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人工知能とfinalventに関するcastleのブックマーク (18)

  • Yahoo! Japanと米Googleの提携、雑感: 極東ブログ

    のインターネット検索最大手Yahoo! Japanが米Googleと提携し、検索のサービスに米Googleの検索エンジン(検索処理部位)を使うことになった。最初の報道は米ダウジョーンズ・ニュースワイヤーズだったようだ(参照)。 2004年以前だが、Yahoo! JapanがGoogleの検索エンジンを採用したこともあったので、その点からすれば、さほど不思議でもない。だが、Yahoo! Japanというからには米国Yahoo!との関連があり、米Googleと対立的な関係にある米マイクロソフトによって買収が取り沙汰される米国Yahoo!という現状構図からすれば、日米のYahoo!は、対Googleの経営で逆向きの戦略を取ることになる。 また、米マイクロソフトはBingと呼ばれる検索エンジンを持っており、米Yahoo!はBingの採用を見込んでいることを考慮すると、日米のYahoo!が協調す

    castle
    castle 2010/07/29
    「米Yahoo!がもつYahoo! Japanの株式は34.78%、筆頭はソフトバンクの38.6%」「(googleは)中抜きの広告屋」米欄「『数分を争う最新情報の検索評価』について、どのくらいの重要性があるのかがいまいちぴんと来ません」
  • [書評]IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実(村上宣寛): 極東ブログ

    知能とは何か。それは人種間で差があるのか。この問題について、米国ではチャールズ・マリー(Charles Murray)氏の1994年の共著「Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life」(参照)および2008年の単著の「Real Education: Four Simple Truths for Bringing America's Schools Back to Reality」(参照)が社会的な話題になった。私はどちらも読んでいないが、その話題については米国の社会的話題として報道などから知識を得てずっと気になっている。関心事の焦点は、人種間の差異というより、知能を社会的に論じるというのはどういうことのなかという点だ。 マリー氏のこれらの著作は日では翻訳されそうにない。米国社会の問題だということもあるし、その

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    castle 2010/03/16
    「一般知能g:多元的に見える各種の知的能力の行使の基礎に、知能そのものを特徴付ける因子gがあるという考えかた」「特殊知能sは課題ごとに異なる特殊な因子」「知能研究者スピアマンはgとsが実在すると仮定」
  • 曇り - finalventの日記

    ああ、冬に舞い戻り感。朝ぼーっと考えていることは多い。なんかついったに書いてしまったけど、「唯物論的には生命はオートマトンとして規定してよいはずだが、そのinitial stateを想定するとID論と見なされるのだろうか?」。生命というのは、現代科学的には聖霊でもないから(生気論排除)、機械仕掛けのロボットなんだが、であれば、それをcharacterize可能というか、それが科学になるのだが、そこがむずかしい。で、「生命がオートマトンではないなら、それはなんだろう、という問は、すでに科学ではないように思える」となる。生命のモデル化をなんとなく科学は避けているのは、広義のダーウィニズムに依存しているのだけど、これは適者生存ということで、世界側がオートマトンになる。「ダーウィニズムの自然選択は、自然の内部にオートマトンが措定されるだけでは?」と。ほいで、「これらを回避するには、生命そのものが生

    曇り - finalventの日記
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    castle 2010/02/26
    「生命がオートマトンではないなら」「生命のモデル化を科学は避けているのは、広義のダーウィニズムに依存しているのだけど、これは適者生存という事で世界側がオートマトンになる」「生命そのものが生存バイアス」
  • 薄曇り - finalventの日記

    2月も下旬。ありゃりゃという感じだ。このところ睡眠サイクルが乱れて、昨晩も寝付かれずいろいろ思っていた。というか、奇妙に青春のころの早春のこと、いやある感覚を思い出していた。自分が若かったのだというのが、とても不思議な気がする。それから、今でもそうだが、自分がよくない人間であったなという後悔がいろいろ押し寄せる。理屈で自分を弁護もできる。ひどい運命だったじゃないか、いや他人と比べてそんなよくないわけでもないな、とか。しかし、よくないことはよくない。これは失笑を買うかもしれないが、私は他者に啓蒙的なことはしたくない、いやそうでもないかみたいな矛盾によく悩む。概ね人にうまく通じるように説明はしないようだ。ここも微妙で、これ以上言っても理解の感受性がなさそうだという人をどっかでスパっと自然に切ってしまう。いや人を切る、というのでもない。だめだな、これは、またか。みたいな感じで自分が引き下がる。以

    薄曇り - finalventの日記
    castle
    castle 2010/02/26
    「暗黒の絶望の宇宙に向かって、最初の生命が永遠を生きようと無謀な決意をした何かが、今でも自分の生命を支えているのだろうとは思うし、その生命の無謀さを引き継ぐ事に愛情のようなものを思わずにもいられない」
  • finalvent on Twitter: "@repon いやそういう認識距離の装置性を許さない直接性だということがわからないと上滑りする。"

    castle
    castle 2009/11/16
    「(続)~けどそういかないでしょ/そういう認識距離の装置性を許さない直接性だということがわからないと上滑りする/いやその渦中に自己が先駆的に置かれてしまう、いわば運命性が問題なんだよ」
  • [書評]あなたの人生の物語(テッド・チャン): 極東ブログ

    「あなたの人生の物語」(参照)は、中国系二世の米国人SF作家テッド・チャンの短編集で、ネイチャー誌に掲載されたショートショートを含め、8編の作品が収録されている。どれも米国のSFコンテストの賞を得ている佳作ぞろいである。 寡作の作家らしく、実質書以外の著作はないようだ。もしかして日で編集された選集ではないかと疑い、英書探すと「Stories of Your Life and Others(Ted Chiang)」(参照)があり、邦訳はそれに準じたのものようだ。 私は書を、その評価もテッド・チャンという作家についても何も知らないで読んだ。勧められたわけでもなかった。とある書店でたまたま偶然に出合った。魅惑的な書名に惹かれたわけでもなかった。その経験はうまく言い難い。読後は、ネットでよく言われる「お前は俺か」という感慨を持った。私と似たようなへんてこな思索課題に取り憑かれ、似たように展開

    castle
    castle 2009/06/04
    「小説という想像力の形式を使って、人間を超える知性を記号論的に追求している」「倫理というものが持つ本質を、数学の危機の比喩で了解する事で、まさに私たちの日常における愛というものの矛盾を言い当てている」
  • 薄曇り、台風4号か - finalventの日記

    沖縄で暮らしているころは毎日フリピンくらいの海域まで天気図を見ていた。台風オタクっぽくもなっていた。東京に戻ると台風を忘れる。 昨晩のはてなスター騒ぎだが、ざっと見渡すと否定的な意見が多い。ちょっと誤解されるかもだけど、個人的には選択可能なサービスだったらよかったのにというに尽きる。ただ、これを普及させるにはこのくらいゴリっとやるしかないかというのも理解できないわけではないし、そのゴリ感が今の5万人はてな村を広げるのに必要なのかもしれない。 なんだか弁解めくが、私はミクシィはほとんど使わない。ただ、ミクシィにメッセージがあれば見られるようにはしている。他、ボツエントリの墓場にしている。コミュニティ活動をしなければなと思いつつ。なんとなく手薄。で、ようはネットでの交友関係みたいなものだが、たとえば、私はこの日記のコメント欄はかなり好きで、それを手放して別サービスに行くのはちょっとうっとうしい

    薄曇り、台風4号か - finalventの日記
    castle
    castle 2007/07/15
    「feecle(ミニブログ)は自分のなかでは基本的にケータイメディアと考えている」「ネットでの交友みたいのは、基本的に去る者を拒まぬ、来る人とは一期一会というか、そんな感じ」
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    castle
    castle 2007/07/08
    「心と呼ばれる曖昧な物を人間の総体であり最小単位として捉える姿勢の妥当性」「言葉はツールに乗る。人と人を言葉が繋ぐならツールで人は変わる。人の言葉が人を形作るなら、ツールが変わると人間の構造も変わる」
  • 私が言うと誤解されるんだろうけど(リライト版) - finalventの日記

    最初の版では、私ことfinalventの立ち位置(アルファーブロガーと言われることがある)から読まれると誤解されるだろうと懸念したことと、具体的な著作家やブロガーを指示したこともあり、私としてはそういう含意も内意はなかったのだが、ご不快に思われたかたもあったようだった。ブログは書き方を注意しないといけないものだなと反省する機会にもなった。以下、具体的な著作家やブロガーを指示しない形で、内容点だけ構成しなおしてリライトしてみた。 ----------------- ブログユーザーが現状どの程度広がっているかについては統計的には知らないが、はてなダイアリーが始まり、アルファーブロガー企画などがあった4年前から比べれば、大きな変化を遂げた。そこで原型的ともいえる4年前のブログの世界だが、さらにその先駆型となるMTなどの技術への関心の話題やfj的な技術系を引いた話題のブログがあり、それに傍系として

    私が言うと誤解されるんだろうけど(リライト版) - finalventの日記
    castle
    castle 2007/07/03
    「コアのあるいはプリミティブなブログシーンは、別の2極の影響を受ける。よりマス=大衆的な動向、と、イスタブリッシュな知性の動向」「ブログの中で生きている…それはネットの中に生きているというのではない」
  • [書評]フューチャリスト宣言(梅田望夫、茂木健一郎): 極東ブログ

    読みやすかったが、キーワードにひっかかりを持ってしまったせいで私には難しいでもあった。対談なので、当初は、前著「ウェブ進化論 当の大変化はこれから始まる(梅田望夫)」(参照)の解説的な話の展開か、あるいは同じく対談「ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)」(参照)のように、対談者のホームグランドを生かすような展開――今回は脳科学――となるか、という二つの予断をもっていた。そのどちらとも言えないように思えた。 もちろん対談という特性はよく活かされている。両者が互いに相手を理解しつつ配慮しているようすも伺えるし、もともと共通の理解が成立しそうな対話者同士でもあるから、対話の流れがつかえることもなく表面的には読みやすい。個々の挿話も納得しやすい。書名になったフューチャリスト、つまり、マリネッティのそれではなく、インターネットの未来を肯定する人、という点からこの対談を要約するのもそう難しくな

    castle
    castle 2007/05/14
    「茂木の「偶有性」にはネットワークを統制する機能とは別に恣意的ともいえる機能が隠されているという含みが」「表向きの統制と、見えない統制の二系に分かれ、その見えない部分は、見える部分からは偶然性となる」
  • ちょっとだけG - finalventの日記

    どのだったか忘れた。ウスペンスキーの孫引きがまだ自分に残っているかもしれないが。ああ、違う、注目すべき人々との出会いだったか、Gは人の幸せを voluntary workと言った。あるいは、voluntary sufferingとも。たぶん、Gの中にはこの言葉で表現すべき何かがあり、それを弟子たちに伝えようとした。様々な形態で。そして、私のようにGに触れることもない時空の人間にまで。 Gの教えはある意味で非常にシンプルにできている。voluntary suffering = awareing = being = creating = creation = reality というか、そういう正教的なあるいはスーフィー的な何かだ。ただ、そうサマリーすることが危険だし、無意味だということをGは実際のマスターとして知っているし、彼は個々の教えしか残さない。あるいは知るためにワークを必要とするよう

    ちょっとだけG - finalventの日記
    castle
    castle 2007/04/17
    「ただ、そうサマリーすることが危険だし、無意味だとGは実際のマスターとして知っているし、彼は個々の教えしか残さない。知るためにワークを必要とするように残した」「Gはワークと人生をわざと衝突させた」
  • ブロガー、嘘付かない - finalventの日記

    は、ネタですが。 ⇒BigBang: ブログ性善説とマーケティングへの信頼 ブログ生善説。ブロガー嘘つかない。みたいな信仰もどこかあるのかなあ。 などと色々考える。 三年ブロガーだと、ついた嘘は累積されるので、逆にいうと、そういうふうに過去ログとの照合で読める人にとっては、「ブロガー嘘つかない」と概ね言えるかもしれませんよ。正確に言えば、「ブロガー嘘つけない」に近いか。あるいは、「ブロガーの嘘は見破りやすい」。 システム・スルー力じゃないけど、嘘を累積したブロガーは、嘘つきポイントが高いんですよ。そして嬉しいことにというか、この嘘つきポイントなんだけど、特定のイデオロギー集団が、あいつ嘘つきポイント高いじゃんとか、吹かす問題じゃなくて、システム的に決められそうということ。 なかなか表面的には見えづらいかもしれないけど、長くブログやっていると、そのあたりのシステム・シールドがきいてきて、一言

    ブロガー、嘘付かない - finalventの日記
    castle
    castle 2007/02/20
    「長いブログにはシステム・シールドがきいてきて、一言「お前馬鹿だろ」的なくさしが入ってもその人に返ってしまう。というか、三年ブロガーを理解できる人にとっては意識内でのシステム・スルー力になってしまう」
  • 社会システムとルール社会を越えていくもの: 極東ブログ

    世界と「私」はどのような関係にあるのか。その関係はどのように変遷し、今、どう変わろうとしているのか、といった、青臭いネタを書く。話を簡素にするために、叩き台的に哲学者竹田青嗣「『自分』を生きるための思想入門」(参照)を使うが、話の筋は竹田の議論にそれほど依存しなくてもいい。ただ、その場合は議論が煩瑣になるというくらいだろうと思う。 同書については、ちょっと哲学志向のある高校生や大学生は読んでおくとその後人生が楽になるかもしれない。哲学プロパーな人は些細な点でいろいろひっかかえって途中で放り投げてしまうかもしれない。竹田の著作史的には、初期の現象学とこの時期特有の橋爪大三郎との交流の影響がある。それでも書の大枠は比較的近著「人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)までの射程を持っている。というか、むしろ先の書のほうが竹田思想のコアが見やすい。 まず古典的な世界象は未だ国会

    castle
    castle 2007/02/10
    「我々は何かの経緯で、理性を完全とするために、あちら側を信頼し売り渡した。エロスが最適化されるために」「あちら側に移された人類の理性は、個を失った人間にただエロスだけを授乳のように与えるのである」
  • 欲望を監視する社会の可能性: 極東ブログ

    雑記。先日出先のセブンイレブンに久しぶりに行ったのだが入り口で、おやっと思った。自動ドアになっている。セブンイレブンのドアは基的に手動だったはずだが(しかも両方から「押す」だけで「引く」はない)、このところ自動ドア化が進んでいるのだろうか。と、気になって中に入るとなにやら明るい。改装したのか。床も滑りにくいような工夫がしてあるようでもある。 上を見ると毎度毎度のコンビニお得意の監視カメラなのだが、気のせいか増えている。いったい何を監視しているのだろうと少し考える。監視カメラは二種類ある。いわゆるカメラと魚眼なのだろうかカプセル入りみたいなやつ。レジのところに四台くらいある。犯罪防止なのだろうが、案外店員の監視なのかもなとか意地悪い連想が働く。 昼飯の弁当を買う。小さいカップラーメンスープ代わりにと思ってあたりをきょろきょろ探す。いつも使っている店でないとレイアウトがわからないものだ。う

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    castle 2007/02/10
    「システムあるいは国家や超国家が、人間の欲望を欲望するといった構図に変化」「現在は、「人間」つまり個の内在倫理に忍び込む権力は、「人間」を解体し、類的な匿名的な人間の欲望に馴致されるように変質しつつ」
  • オントロジーのW3C規格化は無駄: 極東ブログ

    新しく取り上げるほどの社会的な話題はない。歴史的な話題にしてもいいのだが、趣向を変えてオントロジーの話を書く。とはいえ、この話題を書くのはためらうものがある。自分がこの分野にすでにロートルなので、たいした情報が提供できるわけではないからだ。が、どうせ私的なブログなのでメモがてらに書いてみよう。社会問題の話題を期待している読者がいたら、申し訳ない。一回休みである。 W3Cに祀り上げらたティム・バーナーズ・リー(Timothy John Berners-Lee)だが、最近RDFを深化させた形でセマンティックWebを提唱している。ようは、RDF(Resource Description Framework )の上にオントロジーを載っけるのだ。ほぉ、そう来たかという感じもした。 はてなさえブログブームに推されてRSSを付加するようになったので、RSSについては一般認知度が上がった。とはいえ、RSS

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    castle 2007/02/10
    「「クオリア」についても結局は存在論に還元され、言語哲学的にナンセンスになるだろう」「クオリアというのは個人の命名しがたい感触にして脳内のネットワークという洒落なので、結局独我論的な閉鎖でしかない」
  • 私はロボットであるという私の意識 - finalventの日記

    これは昔からある。 離人症的な場合は感覚が離れるので、それとは違う。 ぼーっとしていると、思考が勝手に動いているのがわかる。あるいは注意のある状態において思考が分離する。あ、コンピューター室が動いている、おまえら何やってんの、という感じだ。 常態においては思考と意識は不可分であるかのように感じられ、私の意識があたかもここにあるように感じられる。 ま、しかし、私の意識は私というロボットなのだろう。 私の胃腸が消化器官であるように、私の脳は思考器官なのだろう。 私という情感は内臓的に発生している。なので、そのあたりの実在の感覚は思考器官とは分離されているし、およそ欲望というのは、思考器官の外部からくる。あれだ、おおっ、その欲望を俺は受諾するのか的。 ま、それはさておき。 意識と思考において、思考はおそらく思考機関の来的な機能ではなく、時間=記憶の装置だったのだろう。過去を保持し未来に防衛する

    私はロボットであるという私の意識 - finalventの日記
    castle
    castle 2007/02/04
    「ぼーっとしていると、思考が勝手に動いているのがわかる」「私の胃腸が消化器官であるように、私の脳は思考器官なのだろう」「思考はおそらく思考機関の本来的な機能ではなく、時間=記憶の装置だったのだろう」
  • まあこの手の領域はそれなりの手順で論文でも書くべきなんだろうけど - finalventの日記

    ⇒極東ブログ: 機械は意識を持つか。コンピューターは意識を持つか。インターネットは意識を持つか。 とはいえ、大森哲学は国際的にはナンセンスに近いのでそれをベースに議論をしてもしかたないだろう。ただ、大森を読むようになって30年経つがまったく古いと感じない。恐ろしいものがある。彼がやり残した、量子力学とゼノンパラドックスの問題も解きたいと一時期は思ったが、まあ、私にはできそうにない。ただ、だいたい大筋はわかった。ブログにさらっと書いてみたい気もするが、まあそんな気力でも出てきたらというか、しないか。 ロボットの意識の問題も、基的は、後期大森では他我論に吸着されるようでいながら、その射程の可能性には、生命と自然と人との関わり・対応、というものの、知識工学的な、いわばグーグル的な世界への想像力による洞察が含まれていたのだと、あらためて大森のすごさを思った。 私はぼんやりと、人工知能論が失敗した

    まあこの手の領域はそれなりの手順で論文でも書くべきなんだろうけど - finalventの日記
    castle
    castle 2007/02/04
    「人工知能論が失敗したのは、メタ認知の論理計算機(オントロギーと様相論理のエンジンを含んだようなもの)と生命的なドライブモデルとそれに付随するアフォーダンス」「その2つは切り離すべきだろう」
  • 機械は意識を持つか。コンピューターは意識を持つか。インターネットは意識を持つか。: 極東ブログ

    結論を先に書くと、機械は意識を持つか。イエス。コンピューターは意識を持つか。イエス。インターネットは意識を持つか。イエス。 昨日「極東ブログ: デカルト的な考えによれば人間の身体は機械である」(参照)を書いたおり、私は意図的に機械主義についてオートマトンから始め、デカルトとその後継の機械主義を分け、「デカルト的な考えによれば人間の身体は機械である」とし、けして「デカルトの考えによれば人間は機械である」とは書かなかった。デカルト自身は人間の総体については機械とは考えなかったからだ。 デカルトは、雑駁に言えば、人間の精神は別に存在し松果体によって身体と結びついていると考えていた。また、その精神こそが動物と人間との差異として考えた。このような人間の超越性についての考えの延長には現代ではチョムスキーの思想が存在する(彼はUGの構成性をピアジェが知性の基底を扱うような進化論的な獲得のプロセスモデルと

    castle
    castle 2007/02/04
    「我々の振る舞いが意識の有無を決定している。また人工知能はそのように発展するしかない」「こうした振る舞いは彼らとの付き合いの歴史性に寄る」「存在の意識のあり方は人との関わりの歴史が決定する」
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