来年、織田信長入城から450年を迎える岐阜城(岐阜市)。戦後に復興された天守閣がそびえる金華山の山頂付近には、廃城前に築かれたとみられる石垣が今も残る。江戸時代中期の図面を基に石垣を復元し、本来の岐阜城の姿に近づける構想が、市民の間で出始めている。運動を盛り上げるため、復元後をイメージした模型も作られた。 信長は1567(永禄10)年に稲葉山城(岐阜城)を攻略し、安土城(滋賀県)に移る1576(天正4)年までの9年間、天下統一の拠点とした。1600(慶長5)年、関ケ原の戦いの前哨戦で岐阜城は落城。その後、廃城となり、天守は別の城に移された。今の天守は、1956年に建てられた。 山頂付近には、かつての石垣が土に埋もれたり崩れたりした状態で残されている。研究者の間では知られていたが、遊歩道から外れ、市民の目に触れる機会はあまりなかった。 「石垣整備で観光客を呼び込み、町おこしの起爆剤にしたい」