いや熱くなりすぎでしょ。民青が自治会の主流派な大学が複数あって、よりたちが悪いとも言えるんだよ。 普通にカルトだからな。 http://dailycult.blogspot.com/2014/04/blog-post_22.html?m=1 「正体を隠した勧誘(偽装勧誘)が、対象者の自由意思を侵害するものであり違法であることは、統一協会に関係する裁判で認定されているところである。政党なら同じ事をやっても許されるなどということはあるはずがない。」
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。 最近よくあの頃のことを思い出すので適当に書く。 いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。 受験地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。 そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。 受験日前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry 当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。 お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に
統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント系大学での統一教会の扱いについて説明するよ。 https://anond.hatelabo.jp/20220710130132 因みに日本のミッションスクールはイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どがプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師の資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。 プロテスタント校では統一教会は絶対敵認定 日本の多くのプロテスタント教会は統一教会と戦っているので、そのミッション校である大学では統一教会の活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない。 特にピリピリしているのが学内での勧誘や原理研の偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。 もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、
歳を重ねるに連れ、生きることの無意味さを切実に感じる今日この頃。 日本の昔を描いた物語と同じように、仕事や家族を捨て出家することを夢見る。 外部から隔離されたコミュニティで、外部にとって何の役にも立たない「修行」をして、死ぬまでの暇つぶしを行う。 もちろん、そんな生活は私にとって無意味だが、まあ、生きることが無意味なのは、この現実生活においても同じなのだ。 だから、心を千々にみだす世の中の雑事から身を離せる分だけ、出家後の生活は現実生活より快適であろう。 そして、その隔離されたコミュニティが自分の死ぬまでのサポート媒体になってくれるのは魅力的だ。 まあ、十分な治療も好ましい話し相手も期待できないだろうが、別にそんなものは、この現実生活における自由くらい求めていない。 しかしながら、少なくとも現代においては、宗教なんて信頼できない。 その理由は詳しく書かないが、まあ、共感してもらえるだろう。
浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい
機械じかけのオレンジって何が凄いの? https://anond.hatelabo.jp/20180113204136 ここで書くこと『時計じかけのオレンジ』は凄いけど、聖書を読まない日本人にとってはピンとこないテーマを扱ってるので、「何が凄いの?」という疑問が生じるのももっともだ。という話を書く。 『時計じかけのオレンジ』のテーマは何か『時計じかけのオレンジ』のテーマは、キューブリック監督曰く、以下の通り。 本作のテーマは、自由意志の問題と関係がある。もし善悪の選択ができなくなれば、私たちは人間性を失うのではないか?タイトルが示すように、時計じかけのオレンジになってしまうのではないか? それってどういうこと?この説明を読んだとき、多くの人はもっともらしい顔をして「ふんふんなるほどね」と思うのだけど、その実ぜんぜん分かっていない。何故かと言えば、説明中の「自由意志」という言葉の意味が分かっ
宗教まなんでる人間が、無宗教の人間と結婚するリスク。 http://blogos.com/article/111805/ 宗教まなんでる人間からすると、無宗教者は学の無い(精神的に未熟な)野蛮人に見える。 無宗教の野蛮人を舐めていると痛い目を見る。 利己的(自分さえよければ他人はどうでもいい)で他人に冷たく、自我を抑制できないし、 調子の良いとき、順調な時は情緒は安定してるけど、 何か問題が起きると直ぐに情緒不安定になる(信念が無いから) だから、宗教学んでいる人間からすると、 同じ宗派以外の人間と付き合ったり結婚するのは極力避けたいのが本音。 宗教学んでいる人間としては、無宗教者に常に利他的に行動するけど、 利他的であるが故に無宗教者から好かれたとても、全力で拒絶すべし。 この相談者のケースとしては、野蛮人と結婚したことが妻の最大の失敗だった。 友人も同じ、常に利他的に接してきたのに、
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