タグ

ブックマーク / blog.szk.cc (11)

  • デザインだけが批判たりうる

    批判的な思想の弱さ この数年、というかコロナ禍以後、「思想」というものに対してまったく期待が持てなくなっている。個別の思想の内容に、ではない。ほんとうなら、何かを伝え、誰かと別の誰かをつなげるはずの言葉が、誰かを傷つけたり、というより、傷ついたぞ、どうしてくれるんだと詰め寄られたり、そのせいで人々がいがみあったりするものになっていることに辟易している。あるいは、ちょっとした言葉尻を気にして「そういうこと言うとまた炎上するのでは」と怯えたり、センシティブになっている人を見かけたりするのも苦しい。 まず確認しておきたいのは、ここでいう「思想」はいわゆる哲学とか現代思想とか、あるいは文化人類学や精神分析、宗教学など、とりわけ人文系の学問と関わりの深い理論的な思考のことを指している。だから、個人の経験に基づく信念とか、世の中を生き抜く知恵みたいなものとは違って、「役立つ」ことを必要としていない。強

    デザインだけが批判たりうる
  • 没入型エンターテイメントについて考える « SOUL for SALE

    3月1日に東京・お台場にオープンした「イマーシブ・フォート東京」。事前に大きな話題を読んでいたことや、この分野について以前に論じていたこともあって、春休みのタイミングを利用して行ってきた。結論から言うと、自分が論じていた「没入性(イマーシブネス)」について実践的な取り組みが行われていることが確認できた一方で、今後に向けた課題も感じるものだった。 まず押さえておかないといけないのは、「イマーシブ」が2020年代のエンタメのキーワードになりつつあるということだ。イマーシブなエンタメには大きく言って、「イマーシブ・ミュージアム」のように、既存の絵画を動画化してプロジェクション・マッピングとして投影するタイプのものと、今回のイマーシブ・フォート東京のように演者が演劇を行う場面に一緒に参加できる「イマーシブ・シアター」がある。イマーシブ・シアターには、「ひろしまナイトミュージアム」のように舞台と美術

    没入型エンターテイメントについて考える « SOUL for SALE
  • 愛にできることはまだあるか ー 『すずめの戸締まり』をめぐって « SOUL for SALE

    公開直後に観に行って、ほんとうに声を上げて泣く寸前まで嗚咽したのが、新海誠の最新作『すずめの戸締まり』。過去2作と比べてもエンターテイメント性の高い、アクションありコメディあり感動ありの高い完成度には舌を巻いたし、ものすごいスクリーン数で公開されていたことを考えても、興行収入は記録的なものになるだろうという印象を持った。周囲に聞くと人によっては「難しい」という声もあったのだけど、公開直後から良質なレビューブログもたくさん書かれていたので、以前のような考察を書くほどでもないかなと思っていた。 ただ、少し時間がたってあらためて振り返ってみると、自分の気になっていた点について論じている人があまりいなかったことや、それが自分自身の考えてきたこととシンクロする論点であることにも気づいてきて、それならば、と少し書いてみることにした。以下では作品へのネタバレを含むものの、作品そのものへの批評や感想ではな

    愛にできることはまだあるか ー 『すずめの戸締まり』をめぐって « SOUL for SALE
  • ランキングから降りる

    大学教員になってから、年の暮れというものの感覚がずいぶん変わった。確かに学生たちの卒業論文・修士論文が大詰めの時期だからあまり気の休まることはないのだけど、一方でレギュラーの授業がない時期だというだけで、あるいは事務職員との打ち合わせや会議が入らないということだけで、普段よりものんびりできるようにも思える。考えごとをする時間が増えるから、1年を振り返りながら、余計なことばかり考えてしまうのは若い頃と変わらないのだけれど。 ただ今年に関しては、振り返っても「辛かった」「苦しかった」という思いがフラッシュバックするばかりで、あまり有意義なところはないかもしれない。たしかに昨年のように多くのものが止まってしまうという状態ではなくなった。だけど、「どの程度まで動くかは各自の判断に任せる」という世の中全体の方針が、昨年以上に僕たちをバラバラにしたように感じる。どのくらいリモートワークを続けるのか。い

    ランキングから降りる
    amamako
    amamako 2022/02/18
  • 反抗なきロックの時代 « SOUL for SALE

    若い時分、僕の周囲にはロックミュージシャンしかいなかった。アマチュアからベテランまでたくさんの人たちと関わって、たとえば「ミュージシャン」と「芸能人」の間にある微妙な差だとか、フリーランスの演奏家として生きていく彼らの職業意識だとか、そういうものを学ばせてもらっていた。概して彼らは低姿勢だったけど時によっては「ロック」な立ち居振る舞いで、彼らの語る70年代や80年代の武勇伝を聞きながら、さすがにビール瓶で頭を殴られて流血こそしなかったものの、これでも時代はマシになった方なのだろうな、と感じていたものだ。 いいとか悪いとかの話ではなく、それはある環境が生み出した生き方だったのだと思う。そして、産業化され、大きな市場になっていた90年代の音楽シーンにおいては、衝動的な自己表現が溢れた結果としてのロックの居場所は、かつてよりは小さくなっていた。「マス」という存在を意識できる演奏家たちは、その変化

    反抗なきロックの時代 « SOUL for SALE
  • 雑記20180212 « SOUL for SALE

    1970年代〜80年代の哲学・思想の世界で「ポストモダン」という考え方が流行した。人々がそこから受け取ったのは「絶対のものなんてないんだ」という相対主義の考え方だった。人の見方はそれぞれ、価値観もそれぞれ、生き方もそれぞれ。だからそこにひとつの価値で介入するのはよくないよね、ということ。 社会学のいまの研究の基盤をつくった人たちの思想的背景には、おおむねこのポストモダンの思想がある。もともと相対主義と仲のいい価値観を有していた社会学にとっては、いまでもこういう見方は根強いし、「主流の見方に対して別の視点からものを言う」ことが、それだけで意義を持つという立場で社会学を考える人も多い。 ところで僕は社会学と並行して政治哲学の研究もしているのだけど、そちらの世界では90年代以後、ポストモダンの思想は扱われなくなりつつある。代わって登場するのは「価値観が人それぞれの社会を否定せずに、その人たちを結

    雑記20180212 « SOUL for SALE
  • 対談:鈴木謙介×東浩紀「1995/2015――いま人文知は必要か」 « SOUL for SALE

    鈴木謙介×東浩紀「1995/2015――いま人文知は必要か」 @hazuma 前売2600円(1ドリンク付き)/ゲンロン友の会会員証または学生証のご提示で2100円(1ドリンク付き)に! 詳細 当日券は3100円 (1ドリンク付き)です。ゲンロン友の会会員証または学生証のご提示で2600円(1ドリンク付き)になります。 友の会会員限定席を複数予約される場合は、お連れの方が会員でなくても結構です。 お席はチケットの申し込み順ではなく、当日会場にご来場頂いた順にご案内致します。 開場時間はイベント開始1時間前の18:00となります。 【イベント概要】 6月28日、東浩紀が6年ぶりに『文化系トークラジオ Life』に出演した(電話出演)。 大学における文学部の価値が問われ、人文知そのもののプレゼンスが低下するなかで、現代における人文知の役割はいったいなんなのか。そして、それは当に維持可能なのか

    対談:鈴木謙介×東浩紀「1995/2015――いま人文知は必要か」 « SOUL for SALE
  • 選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について « SOUL for SALE

    5月20日に公開された、経産省の「次官・若手プロジェクト」なるチームがまとめた「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」という資料が話題だ。最初にウェブで見かけた反応は好意的なものだったが、次第に反論・批判・不満が噴出するようになっている。そのうち、「言い古されたことばかり」「パワーポイントがインチキ臭い」といった具体的でない批判を除くと、その中でも興味深かったのは以下の議論だろうか。 経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答 – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 「時代遅れのエリートが作ったゴミ」発言者に訊く!若手経産官僚のペーパーに感じた違和感とは。 | 一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 経産省「次官・若手ペーパー」に対するある一つの「擬似的な批判」をめぐって – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 一連の流れのよ

    選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について « SOUL for SALE
  • “let it go”のアイロニー « SOUL for SALE

    映画評論ができるほど映画を見ているわけでもないし、その中でもディズニーなんてほぼ見たことがないわけだけれど、この2年はまったく映画なんて見る余裕もなかったわけだし、リハビリも兼ねて『アナと雪の女王』について書いてみようと思う。前評判だのYouTubeで展開されているプロモーション動画だので色々予習していったので、それほど意外ではなかったけれど、全体としてとにかくアイロニーに満ちた作品だなあというのが大枠の感想。 言われていたところだと、作で描かれているのは「王子様がお姫様を幸せにする」というテーマへのアンチテーゼということらしい。しかしながらこの解釈はあまりにも日的過ぎるという感じがする。例えば2007年の『魔法にかけられて』なんかの方が、明確にこうしたテーゼへのアンチになっているし(というより『魔法にかけられて』自体がディズニーの再帰的パロディなのだけど)、アメリカのメディア状況を考

    “let it go”のアイロニー « SOUL for SALE
    amamako
    amamako 2014/05/07
    「ありのまま」っていうけれど、どこからどこまでか「ありのまま」なのか。けどそれをうじうじ悩む時間はないから、とりあえず歌にでもしてぼやかしましょうか。
  • 「Chaos; Head」と「428」の渋谷 « SOUL for SALE

    昨年プレイしたゲームでも、色々と印象に残ったものがある中で何度か言及した作品に『Chaos; Head』がある。 「三次元に興味はないよ」と言い切り、基地(ベース)と呼んでいるコンテナハウスで大量の美少女フィギュアに囲まれながら生活する、引きこもり一歩手前の高校2年生、西條拓巳。 彼が住む渋谷では、『ニュージェネレーションの狂気(通称:ニュージェネ)』と呼ばれる連続猟奇殺人事件が発生し、ネットやテレビを日々騒がせていた。 ある日、いつものようにチャットをしている拓巳の前に、『将軍』と名乗る人物が現れる。彼が発言したURLのリンク先にあったものは次のニュージェネ事件を予言するようなグロ画像だった。さらに、翌日、拓巳は、予言された通りの殺され方をした、凄惨な事件現場に遭遇する。そしてその遺体の前には、血まみれの少女――咲畑梨深が立ち尽くしていた。 拓巳の平穏な日々に猟奇事件の影が忍び寄っていた

  • 民主主義不信 « SOUL for SALE

    PCがクラッシュしてしまったおかげで、ほとんどの仕事がスタックしている。どうせ新年度までには買い換えるつもりだったし、ちょうどVAIO TYPE Zが日でも発売になったのでタイミングはよかったのだけど、3週間近くモバイルマシンがないというのは痛い。こういう時期には読書や散歩をしながらいろいろと考えるのが定番だけど、ここのところあまりよくないフェーズに入っていて、碌なことが考えられない。それでも幸運なことに取材や講演の予定はたくさん入っているので、腐って家で寝ているというわけにもいかなず、なんとか社会に繋がっている感じ。 その中でぼんやりと考えたのが、いま、僕たちが直面している民主主義不信について。政治不信、と言ってもいい。一般にマスコミで言われる政治不信は、正確には「政治家不信」であって、トップをすげ替えれば政治というシステムが健全に機能することが期待されているという意味で、政治=民主主

  • 1