「ネット依存・ゲーム依存」の境界線とは? 生活破綻、病院レベルの確認を! 『ネット依存・ゲーム依存がよくわかる本』 監:樋口 進 ひと目でわかるイラスト図解。なぜ、ゲームにそこまで熱中してしまうのか、さらにスマホが依存を加速。やめられない心理から最新の治療法まで徹底解説。
ここ数日更新してなかった理由はですね、クリスマスだから、鬱になって、一人寂しくケーキを箸で突っついてたとかそういう理由ではなくてですね、突然で、本当突然の話ですが、突然すぎて、どうも自分でも嘘臭いんですがね、先日突然ですね、もう、クリスマスですよ。今年の鬱の総決算ですよ。ええ、ええ、そいつを目前に腐っていたんですけどね、例によって。そんな中、突然ですね、バイト先の後輩がですね、まぁ、どんな風に言われたかは具体的には書きませんけど、「先輩のこと、ずっと前から好きだったんです」的なことを突然言ってきてですね、おいおい、どうするよ、と。いきなり突然にそんなこと言われたら、案外答えられないもんですね。現実には選択肢がでてこないし。セーブできないし。いや、無論、嬉しくないと言えば嘘になりますが、僕もパニくったり、嬉しかったりする半面、「あれだろ、どうせクリスマスだから、とりあえず、手近な男で済まそう
モテないって言うじゃない。俺モテない。私モテない。みたいな。 でもそもそも私はもう「モテない」と言う言い方すら私が言ったら傲慢なんじゃないか?とか、最近思うわけです。だってモテないて。まずモテるという言葉ありきというか。モテるという現象があって、それを否定してるみたいな。それはちがうんだよ。全然違うんだよ。チヤホヤされない。と言ってるも等しいっつーかね。チヤホヤされないもなにもそれは当たり前だろ?的な。チヤホヤされ、皆が私の前に頭を下げた挙句「王女様!王女様!」とか言われない、みたいな。そりゃそうだろ、言われねーだろ。言われないのが基本だろっていう違和感を感じるわけですよ。言われないのが基本なんだから、言われるというイレギュラーなハプニングが起きた場合に皆が私の前に頭を下げた挙句王女様と言ったよみたいな事を言うべきなわけです。私の場合。 そんな理屈で、「モテない」ということに、誰も何も言わ
⇒切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる ま、そりゃ、ネットの言論はクズでしょ、またーり、みたいにも思うのだが、言論とかいうときのスコープが違うのな。非モテとか非コミュとか、俺くらいの歳のフツーの男とかから見ると、別に情報業界場末の中小企業社長さんにぶいぶい美学を語らせるまでもなく、バカじゃねーこいつらってことになる。で、ま、端的にネット側から応答すると、爺、氏ね、つうことになる(そして俺も爺だ)。そのあたりのズレの全体構図がわかってないとネット言論の持つ潜在的な意味はよくわかんないですよ。ってか、補助線的に言えば、吉本隆明が80年代にマスイメージ論あたりでサブカルチャーを文学と同一地平に置いたあの柔軟性みたいなものが、今、ネットの言論で起きているのに気がつかないやつ、ゆっくり寝ていてください、というか、言わなくても安眠しているげ。ま、俺くらいの歳で
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