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歴史と岡山に関するNEXTAltairのブックマーク (5)

  • テレビの歴史番組で「宇喜多直家がお好み焼きが好きだったと言ってくれ」と言われて断ったら「先生が言えば番組が成立するんです」とお願いされた

    渡邊大門〔株式会社歴史文化の研究所代表取締役、博士(文学)、十六世紀史研究学会代表〕 @info_history1 テレビ歴史番組で困るのは、根拠のない嘘を言ってくれというのがあるんだよな。昔、「宇喜多直家がカキオコ(牡蠣入りのお好み焼き)が好きだったと言ってくれ」と言われたが、根拠がないので断ったら、「先生が言ってくれたら番組が成立するんでお願いします」と言われたが、知らないし関係ねえよ。 2023-02-04 10:05:40

    テレビの歴史番組で「宇喜多直家がお好み焼きが好きだったと言ってくれ」と言われて断ったら「先生が言えば番組が成立するんです」とお願いされた
    NEXTAltair
    NEXTAltair 2023/02/05
    先生自体が胡散臭い/追記 地元の好み焼き屋のおばちゃんに聞けば即否定されるようなことを聞きに行くような取材するか?って意味での胡散臭いだったが、どうも渡邊大門それいぜんで胡散臭いらしい
  • 桃太郎の岡山起源説に不都合な鬼ノ城問題

    1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:近くに新宿がないのに西新宿? 兵庫の西新宿へ > 個人サイト オカモトラボ 桃太郎ゴリ押しの裏にあるもの 全国的にも周知の通り、岡山は桃太郎を一点張りでゴリ押ししている。 岡山空港の愛称は岡山桃太郎空港だ。 岡山の桃太郎一点張りとゴリ押しは生粋の岡山県民である僕から見てもちょっとどうかと思うほどで、当サイトの記事でもたびたび指摘してきた。 岡山空港で荷物が流れてくるベルトコンベアーに桃太郎が流れてくる。 実は(あまり知られてはいないが)岡山の桃太郎ゴリ押しは根も葉もない妄言という訳ではない。 一応の根拠が存在する。 岡山に古くから言い伝えられてきた温羅(うら)伝説だ。 温羅伝説についての絵。岡山市発行「吉備津彦と温羅

    桃太郎の岡山起源説に不都合な鬼ノ城問題
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    NEXTAltair 2023/02/03
    id:maketexlsr 埋立地好きの岡山県民が解説すると埋め立てる前はほんとに島だった。 吉井川、旭川、高梁川から流れる土砂が自然の埋め立て+干拓事業を何度もやってる。 桃太郎は柳田 國男を読んでくれ青空文庫にないけど
  • 「世界遺産的ドライブイン」閉店へ 運転手憩うプレハブ:朝日新聞デジタル

    岡山市南区箕島の国道2号沿いにあるドライブイン「平田事センター」が16日、34年の歴史に幕を下ろす。24時間営業で、学生や運転手の憩いの場。「平(ひらしょく)」の通称で親しまれた。客はセルフ式でカップ酒の空きビンに水を入れて飲み、名物のおでんを夏でも味わえる。かつてゲームセンターも併設された、ユニークな店だった。閉店を知って往時を懐かしむ声がインターネット上にあふれ、「最後にもう一度」と駆けつける人もいる。 国道2号岡山バイパスを岡山市内から倉敷方面に向かう車中、目に飛び込んでくるのは赤い大きな看板に白字で書かれた「24時間営業 平田事センター」。プレハブ平屋建ての屋根は店のPRの看板だらけ。「ご飯が一番おいしい店」「この不況、安いが一番」。かすれて消えそうな文字に哀愁が漂う。 今月7日夜、「平」の店内の客は数えるほどだった。建物と駐車場で計1万3千平方メートルの敷地には大型トラッ

    「世界遺産的ドライブイン」閉店へ 運転手憩うプレハブ:朝日新聞デジタル
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    NEXTAltair 2015/06/13
    岡山のバイク乗りといえばここか一本松、かもがわ円城だったんだが1つ歴史が終わる
  • 拾ヶ堰の偉業 ―安曇野水土記

    現在の穂高町一帯には広大な原野が残されていた。 これらの横堰の総集編ともいえる拾ケ堰[じっかせぎ]が誕生するのは文化13年(1816)。 同じく奈良井川から水を取り、この大複合扇状地の中央を約570メートルの等高線に沿って横切り、約1000ヘクタールの水田を潤すという安曇野一の大水路である。 長さ約15キロメートル、勾配は約3000の1。 3キロメートル進んで1メートル下がるという勾配は、例えば槍ケ岳(標高3180メートル)の頂上が横に1メートルずれる程度の、ほとんど誤差に近い領域での処理である。いうまでもなく、近代的水準器や望遠鏡もない時代、鍬[くわ]やモッコだけによる手掘りの水路である。 しかも、この工事は着手から、わずか3ヵ月という驚異的な早さで完成されている。安曇野の冬は厳しい。春の訪れとともに工事を開始し、梅雨に入るまでに完成させねばならなかったのである。賦役[ふえき]者の人数は

  • 全国4位の巨大古墳、人口激減期に築造 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    全国4位の規模を誇る岡山市の造山(つくりやま)古墳(5世紀前半、全長約350メートル)が人口の激減期に築かれていたことが、松木(まつぎ)武彦・岡山大教授(考古学)の研究で分かった。 地域の人口が増加したことで大規模な古墳築造ができたとする定説を覆す成果として注目される。 岡山県の瀬戸内海沿岸で出土した弥生時代末から古墳時代の住居跡1011戸を約70〜100年ごとに細分して、変遷を分析した。その結果、347戸と最も多かった弥生末〜古墳時代初頭(2世紀後半〜3世紀前半)から、古墳時代前期前半(3世紀後半)には174戸に激減。同前期後半(4世紀)には47戸と最少になり、造山古墳が築造された同中期前半(5世紀前半)も58戸と低調だった。 3世紀は、ヤマト王権が纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)を拠点として、奈良盆地南東部に大型の前方後円墳を築いた時期。だが4世紀前半に纒向遺跡は急速に衰退、5世紀

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