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あとで読むと教育と日本に関するlotus3000のブックマーク (3)

  • 戦前の日本軍や昭和後期のリンチ私的制裁

    じぇーでぃーさん@がんばらない @j_doby 「昔は日もマナー悪かった」系の話と「今の老人がマナー悪い」系の話を合体させると、「マナー悪かった人間が引き続きマナー悪い」というだけの話になりそうである 2015-09-29 15:37:02 メーメル @memel_ko1 祖母が満州にいた時の話を時々するのだが、当時の日人は当に偉そうだったらしく、満州に来ても中国語を少しでも喋ろうという日人はほとんどいなかったそう。 皆「なぜ俺たちが中国語なんか喋らなきゃいけないんだ。意思疎通取りたきゃ中国人が日語を喋ればいいだろ。」って態度だったからだ。 2015-09-29 17:19:46 メーメル @memel_ko1 あと日人は平気で中国人のこと殴ってたらしい。まあ当時は普通の日人も憲兵に殴られてたし、外国人差別というわけではないのだが、外国人に対しても平気でお構いなしで殴ってたと

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  • 三つの寂しさと向き合う(平田オリザ)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    金子光晴の『寂しさの歌』の中に次のような一節があります。 遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。 君達のせゐじゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。 寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、 母やをふりすててまで出発したのだ。 かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、 風にそよぐ民くさになって。 誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。 ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、腕白のようによろこびさわいで出ていった。 そしてこの長い詩は、以下のような一節で終わります。 僕、僕がいま、ほんたうに寂しがっている寂しさは、 この零落の方向とは反対に、 ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いてゐるたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない

    三つの寂しさと向き合う(平田オリザ)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
    lotus3000
    lotus3000 2015/08/17
    これからの課題はあるだろうな。文化資本のいくつかは消えるだろう。
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