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岡山と郷土史に関するNEXTAltairのブックマーク (1)

  • 拾ヶ堰の偉業 ―安曇野水土記

    現在の穂高町一帯には広大な原野が残されていた。 これらの横堰の総集編ともいえる拾ケ堰[じっかせぎ]が誕生するのは文化13年(1816)。 同じく奈良井川から水を取り、この大複合扇状地の中央を約570メートルの等高線に沿って横切り、約1000ヘクタールの水田を潤すという安曇野一の大水路である。 長さ約15キロメートル、勾配は約3000の1。 3キロメートル進んで1メートル下がるという勾配は、例えば槍ケ岳(標高3180メートル)の頂上が横に1メートルずれる程度の、ほとんど誤差に近い領域での処理である。いうまでもなく、近代的水準器や望遠鏡もない時代、鍬[くわ]やモッコだけによる手掘りの水路である。 しかも、この工事は着手から、わずか3ヵ月という驚異的な早さで完成されている。安曇野の冬は厳しい。春の訪れとともに工事を開始し、梅雨に入るまでに完成させねばならなかったのである。賦役[ふえき]者の人数は

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