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法律とfinalventと思想に関するcastleのブックマーク (11)

  • 光市母子殺害事件元少年の死刑: 極東ブログ

    1999年に起きた山口県光市母子殺害事件で、強姦致死などの罪に問われた元少年の死刑が20日、最高裁で確定した。元少年は犯行当時、死刑が認められる年齢である18歳を超えていたものの、満18歳を1か月超えたばかりで、その点でも死刑が妥当かなどを含め、死刑の基準についても長く議論が続いていた。 検察は死刑求刑したが、1審の山口地裁は無期懲役とした。地裁判決要旨を引用したい(読売新聞2000/3/22より)。 主文 被告人を無期懲役に処する。 (罪となるべき事実) 【第一】 被告人は、平成十一年四月十四日午後二時三十分ごろ、山口県光市室積沖田四番の村洋方において、同人村弥生(当時二十三歳)を乱暴しようと企てたが、同女が大声を出して激しく抵抗したため、同女を殺害した上で目的を遂げようと決意し、頸部を両手で強く締め付けて殺害、乱暴した。 【第二】 同日午後三時ごろ、前記方において長女村夕夏(

    castle
    castle 2012/02/22
    「法が裁くのは、悪なる意思である。「法という一般意思」が「罰に値する悪なる意思」に向き合うのが裁判。精神異常者や少年が裁けないのは、そこに意思がないからであり、「悪なる意思」は計画性によって表れる」
  • democracyというのは権力を分散させる制度なのだが - finalventの日記

    ⇒東京新聞:政調機能 政府に移行 政策決定を一元化:政治(TOKYO Web) 民主党が政府・与党一元化に向けて検討していた政策決定システムの全体像が十八日、明らかになった。党政策調査会に政策分野ごとに設置された部門会議を廃止するかわりに、与党議員が政府側と議論したり、政策提案する場として、各省庁に「政策会議」を設置する。 新たな政策決定システムは、小沢一郎幹事長が十八日、党の全所属議員に通知した。 これだけ読んでいると、行政内に限定されるようだけど。 通知は「政策調査会の機能はすべて政府に移行する」として、政策立案・決定を政府に一元化すると宣言している。 問題は「政策立案」が、立法とどう関わるか? ⇒民主、政策決定を政府に全面移行 各省に議員参加会議 - 47NEWS(よんななニュース) これに伴い、一般行政に関する与党の法案提出は基的に認めない方針。ただ選挙や議員の政治活動など「すぐ

    democracyというのは権力を分散させる制度なのだが - finalventの日記
    castle
    castle 2009/09/23
    「米欄:地域的な多様性を保持した党の多様性プラス国家としての緩いというか最低綱領的な党の合意という事で、この二義において批判できない時点で民主党の政治理念は終わったというか、ただの国家主義に帰着した」
  • 2008-04-17

    話題は、英投資ファンドのザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド(TCI)がJパワー株20%買い増し問題。たしか石油系の電力はけっこうオイルマネーが入っているのだから、やはり裏は核問題かなとか思う。この界隈の問題はジャーナリズムがきちんとチキンなんでよくわからない。ただ、技術的にはけっこうフォローされているのでそのあたりから追うとわからないではない。名前を忘れたが以前、ブーちゃんとかいう犬を買っている官僚さんみたいなブロガーがいたが、この手の問題に正論めいて微妙に体制的だったような記憶がある(違っているかも)。 体制的であることが批判の対象ではないし、テクニカルな点で正論という議論はなかなか論破しづらい。ただ、結果の構図が現状維持の場合、あるいは仮想的に話がそらされているときなんか胡散臭い物を感じる(という点で私の議論を同様に思う人もいるのだろうが)。 中高生のおしゃべりのたぐいだろう

    2008-04-17
    castle
    castle 2008/04/20
    「日本は憲法上の制約から軍事力(核を含め)持つことができません。通常の国家のような外交戦略は採れません」「市民の成熟は、かなり厳しい状況になってわき上がるだろうと思うので、そのときまでにどうだろうか」
  • 朝日社説 安倍内閣に幕―右派政権の成果と挫折 - finalventの日記

    話の前提から、安倍政権が右派政権だったことになっている。どこが右派だったのか、読むに。 人が最大の成果と強調したいのは、憲法改正の手続きである国民投票法を憲法60年にして初めてつくったことだろう。教育法の改正と並んで「戦後レジームからの脱却」の2柱だった。 防衛庁を「省」に昇格させたのも、憲法改正で自衛軍をつくることへの一里塚として特筆したいに違いない。 ただ、こうした形づくりは右派政権としての誇るべき成果のはずなのに、内実が伴わなかったうえ、政権浮揚にほとんど結びつかなかったのは皮肉なことだ。 国民投票法は内実には異論もあるが、あれはもっと早期に着手すべきだったことだし、教育法の改正については民主党案とそれほど差異もなかった。防衛省については、「憲法改正で自衛軍をつくることへの一里塚として特筆したいに違いない」と言われると、まあ、そういう推測もあるかもしれないが、私の感性から

    朝日社説 安倍内閣に幕―右派政権の成果と挫折 - finalventの日記
    castle
    castle 2007/09/25
    「安倍政権のどこが右派だったのか」→「憲法改正の手続きである国民投票法を憲法60年にして初めてつくったこと/教育基本法の改正/防衛庁を「省」に昇格させた」「こんなのが右派政権だと思って叩いていたのか」
  • なぜフランスはスカーフを禁止するのか: 極東ブログ

    昨年、フランスのライシテ(非宗教性)について書き忘れていた。フランスでは日同様信教は自由であるが、同時に憲法で「非宗教性」が明記されている。端的に言えば、フランス国家はまったく諸宗教から独立していなくてはならない、ということであり、そのことから公共病院や公教育において、宗教性が厳格に排除される。そこで、昨今の問題となっているのが、イスラム教徒の女子学生のヘッドスカーフだ。単純な話では、学校ではスカーフをしてはいけないということで、それに反対する生徒が退学処分にされたりした。この問題はイスラム教徒から猛反発を受け、社会問題になったのだが、年末シラク大統領は法制化を決断した。 ニュースは、仏国家功労章を受章した山口昌子を抱える産経のニュース「公立校のスカーフを禁止 宗教色排除で仏大統領」が、国家寄りではあるものの、適切だろう(参照)。 フランスのシラク大統領は17日、大統領府で国民向けに演説

    castle
    castle 2007/07/13
    「イスラムにおいて信仰とは法の遵守であり、スカーフの着用は法。この法は、本質的に国家を凌駕する」「非宗教性とは、論議を拒否する既成の言説によって精神を支配するような「聖職者至上主義」からの開放の動き」
  • 朝日社説 ガス器具事故 メーカーの認識が甘い - finalventの日記

    小型湯沸かし器による一酸化炭素中毒事故の問題で、器具メーカーのそんな体質が明らかになった。それも1社だけではなく、業界全体がそうなのだ。 パロマ騒ぎのとき、私はこれはパロマだけではないなと思った。そう思う私が正しいとか主張したいわけではない。そうではなく、そういう世界に私たちは生きていたのだ。 朝日が「業界全体がそうなのだ」というとき、その時代の壁を抜けてこちら側にきて、かつてのむこう側をあざ笑うような、私はそういう正義が大嫌いだ。 私は子供のとき、身近にも先生にも戦地体験者がいっぱいいた。父は大病で戦地をたまたま免れたがその友達は多く死んだ。父の同級生名簿に戦死と並ぶ文字が子供ながらに絶叫したい思いだった。父の兄、私の伯父は二十代少しで死んだ。父と祖母はその死んだ伯父と私を無意識に誤解していたせいもあり、伯父の死を私は奇妙に継いだ。そして、私は、戦中という時代に自分を置いて考えてみようと

    朝日社説 ガス器具事故 メーカーの認識が甘い - finalventの日記
    castle
    castle 2007/02/24
    「もちろん日本の戦争における国家・政府の関与は肯定しがたい。というか、むしろそれこそが戦中を生きた人たちの思いでもあった。だが、単純に今の時代から過去に正義をたれるやつを私はまったく信用しない」
  • 安藤百福、逝く: 極東ブログ

    安藤百福が五日亡くなった。九六歳。天命とも言うべきかもしれないが、死に際して心筋梗塞で苦しくなかっただろうか。チキンラーメンの開発者であり、カップヌードル開発の事実上の総指揮者でもある。近年の連ドラ「てるてる家族」やプロジェクトX「魔法のラーメン 82億の奇跡」などで生前から伝説化が進んでいた。確かに日的な苦労とジャパニーズ・ドリームを実現したような人生である。が、日経新聞に掲載されていた「私の履歴書」の書籍化「魔法のラーメン発明物語」(参照)を読み返すと、そうしたわかりやすいグレートマン伝説とは少し違う、昭和史を体現した興味深い人物が浮かび上がってくる。 安藤が伝説のチキンラーメンの開発に取り組んだのは私が生まれた年、昭和三二年のようだ。その時、彼は四七歳。翌年開発に成功する。ざっくり見て、安藤百福の今日の栄光のスタートは五〇歳であった。顧みて四九歳の自分には人生をやり直してチャレン

    castle
    castle 2007/01/06
    「安藤は製塩業に失敗し、次に理事長をしていた信用組合が破綻した」「「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」。ある日そう考えると、また新たな勇気がわいてきた」
  • 祖母が娘の代理出産というニュースの雑感: 極東ブログ

    祖母が娘の代理出産というニュースをなんとなく耳にしたとき、「ああ、それができるのは根津八紘医師しかいないだろう」と脊髄反射的に思った。そして、それはいつもの根津八紘医師の言動の一環でもあり、考えなくていけない課題だが、時事的な枠組みで考えることでもないだろうと、そのまま関心を失っていた。 昨日、大手紙の社説がこの問題を扱っていた。一読して、どれも違和感を覚えたが、うまく考えがまとまらないまま、気が付くとエントリも書かず過ぎた。それはそれでいいのだが、さらに一日経過してみると、新聞社説への違和感は強くなっていた。そのあたりの、なんというか自分の気持ちみたいなものからちょっと書いてみたい。 朝日新聞社説”代理出産 法整備は待ったなしだ ”(参照)はこんな切り出しだった。 祖母が孫の生みの母。生殖医療の進歩が、こんなややこしい親子関係を作った。違和感を持つ人は少なくないだろう。 50代後半の女性

    castle
    castle 2006/10/20
    「命を生むという人の根源的な意志に対して「命懸けの行為を承知で産んでくれる人がいるなら、他人がとやかく言う問題ではない」ということ」「やはり健康は命より大切というブラックユーモアなのだろうか」
  • 国を愛するということ - finalventの日記

    ⇒H-Yamaguchi.net: 「愛国者」の3つの責務 ちょっと意外な感じがした。もしかして「社会」と「国家」の違いをわかってないのかもしれないなという印象を持った。 あるいは、共同体と国家の違いというべきか。あるいは、そんなものはないよということなのか。あるいは、啓蒙の文章を書くとき掬われる典型的なことというだけなのか。 共同体は直接的な愛情なり信頼感なりで結ばれる。ルールであっても会衆として向き合うことができる。国家はその延長にはない。国家はまず権力として現れる。その権力をどのように公的な正義とするかが問われる。民主主義とは会衆の原理ではなく、国家の原理なのだ。多数決は会衆の手法の一つだが、国家はそれで動かされてはならないために各種の制度を持つ。くどいがこの権力を公的に正義とするために押さえ込む制度を作り上げることが民主主義の質。 その意味で、すこし言い過ぎだが、国家とは法であり

    castle
    castle 2006/08/23
    「もしかして「社会」と「国家」の違いをわかってないのかもしれないなという印象を持った」作為を理解したら日本人やめなくちゃ、とかー。 「(個別の国家とするのは)秘密結社的なアソシエーションである」
  • 朝日社説 靖国参拝 嘆かわしい首相の論法 - finalventの日記

    まさに戦中の朝日新聞が蘇るようだ。 分祀と首相参拝は関係ない。問題は、首相参拝となれば公的ということでそれは憲法違反ということ。分祀だの合祀だのは単立宗教法人靖国神社の問題。 そもそも何を分祀するというのか。霊魂か? 死後の不滅の霊魂といった特定宗教の教理を公の場で問うばかばかしさはもうやめにしてもらいたい。 余談だが、合祀の背景に国家との関連を見るという議論も見かけるが、論理に隙間があると思う。国会の経緯を見ればA級戦犯はいないということと、それゆえに靖国がどう対応したかは別の問題。ただし、国家が靖国を援助したとなれば問題だし、それは一義に金銭・税制面での援助の有無が問われる。

    朝日社説 靖国参拝 嘆かわしい首相の論法 - finalventの日記
    castle
    castle 2006/08/04
    「分祀と首相参拝は関係ない。問題は、首相参拝となれば公的ということでそれは憲法違反ということ。分祀だの合祀だのは単立宗教法人靖国神社の問題」
  • コメ欄: 極東ブログ: 国民による国民のための国民の政府

    明け方ぼんやりしていていて、ふと、"government of the people, by the people, for the people"の定訳、「人民の人民による人民のための政治」(参照)が誤訳なんじゃないか。なんで「人民」なんだ?と思った。the peopleは、単純な話、「国民」でしょ。 日だと、日国があって、国民がいて、政府がある。で、この、"government of the people, by the people, for the people"というのは、政府というもの性質が、"of the people"国民に所属する、"by the people"国民が運営する(たぶん委託する)、"for the people"受益者は国民である、ということなんじゃないか。 もう随分前になるが、「極東ブログ: 試訳憲法前文、ただし直訳風」(参照)を書いたことがあるのだが

    castle
    castle 2006/06/05
    「the peopleは、単純な話、「国民」でしょ」合理性を中和するため人間賛歌を仕込んだとか。「そうではなく、これは統治される対象が人民であることを指している」「これは国民の所有ということでしょ」
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