ウィトゲンシュタインの概念。 「アウグスティヌス」的な在来の言語観を批判して提出された、あらかじめ設定されたルールを前提にするわけではないが、実際の会話の中で更新され生成されるルールセットからなるものとして、ゲームの類比でとらえられた言語観。言語の記号的、表象代理的側面ではなく、機能的側面をより基本的なものと見る。 「すなわち、年長者たちが或るものの名を呼び、その音声に従って、身体を或るものの方へ動かしたとき、私は、そのものを私に示そうと思う際には、彼らはその発する音声によってそのものを呼ぶということを見て、覚えた。彼らがそのものを私に示そうとすることは、いわば万民共通の自然の言語によって明らかであった。そしてこの言語は、顔つき、目つき、その他四肢の動き、音声の響きからできていて、もの求め、手に入れ、斥け避けようとする心の動きを示すものである。このように、いろいろな言葉がさまざまな文句のう
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
⇒世間では言えないが ⇒はてなブックマーク - 世間では言えないが 見方によっては、ぜんぜんむずかしくないわけで、言葉の暴力は、感じ方の問題だし、男の感じ方が問題なのだから、男の問題でしょ、FA そうじゃないっていうのは、男の問題であることをそらすためでしょ、そういう考え方は(中略)FA まあ、そんな感じかな。 現実的には、女性が言葉の暴力じゃなくて、実暴力を振るいだしているので、時間がたてば自然に解決する……つまり、ふつうのDV問題になるのだけど、その過程で被害になるのは男じゃなくて子供。そのあたりが問題というか、もっというと これとかも若干⇒極東ブログ: [書評]母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(信田さよ子) まあ、ちょっと話が飛躍しすぎだけど。 個人的に、というか、俺も男だけど、女に暴力を振るったことはない(本人談)、というか想像もつかない。男性のDVは論外だと思うけど、他人事感は
スカート丈 中学生の娘を持つ母親が、 「最近の子のスカート丈は短くてけしからん」 と話していた。 「(…ミニスカの下に短パンを穿くのが流行ればいいのに。そうすればミラーマンも減るかも)」 と変態的なことを考えたが、流石に口にだせず、 「そうですね」 と言っておいた。 ややこしい話 事実上、多くの場合、求められるのは、合意の上で、よく社会化された「衝動の発露」と「その受容」であり、「何もおこらないこと」ではない件。 もちろん、いかなる場合であろうと、衝動の発露の対象となることを拒否する人もいて、それは尊重すべきと思う。当然、ポリシーを変更する自由はある。 ときたま、非合意の上で発露された衝動も賞賛してしまう人がいて、彼が非難されるのも仕方が無いかな。 で、合意が得られず、社会化できない「衝動」の行く末が、ちょっと気になる。
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
写真で振り返る京都旅行 先日文学フリマ京都8に参加するため初めて1人で京都へ行ってきました。随分時間が経ってしまったのでもうブログにまとめなくていいか、と思っていましたが、せっかくなので写真をメインに記録しておこうと思います。 出発▷▶︎▷▶︎わくわく新幹線! 新幹線初心者すぎてか…
「最近なんでもかんでもネタだの釣りだのプロレスだの言ってりゃ大満足みたいな風潮が蔓延しすぎていい加減鬱陶し」くなった増田が、「なんでネット民がなんでもかんでもネタだのプロレス扱いするのかについて考えてみたんだ」そうで。 そいつらネット歴が長ければ長い程、ネット上の論争が現実の殴り合いや法廷闘争に発展したケースがレア中のレアだって知っちゃったからなんだろうなぁ、と。ずーっとニフティの時代から糞みたいな非生産的ななんとなくの文字列だけの大ケンカ見続けてきて、しかもそれが現実にいまいち割合てきにフィードバックされないことを見続けてると、ネット上の論争の大半はネタか釣りかお遊びにしか見えんよなぁ、と。 要するに、ネットにおける言論が現実に還元されるケースがあまりにも少ないことに絶望し、面倒くさいからもう全部ウソってことでいいや、と自暴自棄になったってことか? 個人的にはなんでもかんでもネタ扱いして
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