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心理と文学に関するcastleのブックマーク (9)

  • 坂口安吾 織田信長

    立入左京亮(たてりさきょうのすけ)が綸旨二通と女房奉書をたずさえて信長をたずねてきたとき、信長は鷹狩に出ていた。 朝廷からの使者は案内役の磯貝新右衛門久次と使者の立入とたった二人だけ、表向きの名目は熱田神宮参拝というのである。 信長へ綸旨と女房奉書をだしては、と立入左京亮から話を持ちかけられた万里小路(までのこうじ)大納言惟房(これふさ)は、おまえ大変なことを言う、さても、困った、困った、と言った。 信長という半キチガイの荒れ武者がどれほど腕ッ節が強くて、先の見込みのある大将だか知らないけれども、目下天下の権を握っている三好一党と、その又上に松永弾正(だんじょう)という蛇とも妖怪ともつかないような冷酷無慙なジイサンの睨みが怖しい。まったく弾正久秀という奴は蛇も妖怪も及びがたいジジイだけれども、たまには米もたらふくいたいし、冬には温いフトンも慾しいじゃないか。雲の上人とは、よく言った。雲の

    castle
    castle 2024/01/20
    ※未完。「達人ほど自信がない。怖れを知っているからだ~だから、自信というものは、自分でつくるものではなくて、人がつくってくれるものだ」「信長は義昭の心を信じなかったが、老蝮(悪党)の信義を信じていた」
  • 坂口安吾 安吾巷談 麻薬・自殺・宗教

    伊豆の伊東にヒロポン屋というものが存在している。旅館の番頭にさそわれてヤキトリ屋へ一パイのみに行って、元ダンサーという女中を相手にのんでいると、まッ黒いフロシキ包み(一尺四方ぐらい)を背負ってはいってきた二十五六の青年がある。女中がついと立って何か話していたが、二人でトントン二階へあがっていった。 三分ぐらいで降りて戻ってきたが、男が立ち去ると、 「あの人、ヒロポン売る人よ。一箱百円よ。原価六十何円かだから、そんなに高くないでしょ」 という。東京では、百二十円から、百四十円だそうである。 ヒロポン屋は遊楽街を御用聞きにまわっているのである。最も濫用しているのはダンサーだそうで、皮下では利きがわるいから、静脈へ打つのだそうだ。 「いま、うってきたのよ」 と云って、女中は左腕をだして静脈をみせた。五六、アトがある。中毒というほどではない。ダンサー時代はよく打ったが、今は打たなくともいられる、

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    castle 2024/01/20
    「孤独感に、参るのである」「宗教はともかく身を全うすることを祈願として行われている」「権力とか毒薬とか刃物とかバクダンとか、すべて危険な物を持たせないことが、狂人を平和な隣人たらしめる唯一の方法」
  • 認知言語学から小説の面白さに迫る『小説の描写と技巧』

    小説の面白さはどこから来るのか? 物語のオリジナリティやキャラクターの深み、謎と驚き、テーマの共感性や描写の豊かさ、文体やスタイルなど、様々だ。 小説の面白さについて、数多くの物語論が著されてきたが、『小説の描写と技巧』(山梨正明、2023)はユニークなアプローチで斬り込んでいる。というのも、これは認知言語学の視点から、小説描写の主観性と客観性に焦点を当てて解説しているからだ。 特に興味深い点は、小説の表現描写が、人間の認知のメカニズムを反映しているという仮説だ。私たちが現実を知覚するように、小説内でも事物が描写されている。 認知言語学から小説の描写を分析する 通常ならメタファー、メトニミーといった修辞的技巧で片づけられてしまう「言葉の綾(あや)」が、ヒトの、「世界の認知の仕方」に沿っているという発想が面白い。これ、やり方を逆にして、認知科学の知見からメタファーをリバースエンジニアリングす

    認知言語学から小説の面白さに迫る『小説の描写と技巧』
    castle
    castle 2023/11/04
    「リアルと(誇張や想像)のズレ・ゆらぎ」「様々な叙述レトリックを、認知プロセスから再定義し、それが読者の何を動かしているのかを突き止める事で、「面白い」という感情をシステマティックに解き明かせるかも」
  • カタルシス - Wikipedia

    「カタルシス」は、最初にアリストテレスが演劇学用語として使いはじめた。著書『詩学』の中で悲劇の悲劇の効用としてカタルシス論を展開する。 フロイトがヒステリー治療において催眠療法と「悲惨な話を聞いて泣く行為」を併用し、その除反応を「カタルシス」と呼んだ。 カタルシス(古代ギリシア語|古希: κάθαρσις[1]、英: catharsis)とは、哲学および心理学において精神の「浄化」を意味する。アリストテレスが著書『詩学』中の悲劇論に、「悲劇が観客の心に怖れ(ポボス)と憐れみ(エレオス)の感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」として書き著して以降使われるようになったが、アリストテレス自身は演劇学用語として使った[2]。 現代においても、映画や演劇、小説漫画の批評などにおいて、この表現が用いられている。 概要[編集] ギリシア語の語幹 κάθαρ[3]は「不浄を祓う清めの儀礼」を指す語で

    カタルシス - Wikipedia
    castle
    castle 2023/05/07
    「アリストテレスが著書『詩学』中の悲劇論に、「悲劇が観客の心に怖れ(ポボス)と憐れみ(エレオス)の感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」として書き著し~アリストテレス自身は演劇学用語として使った」
  • 小説書いてるけど意外と「無駄なこと」って書く必要あるのかな : エレファント速報:SSまとめブログ

    1:以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2023/02/23(木) 04:46:05.820 ID:mTxyVtA40 筋の必要なことだけ書いてたらなんか味気ない感じがする 自分の好きな小説を読み返してみると意外と筋とは無関係なことが書いてある(筋から派生して脇道にそれた話とか雑学みたいな) 作品の雰囲気作りとしてそういうのも必要なのかな 2:以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2023/02/23(木) 04:47:21.572 ID:f24LVJ3fM 物書きのくせに文章下手だな… 4:以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2023/02/23(木) 04:47:34.177 ID:QoKURuj50 今まで必要ないと思って読み書きしてたの…? 7:以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2023/02/23(木) 04:48:30.796 ID:2kk

    小説書いてるけど意外と「無駄なこと」って書く必要あるのかな : エレファント速報:SSまとめブログ
    castle
    castle 2023/02/23
    「本筋の必要なことだけ書いてたらなんか味気ない」/「ハリウッドの物語理論だと物語を前に進めるかキャラを紹介するか何かしらすべての場面に機能がある」「情景描写がクドいのはイヤ 心理描写がクドいのは好き」
  • 燻製ニシンの虚偽 - Wikipedia

    燻製ニシンの虚偽(くんせいニシンのきょぎ)、またはレッド・ヘリング(英語: red herring)は、重要な事柄から受け手(聴き手、読み手、観客)の注意を逸らそうとする修辞上、文学上の技法を指す慣用表現[1]。 解説[編集] 18世紀から19世紀に掛けてジャーナリストとして活動したウィリアム・コベットが書いた記事に由来し[2]、後に情報の受け手に偽の事柄に注意を向けさせ真の事柄を悟られないようにする手法を表す慣用表現として使われるようになった。例えば、ミステリ作品において、犯人の正体を探っていく過程では、無実の登場人物に疑いが向かうように偽りの強調をしたり、ミスディレクション(誤った手がかり)を与えたり、「意味深長な」言葉を並べるなど、様々な騙しの仕掛けを用いて、著者は読者の注意を意図的に誘導する。読者の疑いは、誤った方向に導かれ、少なくとも当面の間、真犯人は正体を知られないままでいる。

    燻製ニシンの虚偽 - Wikipedia
    castle
    castle 2022/06/12
    「レッド・ヘリングは、重要な事柄から受け手(聴き手、読み手、観客)の注意を逸らそうとする修辞上、文学上の技法」「情報の受け手に偽の事柄に注意を向けさせ真の事柄を悟られないようにする手法を表す慣用表現」
  • 照応のポイントは何ですか?

    照応は、文学的装置として、散文や詩の節に芸術的な効果を与えるという目的を果たします。修辞装置として、照応は、聴衆を説得し、刺激し、動機付け、そして励ますために、聴衆の感情に訴えるために使用されます。 これに関して、照応の使用が効果的であるのはなぜですか? 照応は、連続する節または句の単語または句の繰り返しである修辞装置です。照応は通常、連続する文の冒頭に書面で見られます。照応は、議論を伝えるのに役立つ効果的なツールです。照応が作成する繰り返しは、強調的で力強いものです。 さらに、繰り返しの目的は何ですか?繰り返しとは、文学作品で単語やフレーズが繰り返されることです。繰り返しは詩や歌でよく使われ、リズムを作り、アイデアに注意を向けるために使用されます。繰り返しは、アイデアに注意を向けるための修辞的な装置として、スピーチでもよく使用されます。 それに対応して、書面での照応の目的は何ですか? 照

    castle
    castle 2022/06/04
    「照応は、文学的装置として、散文や詩の節に芸術的な効果を与えるという目的を果たします。修辞装置として、照応は、聴衆を説得し、刺激し、動機付け、そして励ますために、聴衆の感情に訴えるために使用されます」
  • 「日本の犯罪が2002年から五分の一に。他の先進国は?」・・・経済発展でなく、近代文学の広まりと暴力・殺人の減少数が比例する!?

    浅井ラボ@されど罪人は竜と踊る24(2023年2月17日発売) @AsaiLabot2 日の犯罪が2002年から五分の一となったそうで、他の先進国はどうかなと法務省資料を見たら、件数は人口差があるにしても率がひでえ。アメリカにいたっては、日の百倍も強盗が発生。なおそのアメリカでも世界治安度ランキングだと真ん中より上という。人類っ! pic.twitter.com/0QiRD3l31G 2022-02-04 08:48:29

    「日本の犯罪が2002年から五分の一に。他の先進国は?」・・・経済発展でなく、近代文学の広まりと暴力・殺人の減少数が比例する!?
    castle
    castle 2022/02/07
    「犯罪が少ない→マスコミが重大事件のほぼ全てを報道する→犯罪に関わらない一般人が怯え、体感治安下がる」「平成14年(285万4,061件)~令和2年は61万4,231件」「ノンフィクションでは共感力が向上せず物語でだけ向上」
  • 中島敦 山月記

    隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。李徴は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。この頃(ころ)からその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい)として、曾(かつ)て進士に登

    castle
    castle 2022/01/15
    「人間であった時、己は努めて人との交(まじわり)を避けた~殆ど羞恥心に近い」「それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった~進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりする事をしなかった」
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