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性と思想に関するcastleのブックマーク (18)

  • わいせつ物頒布等の罪 - Wikipedia

    わいせつ物頒布等の罪(わいせつぶつはんぷとうのつみ)は、日の刑法175条で規定される犯罪である。 条文[編集] 刑法175条は「わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、または公然と陳列した者は、2年以下の懲役または250万円以下の罰金もしくは科料に処し、または懲役および罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする(第1項)。有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、または同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする(第2項)。」と規定する。 元の条文は1907年(明治40年)に制定され、2011年(平成23年)には取締対象に電磁的記録を含める形に改正された[1]。 概要[編集] わいせつ物頒布等の罪には、わいせつ物頒布罪、わいせつ物陳列罪[注 1]、わいせつ物販売目的所持罪が含まれる。頒布とは有償・無償問わず、

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    castle 2010/03/15
    「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」「上位法である憲法が保障する信教の自由に表現の自由や学問の自由に抵触するのではないかという点が争われ」
  • セクハラと草食の関係――個別戦術を一般化させた戦略運用の誤り - umeten's blog

    結論から言えば、個別戦術を一般化させた戦略運用においては誤爆が多発する。 結局の所、個々別々の対象を乱暴に一般化して単一の戦術を全体に適用できるような対象と見なすことがそもそもの間違いの発端ではないのだろうか。 男が女を一般化すればセクハラという誤爆=性暴力被害が発生し、女が男を一般化すれば草系=軟弱者という誤爆=中傷被害が発生する。 つまるところ、最大公約数的な解法としては「そういう人もいる」くらいのことしか言えないのではないのか。 しかし、こういったリベラルな態度が気に入らないという「肉系女子」からの不満がたびたび漏れ聞こえてくるので、こんなコメントをしてみたわけだ。 ――元記事は故森繁久彌のセクハラ常習を「ほほえましいエピソード」化した朝日新聞「天声人語」*1への批評。 はてなブックマーク - これはひどい - Apes! Not Monkeys!  館 http://b.ha

    セクハラと草食の関係――個別戦術を一般化させた戦略運用の誤り - umeten's blog
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    castle 2009/11/16
    「個々別々の対象を乱暴に一般化して単一の戦術を全体に適用できるような対象と見なすことがそもそもの間違いの発端」「つまるところ、最大公約数的な解法としては「そういう人もいる」くらいのことしか言えない」
  • ジョルジュ・バタイユ - Wikipedia

    ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897年9月10日 - 1962年7月8日)は、フランスの哲学者、思想家、作家。フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けた思想家であり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を与えた。 概説[編集] 1879年にフランスのビヨムに生まれる。父親は梅毒に侵され全盲状態であった。両親は無宗教であったが、人の意志で1914年にカトリックに入信。敬虔なクリスチャンとして過ごす。その頃から神秘主義的な素養が芽生え始めている。その後フリードリヒ・ニーチェの読書体験を通して1920年代の始めまでには無神論者となった。「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化

    ジョルジュ・バタイユ - Wikipedia
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    castle 2009/09/14
    「ニーチェの読書体験を通して徹底的な無神論者となる」「死とエロスを根源的なテーマとして」「ブ米:「悪」こそが社会とエロティシズムの本質を嗅ぎ分けるにあたって最も必要欠くべからざるものだという思想」
  • ミシェル・フーコー - Wikipedia

    政治、規律訓練の制度・施設(規律訓練型権力)、談話分析、ディスクールの形成、装置Dispositif、エピステーメー、系譜学、統治性、ヘテロトピア、限界の体験、知と権力、パノプティシズム(監視社会、パノプティコン)、主体化 ミシェル・フーコー(Michel Foucault 発音例、1926年10月15日 - 1984年6月25日)は、フランスの哲学者、思想史家、作家、政治活動家、文芸評論家。 フーコーの理論は、主に権力と知識の関係、そしてそれらが社会制度を通じた社会統制の形としてどのように使われるかを論じている。構造主義者やポストモダニストと呼ばれることが多いが、フーコーはこれらのレッテルを拒否している[1]。フーコーの思想は、特にコミュニケーション学、人類学、心理学、社会学、犯罪学、カルチュラル・スタディーズ、文学理論、フェミニズム、マルクス主義、批判理論などの研究者に影響を与えてい

    ミシェル・フーコー - Wikipedia
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    castle 2009/09/14
    「新しい権力は生を向上させる」「フーコーは、個人の倫理を発展させ、自分の生活を他人が尊敬し賞賛できるようなものにかえる事により、この「生の権力」の具体的な現れである福祉国家に抵抗するようによびかける」
  • 差別が人権侵害でない? - 地下生活者の手遊び

    人権というコトバは、法の枠内におさめることのできるコトバではにゃー。無論、法と無関係に語ることは無理スジだろうけれど、法学が独占して取り扱う対象ではにゃーわけだ。ブンガクからもテツガクからも文化論からも、自由主義思想からもゲーム理論からも人権を語りえるものですにゃ。 僕は今回、だいたい自由主義思想の観点から人権について考えていますにゃ。例によって愚行権ベースにゃんね。法の話をしているわけではない、というのはそういうこと。 これに対し、「法学的にはこうですよ」という意見は歓迎するのだけれど、法学的におかしいからダメという話はナンセンスにゃんなあ。しかも、こちらが根拠をあげているのに対し、無根拠にDISられてもお笑いですにゃ。 いただいたレスやトラバにはなるべくお応えしていきたいとは思うのだけれど、時間がとれないので今日はとりあえず1点。今回は法の範囲内のお話ということで。 「レス」にレス 世

    差別が人権侵害でない? - 地下生活者の手遊び
    castle
    castle 2009/06/01
    「もちろん僕の見解は「差別は人権侵害」ですにゃ。世界人権宣言などの法的文章にそう書いてあるとしか」「法的な文脈においてすら、「法規制されない人権侵害」がありえるということになるんでにゃーの?」
  • 日経社説 安保理はスーダンで動け : NIKKEI NET(日経ネット) - finalventの日記

    現状の日でしかも通常コマ割りの社説で書くとするとこうなるかという簡素なまとめになっていると思う。という意味で悪くない社説なので、それ以上を求めるというのもあまり意味はないのだろうなと思う。 戦争犯罪と人権というのは、歴史にも問われる問題ではあるが、今というこの現在に問われている問題だし、今そうして歴史を刻みつつ、人権という理念へのチャレンジを人類が受けているのだ、が、なかなかそう思う日人は少ないように見える。 率直にいえば国家という幻想が、人権つまり国家幻想をはずした人間という概念を見せづらく保護しているのだ。 近代的な意味での「人間」は終わったし、その意味で、「ポストヒューマン」が問わうることも原理的に可能だが、私はそれは、端的にいえば、欺瞞だと思う。 私たちは人を愛する。理念ではなく、性欲も含めどうしようもない生の根源力として人を愛せずにはいられないものとして存在し、それは人権を求

    日経社説 安保理はスーダンで動け : NIKKEI NET(日経ネット) - finalventの日記
    castle
    castle 2009/03/11
    「今そうして歴史を刻みつつ、人権という理念へのチャレンジを人類が受けている」「(生の意味とは)その生の根源力とそれを覆う欺瞞の狭間で、自分が今歴史にどう問われているかに、生身の人間として向き合うこと」
  • なんというかまあ - finalventの日記

    フェミニズムというのに関心を失って久しい。単に関心がなくなったというか、フェミニズムと限らず「現代思想」もそうなんだろうし、他歴史問題という問題もそうなのかもしれないけど、議論のフレームワークがよくわからなくなっている。奇妙な印象を受けるのはそれでもそのフレームワークは「知」的に構成されていて、それなりに外国の議論などが前提になっているっぽいし、それなりに学際的な学術領域においてフレームワークはあるのかもしれないのだけど(翻訳文化という印象はあるけど)、けど、というのは、普通に欧米圏のインテリの日常というか世相の議論を見ていると、出てこない、そして欧米圏のインテリってけっこう洒落もあるけどマジな人が多いという印象はある(とくに同性愛問題)。なのでそうしたレベルを見ていると、まあ、現下の世界認識において、日のそうした知のフレームワークはそれほど重要でもないのかなという印象はある。 で、と。

    なんというかまあ - finalventの日記
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    castle 2009/01/14
    「日本のフェミニズムというのは、それを語る女性の論者というのが先生で、その先生を信奉する女性がいて、その女性に嫌われたくない男がフェミ思想を語るという構図、あるいは、その構図を嫌悪するという構図」
  • 「中絶と避妊の政治学」読み始めました。 - 消費者金融と広告

    のタイトル:「中絶と避妊の政治学~戦後日のリプロダクション政策」 著者:ティアナ・ノーグレン、監訳:岩美砂子、訳:塚原久美・日比野由利・猪瀬優理 出版社:青木書店 前のブログでこの書評について書き、どうしても読みたいと思ったのですが、高いので区の図書館から借りようと思い、予約を入れてようやく先週ようやく借りられ、今、読んでいる途中です。 とはいうものの、大変優れたしかも、重要なであり、どうしても早く紹介したいのでこの文章を書きました。 ●外人がなぜ日の中絶と避妊について書いたのか? 著者が疑問に思っていたのは、日の政府が避妊よりも中絶を事実上奨励するのは非論理的であり、世界各国と較べても全く異例なことだと考えていたことです。 中絶は日においては、1948年に合法化され、1949年の改正により日は「社会経済的理由」により中絶を認めた世界初の国になり、1952年の改正によ

    「中絶と避妊の政治学」読み始めました。 - 消費者金融と広告
    castle
    castle 2008/12/22
    「著者が疑問は日本の政府が避妊よりも中絶を事実上奨励するのは非論理的であり、世界各国と較べても異例と考えて」厚生省がバイアグラを半年間で承認し、抗議が起きた3ヵ月後に低容量避妊ピルも承認。薬剤利権?
  • 痛いニュース(ノ∀`):「学校の男女別名簿は男女差別。改善して」との苦情受け、「男女混合名簿」導入議論を勧告…岩手

    1 名前:おっおにぎりがほしいんだなφ ★ 投稿日:2008/10/04(土) 16:19:06 ID:???0 県の男女共同参画調整委員は3日、学校で使われている児童・生徒名簿が男女の別を設けない「男女混合名簿」にするべきかどうかを議論するよう、県教委に勧告した。県内の小中学校では、男女別名簿を使う学校がほとんどで賛否両論を呼びそうだ。 勧告は、「男女別名簿は、形式的な男女差別。改善してほしい」との県民からの 苦情を受けて出された。県男女共同参画推進条例に基づく慣行の見直しの一つとして、 各学校に議論を促し、判断材料となる資料を提供するよう求めている。 全国では、男女平等の観点から、混合名簿の採用を呼びかけている自治体もあるが、 県内では学校の判断にゆだねている。県教委によると、昨年度の県内公立校での 混合名簿の使用率は、小学校が34%(146校)、中学校が11%(22校)

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    castle 2008/10/05
    「着替えも(ry トイレも(ry 身体測定も(ry」「使いづらいだろ。混ぜたら」「アイウエオ順も差別だろ。いろは順にしろ」「差別と区別は違うだろ」アリーmyラブの法律事務所は男女共同トイレっぽかった。
  • 法政大准教授・白田氏、“児童ポルノの所持”を宣言。「単純所持が違法化されたら、真っ先に自分を摘発しろ」 : 痛いニュース(ノ∀`)

    法政大准教授・白田氏、“児童ポルノの所持”を宣言。「単純所持が違法化されたら、真っ先に自分を摘発しろ」 1 名前: バビディ(神奈川県) 投稿日:2008/06/06(金) 15:47:32.45 ID:M5CvVIlD0 ?PLT 単純所持宣言 / その他、性規制について 白田 秀彰 http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/hideaki/childpo.htm 以下抜粋 1 宣言 私は、2001年まで完全に合法であり 一般書店で市販されていた 「18歳未満の人物の裸の写真が扇情的な様相で掲載されている写真集」を現在 一冊保有していることを宣言する。 そして、法執行関係者に対しては、児童ポルノの単純所持が違法化された暁には 他の誰を摘発するよりも先に、拙宅に来るように呼びかけたいと思う。 法執行関係者が拙宅の住所を知りたければ、氏名職名を明らかにした上で、 **

    法政大准教授・白田氏、“児童ポルノの所持”を宣言。「単純所持が違法化されたら、真っ先に自分を摘発しろ」 : 痛いニュース(ノ∀`)
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    castle 2008/06/07
    「警察はこういう挑発には厳しい」←「こういう厄介な奴からは逃げて、抵抗できない弱者を狙うのが警察」「こういう行動を脳内妄想するだけで終わらせる人間は星の数ほどいるだろうがやっぱ行動出来るってすごいな」
  • 「女は何を欲望するか?」/内田樹 - 空中キャンプ

    内田樹新刊。テーマはフェミニズム批判である*1。とはいえ、内田は批判に主軸を置いていない。フェミニズム退潮の原因をさぐり、なぜフェミニズムは知的威信を失ったのかを検証し、かつてフェミニズムが達成した文化的成果のうちで良質なものを見直そうというのがこのの目的になっている。内田はこの作業について、「フェミニズムという船は沈みかかっているけれど、だからといって、ここまで運んできた財宝(知的達成)まで一緒に沈めてしまうのはもったいない。だから持ち出せるだけのものは持ち出して、これからも使うのだ」と例えており、「ポジティブな再検討」といっていいとおもう。 旧態依然としたフェミニズム的価値観──これを内田は「私たちは『そういうことばづかい』で何かを説明されることにしだいにうんざりしてくるのだ」と説明している──をふりまわすような人、ステレオタイプなフェミニストを素でやっているような人がほとんどいなく

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    castle 2008/05/19
    「(男性も)加害者であることを義務づけられ」「その起源が知られておらず、それを構築した主体を特定できない制度については、私たちはその制度を改廃したり、異議を申し立てたり、壊乱したりすることはできない」
  • 愛 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2009年10月) 中立的な観点に基づく疑問が提出されています。(2005年2月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2011年12月) 母の子への愛を「母性愛」という。 父の子への愛を「父性愛」という。 人類愛。フィランソロピー。たとえ民族が異なろうが、文化が異なろうが、どの人間のことも心から大切に思うこと。深く共感し、一歩踏み込んで、実際にその人のために具体的な行動を開始する心・精神。キリスト教ではしばしば「隣人愛」と言う。異民族でも隣人である。イエスが「善きサマリア人のたとえ」で弟子たちに教えた愛。こうした人類愛が、赤十字、UNICEF、国境なき医師団等々の組織設立やその諸活動となって表れており、実際に、苦しむ人々を助け、闇に満

    愛 - Wikipedia
    castle
    castle 2008/04/25
    「愛とは、崇高なものから、恋愛、そして欲望に至るまで様々な意味で用いられる概念」「日本でただ単に「愛」というと、(男女間の)恋愛を指す場合が多いが、実際には自己愛・家族愛・隣人愛なども含まれる」
  • 結論だけ言うと、恋愛は無意識、出会いは運命(啓示)。 - finalventの日記

    ⇒荒川静香な目線 - 俺のターン 自分が、ある一定の年齢以上のアルファブロガーとかの恋愛・出会い論に首を傾げて茶々入れるのは何でだろうと考えてたんだけど、理由はここで書いた荒川静香と伊藤みどりのようなもので、 アルファブロガーはさておき。「ある一定の年齢以上」だけに局限して、「恋愛・出会い論」関連だけど。 ま、つまり、私の、「恋愛・出会い論」みたいなこと、を、また。でも、ちょいと。 結論だけ言うと、恋愛は無意識、出会いは運命(啓示)。 恋愛というのは、自分の無意識が決めている。昨今の言い方だとDNAが決めている?まそれはひどすぎるか。でも、大枠は無意識が決めている。で、ややこしいのは、無意識が決めているのに意識でそれを踏みにじることはできる。ま、それが人間存在っていうものかもだけど。そして、無意識が決めるというは当に無意識が決めるわけで、「無意識が決める」という意識が決めるわけではない。

    結論だけ言うと、恋愛は無意識、出会いは運命(啓示)。 - finalventの日記
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    castle 2008/01/25
    「「あなたがいないと生きていけない」という生存の、個性化を通した問い掛けが恋愛とか出会いにある。のだけど、昨今の「恋愛とか出会い」は最初に「自分がいる」というモデル、個性化が前提」「恋愛は性欲」
  • 男女論の最高峰 - 書評 - モテたい理由 : 404 Blog Not Found

    2007年12月26日08:30 カテゴリ書評/画評/品評Love 男女論の最高峰 - 書評 - モテたい理由 マーフィーの法則、書評ブログ篇。 モテたい理由 赤坂真理 スゴは、まとめ記事を出した後にやってくる。 今年読んだエッセイの中で最高傑作。面白くなかったら買い取るを通り越して、買い占めて配りたいぐらいの一冊。 書「モテたい理由」は、副題に「男の受難・女の業」とあるように、男女論である。書籍にもblogosphereにも掃いて捨ててもまだ捨てきれぬほどありふれているあの男女論である。はっきり言ってレッドオーシャンである。そのレッドオーシャンの中に埋もれない力強さを、書は持っている。 目次 - BOOK倶楽部より 第1章 女の目から見た世界 第2章 獰猛な恋愛主義 第3章 蔓延するライフスタイル語り 第4章 女子が生きるファンタジー 第5章 ライフスタイルの先祖たち 第6章

    男女論の最高峰 - 書評 - モテたい理由 : 404 Blog Not Found
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    castle 2007/12/27
    「男を理性で理解する女は多い。彼女達の多くは、理性ゆえに男が下等に見えてしょうがない」「しかし下等であることと、下等であることを指摘されるのは違う。下等である者は、そう指摘されることで二重に傷つく」
  • 売春というのはちと違うか - finalventの日記

    私はかなりたぶん痴漢とかいうのはしないというかそういう嗜好がない。が、夏場など女性と限らず骨格をよく見ているというのはある。ま、それもかなり変な話だが。 で、売春と売春に似たもの、たとえば、性産業というのか、そこに差があるのか、あるいは段階があるのか、あるいはスペクトルがあるのか、私は知らない。たぶん、売春というのは古典的には性交を対価させるもので、岸田秀がいうように、育児をしない代価というふうな議論もありうるのかもしれない。 ただ、これは男の性欲の側からすれば、ようするに性欲なるものの対価に見えるので、売春が古典的だろうがどのようなスペクトルがあろうが、けっこうどうでもいいものかもしれない。話をめんどくさくしているみたいだが。 で。 性交でなくても、たとえば、女性の身体を触る、というのでも、その場合、それが対価の商売たりえる。というとき、そこで、違法と商売という契機がある。単純な話、見知

    売春というのはちと違うか - finalventの日記
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    castle 2007/08/12
    「女性の性の主体性というのは二義的な、あるいはお芝居というか、実はかなりフェミニズム的な言説の本質的な欺瞞性があるか、知らないか」「尻の感触によって得る特定の女性の屈辱であり、屈辱の対価が5000円」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…

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    castle
    castle 2007/07/09
    「逃れられない社会システム(byルーマン)の中で生きる我々は権力の網の目の支配-被支配関係から逃れることはできないし、それだったら、「自分のご主人様は自分で選びたい」」
  • 曇天 - finalventの日記

    ユーミンの「人魚姫の恋」を聞きながら、これをべたに聞いて、いつか自分が目覚めると思う40歳以降の女性がどのくらいいるのだろう、いやどのくらいという数ではない、心の形というか、思った。ユーミンが何を思ってこんな曲を作ったのか、わかるようなわからないような。女というものはわからないものだなと思うが、では男がわかるかというと、男とは私にとってはただ他者でもある。私はどうも男が親密に話し合う空間が気持ち悪い。女性が多い空間も苦手だ。適当な数まざって機能的しているくらいでないと、気持ち悪くなってしまう。が、では、ある程度少数ならどうかというと、どこかで心が動揺する。何かを自分が無意識に隠し持っているのかもしれない。中村中の歌をすんなり理解・共感してしまう自分の心の形もなにか奇妙だ。母子関係の問題がまだまだあるのだろうか。あるいはそこから一生出られるものもないのか。 うかつながら、ミルトン・エリクソン

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    castle 2007/07/08
    「エリクソンはどうも人間というのは「セックスして子どもを生め」のような生物社会学的に見ている。理屈・解釈といったことを彼はまるで信じておらず」「ラカンなどはフランスではベタな実技集団であり投影の実技」
  • 私は他者との関係においてスタイルはもたない - finalventの日記

    というかそれに忌避感がある。対人的な美学はもたないというべきか。 そのあたりの奇妙な錯綜感がネットのなかで見られることが多いように思うというか、当に自己を壊して投企というか、実存的な可能性を進めていく人は少ない。たぶん、エクリチュールが来的にスタイルという権力を人に強いるからだろうし、そのなかで人はスタイルの司祭になり、各種の手法で人を支配する欲望にからめとられてしまうのだろう。 たぶん、コミュニケーションという言葉で覆われているのは、ある種の権力だし、空気を嫁など、当は噴飯以外のものではない。 そうした投企というものは、ハイデガーはおそらく自身では理解していただろうが、性の源的な働きに関連していて、人は性の衝動によって、自己身体という文脈を投企させらるのだ。 あるいはそのために、世界の側が、「私」にとって限りなく性的であるような力を投げかける。 もっと近づいて(Kiss & Cr

    私は他者との関係においてスタイルはもたない - finalventの日記
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    castle 2007/06/10
    「エクリチュールが本来的にスタイルという権力を人に強いる。その中で人はスタイルの司祭になり、各種の手法で人を支配する欲望にからめとられてしまう」「人は性の衝動によって自己身体という文脈を投企させらる」
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