慎太郎は欠席したそうだが、選評は文章で書いてくれるのではないかな。もっとも、石原が出席しても、受賞作に変りはなかっただろう。 豊崎由美は今回の受賞作に激怒しているが、小川や川上に気で期待していたのか? 豊崎と大森望の「メッタ斬り!」が始まって以来、芥川賞の選考は文学オタク

    史上最低の芥川賞受賞作 - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2008/07/21
    芥川は35、男の折返し点で死んだから新人の冠となった。ニート高齢化の今、ズレた。改善策。芥川賞は神経症、三島賞は変態(例・セバスチャン)に与えるようキャラわけ。10人に1人は拒否する位でないと賞でない
  • 丸山鉄幹? - jun-jun1965の日記

    こないだテレビに出た時、藤原帰一先生が、「丸山眞男ってのは父親は丸山鉄幹っていう・・・」と言っていて、「鉄幹?」と思ったんだが、父親の幹治と兄の鉄男がごっちゃになったのか、与謝野鉄幹とごっちゃになったのか。 で、それは赤木智弘の話を私が持ち出したためなのだが、その赤木がこんなことを書いている。 http://www.journalism.jp/t-akagi/2007/12/post_257.html 河野さんを松サリン事件の犯人に仕立て上げ、彼の人生をめちゃくちゃにした露悪趣味のマスコミと同じだ。 河野義行の人生をマスコミがめちゃめちゃにした? 冗談言ってはいけない。河野の人生をめちゃめちゃにしたのは、そもそもサリンをばらまいたオウム真理教であって、河野が懸命に擁護している奴らだよ。河野の最大の不幸は、が今なお病床にあることであって、それは警察やマスコミがやったことではない。オウムが

    丸山鉄幹? - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2008/01/16
    篠沢(洪水)理論と同じ社会断絶が日本にもあり、それは95年なのだ/当時のズブズブなマスコミを「マスコミ」と呼べるかは人それぞれ。現象としてのオウムが犯人扱いしたとも言える。凡庸な通念で満足してはならない
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