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思想と宗教に関するcastleのブックマーク (176)

  • 聖俗の反転 : 富永仲基『出定後語』の真相

    論は、従来省みられてこなかった仏教の視点から、富永仲基の思想を検討する。仲基は、仏が淫するものは幻であるとする。仏の神秘的教えは行者が禅定・瞑想中に見た幻影にすぎず、釈迦の真意は世俗倫理を勧めることにあるとして、仏教を脱神秘化した。『出定後語』とは、人間理性が宗教的な呪縛である定・夢幻から目覚めたという宣言、いわゆる近代を告げる声であった。仏教的価値観では、人が目覚めるべきは現実事象の儚さからであり、仏の悟り、仲基の言う仏の幻こそが、より存在度の高い真実とされてきた。中世においては、人が儚い生死の夢から覚めて仏の朝に至ることが、覚夢だった。しかし近世における仲基の出定は、仏の夢幻から人の世の現実に目覚めることにある。仲基は、聖俗の存在論を反転させ、仏教思想の意義を明確に否定した。仲基の出定以後、近世から現代に至るまで、日の仏教者たちは伝統的な仏への覚夢と仲基の出定を統合止揚すべく、全力

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    castle 2024/05/31
    「仲基は~仏の神秘的教えは行者が禅定・瞑想中に見た幻影にすぎず、釈迦の真意は世俗倫理を勧めることにあるとして、仏教を脱神秘化~出定後語とは、人間理性が宗教的な呪縛である定・夢幻から目覚めたという宣言」
  • 出定後語 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "出定後語" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年2月) 『出定後語』(しゅつじょうごご、しゅつじょうこうご)は、富永仲基の主著。延享2年(1745年)に刊行された。 概略[編集] 書のもっとも特徴的な主張は、「加上」または「異部加上」と呼ばれる法則の提言である。仲基によると、歴史的に経典を分析すると、新しい経典は、より古い経典の教説に異なった教説を加上しながら発展してきた、というものである[1]。 従来の仏教経典間の体系整理は、すべてブッダが説いた教説であることを前提とし、矛盾を排するように説かれた順序を推定・評価し

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    castle 2024/05/31
    「富永仲基」「加上:新たな思想は旧思想に新たな要素を加え優位性を示そうとする/異部名字難必和會:一つの事柄に複数の説がある場合、真実を判断つきにくい/三物五類立言之紀:話者による影響・時代による影響」
  • アウグスティヌス - Wikipedia

    マニ教を批判したアウグスティヌスの書簡。 アウグスティヌス(ステンドグラス、作:L. C. ティファニー) ラテラノ大聖堂に描かれたアウグスティヌス アウグスティヌスの墓 アウグスティヌス ボッティチェリによる1480年ごろの作品。 聖アウレリウス・アウグスティヌス(ラテン語: Aurelius Augustinus、354年11月13日 - 430年8月28日[26])は、ローマ帝国(西ローマ帝国)時代のカトリック教会の司教であり、神学者、哲学者、説教者。ラテン教父の一人。 テオドシウス1世がキリスト教を国教として公認した時期に活動した。正統信仰の確立に貢献した教父であり、古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力をもつ。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会・非カルケドン派における聖人であり、聖アウグスティヌスとも呼ばれる。日ハリストス正教会では福アウグスティンと呼ばれ

    アウグスティヌス - Wikipedia
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    castle 2022/08/12
    「神の国(愛の共同体)と地の国(世俗世界)」「精神的なキリスト教共同体と世俗国家を弁別しキリスト教の世俗国家に対する優位、普遍性の有力な根拠となった」「倫理目標の実現の担い手が国家から教会~へと移行」
  • 魂の三分説 - Wikipedia

    魂の三分説(たましいのさんぶんせつ)とは、プラトンが『国家』『パイドロス』『ティマイオス』等で提示[1][2][3]した、人間の魂(プシュケー)を3つの性質に分ける考え方のこと。魂の三区分説、魂の三部分説などとも。 構成[編集] 以下の3つから成る。 理知(希: λόγος, ロゴス) 気概(希: θυμός, テューモス) 欲望(希: ἐπιθυμία, エピテューミア) 典拠[編集] プラトンは、『国家』『パイドロス』『ティマイオス』内で、この魂の三分説に言及している。 まず『国家』の第4巻(434D-441C)では、ソクラテス等が「国家」にとっての「知恵/勇気/節制/正義」(枢要徳) を、「政務(立法)/軍事/商業」の関係性/役割分担によって定義した後、その定義を「個人」へと類比的 (アナロジカル) に適用していくに当たり、「国家」の「政務(立法)/軍事/商業」という3部分に相当する

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    castle 2022/08/12
    「プラトンが『国家』『パイドロス』『ティマイオス』等で提示した人間の魂(プシュケー)を3つの性質に分ける考え方~理知 ロゴス/気概 テューモス/欲望 エピテューミア」「国家の政務(立法)/軍事/商業~に相当」
  • 主意主義 - Wikipedia

    この項目では、主知主義に対しての主意主義(voluntarism)について説明しています。右派リバタリアン思想の一つ(voluntaryism)については「主意主義 (思想)」をご覧ください。 主意主義(しゅいしゅぎ、英: voluntarism)とは、人間の精神(魂)中で、意志の働きを(知性・理性や感情よりも)重視する哲学・神学・心理学・文学上の立場のこと。知性・理性の働きを重視する主知主義(英: intellectualism)や、感情の働きを重視する主情主義(英: emotionalism)と対置される。 ただし、これはあくまでも相対的な立ち位置を表現するものであって、そこに絶対的な基準は無く、「何(どのような思想的立ち位置の人・集団)と対比されるか」に、その位置付けが依存していることに注意が必要。 歴史[編集] 中世[編集] 中世のキリスト教神学においては、アウグスティヌスやドゥン

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    castle 2022/08/12
    「人間の精神(魂)中で、意志の働きを(知性・理性や感情よりも)重視する」「アウグスティヌスやドゥンス・スコトゥス等が(主知主義として言及されるトマス・アクィナス等との対比において)主意主義として言及」
  • 【反知性主義】本当の意味・誤用されるケース・影響力をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド

    では「学問や知性を否定する姿勢」と誤用されることも多いですが、来の意味は上記のものなのです。 反知性主義は誤用されていることも多いため、正しい意味を知っておかないと、世の中で起こっている出来事について、間違った認識を持つことにもなりかねません。 そこでこの記事では、 反知性主義の正しい意味 反知性主義が生まれた時代背景 反知性主義の現代社会への影響 反知性主義を学ぶための書籍リスト を紹介します。 あなたが知りたいところから読んで、しっかり教養を身につけてください。 このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。 ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら 1章:反知性主義とは何か? それでは、まずは反知性主義の正しい意味と、反知性主義について学ぶ意義について解説し

    【反知性主義】本当の意味・誤用されるケース・影響力をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド
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    castle 2022/08/12
    「「世の中の知性(エリート)と権力が結びつく事を監視・批判する思想~学問や知性を否定する姿勢と誤用され」「文化的な作り上げられた知よりも、原初的な知に戻る事が、より本質的な信仰~知性よりも霊性が大事」
  • 0251夜『歴史哲学』ヴォルテール ー松岡正剛の千夜千冊~歴象篇~

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    0251夜『歴史哲学』ヴォルテール ー松岡正剛の千夜千冊~歴象篇~
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    castle 2022/07/11
    「①聖俗を分離させる②為政者は個人の信仰問題に干渉しない③宗教的認識についての正否を問える知識には確実なものがない、等を(ロックは)強調」「(『哲学書簡』を読むと)中身は英国通信ともいうべきものだ」
  • ヌース - Wikipedia

    英語版記事を日語へ機械翻訳したバージョン(Google翻訳)。 万が一翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いた場合、翻訳者は必ず翻訳元原文を参照して機械翻訳の誤りを訂正し、正確な翻訳にしなければなりません。これが成されていない場合、記事は削除の方針G-3に基づき、削除される可能性があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Nous|…}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な翻訳の手順・指針についての説明があります。 ヌース(

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    castle 2022/06/26
    「知性、理性、精神、魂」「アナクサゴラスは世界はヌースが支配しており、人間はヌースを把握する事ができると~プロティノスは万物は一者から流出したヌースの働きによると~ストア派においてはロゴスとほぼ同義」
  • 敬虔 - Wikipedia

    敬虔(けいけん、希: ὁσιότης , εὐσέβεια、羅: pietas、英: piety)とは、古代ギリシア以来の西洋の徳目の1つであり、親や神々に対する忠誠心、崇敬心、孝心を意味する。 キリスト教で敬虔というと、信心[1]を意味するプロテスタントの用語である[2]。 歴史[編集] 古代ギリシャ[編集] プラトンの対話篇では、『エウテュプロン』でこの概念が主題的に扱われる他、『プロタゴラス』や『ゴルギアス』でも、四元徳(知慮・正義・節制・勇気)と並んで言及される[3][4]。 古代ローマ[編集]

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    castle 2022/06/25
    「古代ギリシア以来の西洋の徳目~親や神々に対する忠誠心、崇敬心、孝心」「(キリスト教では)信心を意味するプロテスタントの用語」「プラトンの対話篇では~四元徳(知慮・正義・節制・勇気)と並んで言及され」
  • セレマ - Wikipedia

    セレマのシンボルの一つ(六芒星) セレマ[1](Thelema)は、「汝の意志することを行え」という規則や法に基づいた人生の哲学である。 概要[編集] 「汝の意志することを行え」と「セレマ」という言葉の関連は、フランソワ・ラブレーに遡るが、さらに発達させ[2]、布教したのは[3]、この考えに基づいたセレマという名の宗教[4]を創設したアレイスター・クロウリーである。この言葉自体は、ギリシア語のコイネーで、名詞のθέλημα(古典ギリシア語再建音でテレーマ):「意志」、動詞θέλω:意志する、望む、目的とする、のラテン文字転写である。初期のキリスト教の書物では、神の意志[5]、人間の意志[6]そして、神の敵である悪魔の意志[7] としても使われている。 16世紀、フランソワ・ラブレーは、この言葉のフランス語であるテレーム(Thélème)を彼の著名な小説『ガルガンチュワとパンタグリュエル』[

    セレマ - Wikipedia
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    castle 2021/09/28
    「「汝の意志することを行え」と「セレマ」という言葉の関連は、フランソワ・ラブレーに遡るが、さらに発達させ、布教したのは、この考えに基づいたセレマという名の宗教を創設したアレイスター・クロウリー」
  • ジハード - Wikipedia

    イスラム法の理念では,世界はイスラムの主権の確立されたダール・アルイスラームでなければならない。まだその主権が確立されていない世界は,ダール・アルハルブdār al‐ḥarb(戦争世界)と定義され,そこではイスラムの主権が確立されるまでジハードが必要となる[7]。 ウンマ(イスラーム共同体)の歴史とジハード イスラームとならび「世界宗教」と称される仏教・キリスト教と比較した際の、イスラーム教の極だった特徴としては、政教一体の宗教共同体の存在があげられる[8]。この宗教は、単なる個人的・内面的な信仰体系というにとどまらず、むしろひとつの確固たる共同体そのもの、ないし共同体的生活の全体なのであり、また、それを支える固有の法律、政府、社会制度を内的に規定しているのである[8]。そして、預言者としてムスリムを指導したムハンマドは、ユダヤ教やキリスト教の預言者や宗教指導者にもまして、「神の道」にもと

    ジハード - Wikipedia
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    castle 2021/08/29
    「ジャーハダ(自己犠牲して戦う)の動名詞で「違うベクトルの力の拮抗」を意味~イスラームの文脈では「宗教の為に努力する、戦う」」「しばしば「聖戦」と和訳されるが、ジハードという語には「聖」の意味はない」
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
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    castle 2021/05/29
    「こうした(神秘思想の)流れは~何か大きな視点を回復できないままになっているようにも」「なぜ恍惚に憧れるのか、なぜ神仏への接近が気持ちいいのか、なぜ偶像崇拝をしたくなるのか、なぜ啓示性を感じるのか」
  • 「寛容」と「尊敬」の間の違いとは : ウィーン発 『コンフィデンシャル』

    2019年05月10日06:00 カテゴリカトリック 「寛容」と「尊敬」の間の違いとは フランシスコ法王は7日、ブルガリアと北マケドニア両国の司牧訪問を終え、ローマへの帰途、慣例の機内記者会見を開き、そこで非常に興味深い発言を引用している。北マケドニアのイヴァノフ大統領のスコピエでの歓迎演説に、「北マケドニアでは宗教間に寛容はない、あるのは尊敬だ」という一節があったのだ。フランシスコ法王はその発言に非常に感動している。バチカン・ニュースが8日、報じた。 ▲機内記者会見で答えるフランシスコ法王(バチカン・ニュース5月7日、写真はANSA通信) 北マケドニアには正教徒、カトリック教徒、イスラム教徒、新教徒など多様な宗教者が共存している。民族的にも、マケドニア人のほか、アルバニア人、セルビア人、トルコ人など異なった民族が生きている。隣国ギリシャと国名問題で紛争が続いてきたが、「北マケドニア」とい

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    castle 2019/05/10
    「北マケドニアでは宗教間に寛容はない、あるのは尊敬だ」「寛容とは、宗教に関心がないか嫌悪していたとしても人権と信仰の自由という観点から「私は宗教その信者に対して差別しないし迫害や弾圧する意思はない」と
  • 手塚治虫の「ブッダ」 - おかくじら

    おかくじら べっちゃんのブログです。Twitterもやってます。HNはBecchan88 神社仏閣を歩て回るのが好き それとアニメも 早く自由に旅行できる世の中に戻ってほしいですね。

    手塚治虫の「ブッダ」 - おかくじら
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    castle 2014/11/20
    「こんなこと(最高の境地が無の境地/≒死?)を望むインド人はよっぽど厭世的な人達なのだろうという誤解が日本人にはあるが、ジャータカは驚くほど楽天的な世界の中でインド人が生きていることを教えてくれる」
  • 無我 - Wikipedia

    無我(むが、巴: anattā, アナッター[注 1]、梵: अनात्मन, anātman, アナートマン, nairātmya[3], ナイラートミャ)は、あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な質は存在しないという意味の仏教用語[3][4]。非我とも訳される[4]。我(アートマン)とは、永遠に変化せず(常)・独立的に自存し(一)・中心的な所有主として(主)・支配能力がある(宰)と考えられる実在を意味する[4]。全てのものにはこのような我がなく、全てのものはこのような我ではないと説くのを諸法無我という[4]。 アナッター(無我)は生物の性質であり、加えてアニッチャ(無常、非恒常、永遠でないこと)、ドゥッカ(苦、不満足なこと)を加えて仏教の三相をなし、また三法印と四法印の1つ[3][4][5][6]。これはダンマパダなど多くの経典で確認される[7]

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    castle 2013/02/03
    「我(自己, 魂)を「私のもの/私/私の我(自己、魂)」の3種に分かち、一切の具体的なもの、具体的な事の一つ一つに「これは私のものではない/これは私ではない/これは私の我ではない」と3つの立場から観察」
  • 大田俊寛「オウム真理教の精神史」:オウムの「なぜ」を描き出した一冊で、学問としての社会的責務を宗教学者が真摯に考えた立派な本。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義 作者: 大田俊寛出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2011/03メディア: 単行購入: 61人 クリック: 1,271回この商品を含むブログ (25件) を見る 先日、オウム関係者の死刑判決で、遺族は「なぜ」がわからず不満顔だったという報道について、ぼくはなぜなどと問うべきではない、どうせ答えなんか出ないんだから、という話を書いた。が、書はその「なぜ」をまがりなりにも分析して一応の答を出したであり、またオウム事件に対してこれまでまともな対応を見せてこなかった宗教学の学者が、そうした現状を真摯に反省して宗教学的な取り組みからオウムを切ってみせた点でもきわめてえらい。 読んでいて、まさに上で出てきたリアリー『神経政治学』(そしてぼくのあとがき!)が引用されていてびっくりしたんだが、オウムがどんな宗教・思想的な系譜につながるのかを明

    大田俊寛「オウム真理教の精神史」:オウムの「なぜ」を描き出した一冊で、学問としての社会的責務を宗教学者が真摯に考えた立派な本。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
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    castle 2012/03/13
    「オウムがどんな宗教・思想的な系譜につながるのかを明確に述べ、その過程で現代社会における宗教の意味を位置づけ、オウムが決して偶発的なものではなく、ある必然性をもっていたことをきわめてすっきりと述べる」
  • 諸行無常 - Wikipedia

    木製卒塔婆に書かれた「諸行無常是生滅法」(神戸市北区淡河町の墓地) 諸行無常(しょぎょうむじょう、巴: sabbe saṅkhārā aniccā、सब्बे संखारा अनिच्चा)は、仏教用語で、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味[1]。 三法印[2]、四法印のひとつ 上座部仏教における三相のひとつ[1] 諸法無我と並べられるが、行は因縁によって起こるこの世の現象を指すのに対し、法は涅槃すらも含むあらゆる事象を指している[1]。 宋代の仏教書『景徳伝灯録』によれば、釈迦牟尼仏がクシナガラで入滅した際、沙羅双樹の木の下で説いた言葉と伝えられる[

    諸行無常 - Wikipedia
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    castle 2012/02/26
    「この世の現実存在は全て、すがたも本質も常に流動変化する」「生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じる」
  • 悪の問題

    「どうしてこんな目に遭わなくてはならないのか」 「なぜこういうことが起こってしまったのだろうか」 このように思うことは誰でもあります。自分自身について、あるいは世界の出来事について、しばしばそんなふうに感じます。言うならば「神も仏もあるものか」という気持ちです。 それは、人間は苦しみに出会った時に、苦しみにどういう意味があるのか、その意味を見出したいという気持ちになりますし、「なぜ」という問いに答えてほしいと、何かに対して思うからです。 そして、人生を肯定したい、いろんな苦しみはあるけれども、全体として肯定したい、そういう願いを人間は持っています。その願いに応えるのが宗教だと思います。 「なぜ」という問いに対して答えようとするキリスト教の試みが神義論ということだと思います。神義論とは、「この世に悪が存在するにもかかわらず、神は正しく正義である」ことを示そうとする議論です。つまり、悪があるに

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    castle 2012/02/22
    「人間は苦しみに出会った時に、苦しみにどういう意味があるのか~「なぜ」という問いに答えてほしいと、何かに対して思う~人生を肯定したい、色んな苦しみはあるけれども全体として肯定したい、そういう願いを」
  • 詩とコギト: 悪は欠如である/ライプニッツ形而上学序説から

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    castle 2012/02/22
    「「善」は欠如としての「悪」をそのうちに含む」「善なる意志ないし意欲の表象・表出の欠如」「「可能態(実現しつつある可能性)」ではない「善」は「善」とは言えないから、その欠如において「悪」と呼ばれる」
  • 友愛 - Wikipedia

    ギリシア語の愛「φιλία (philia)」については「フィリア」を、組織名称の「Fraternity」については「フラタニティとソロリティ」を、鳩山由紀夫の財団法人については「友愛 (公益財団法人)」をご覧ください。 友愛(ゆうあい、希: φιλία、羅: fraternitas、仏: fraternité、英: fraternity)とは、兄弟(兄弟姉妹)間の愛、友人間の愛、友情などを意味する。倫理道徳の一つであり、哲学思想の主題となることがある。 日語の友愛[編集] 日語の「友愛」については日の各辞典が主として「兄弟」「友人」「友情」「友誼」などに言及する。例えば、広辞苑第5版は、兄弟、友人、友情、友誼に言及する。大辞泉第1版は、兄弟、友人、友情、友誼。大辞林第3版は、兄弟、友人、友情。広辞林第6版は、兄弟、友人。言泉第1版は、兄弟、友人。講談社日語大辞典第1版は、兄弟、友

    友愛 - Wikipedia
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    castle 2011/02/17
    「fraternity 兄弟姉妹愛」「おまえが自分自身を愛するのと同じようにおまえの隣人を愛せよ」「汝らはラビと呼ばれてはならぬ。汝らの師は唯一、汝らは皆兄弟姉妹だ」「信仰する者達が2つに分かれて争うならば仲裁せよ」