「ローマ人の物語」を10倍楽しく読む方法シリーズっ(実は続いている)。 「ローマ人」ツッコミどころ多すぎー、塩野節がイイ感じを醸しだしているんだけど、調子っぱずれなトコは耳に障る。「面白ければ、それでいい」というスタンスでヘンなところは嘲笑(わら)って読み流してる。 しかし、物語のくせに「これこそ事実だ」的な断言口調や、根拠レスで歴史家をけちょんけちょんに貶すのはいかがなものかと―― 心配するのは余計なお世話? 【問】 歴史の専門家は、「ローマ人の物語」をどのように評価しているのか? あるいは黙殺しているのか? それとも目の敵にしているのかね? ここでいう専門家とは、学術的な権威の裏付けを持つ人で、一般に教授とか呼ばれている人々。図書館のレファレンスサービスで調べてもらったのだが、クリティカルな回答を得られたので紹介する。カンタンに言うと、【答】 黙って言わせときゃいい気になって!「聞き捨
について、アレントを直接には一顧だにせず、古典期ギリシア・ローマの一次資料に即して行われている木庭顕の仕事を参考にして考えてみるとどうなるか。 木庭によれば古典期ギリシアのポリス社会、そこでのデモクラシーと、共和政ローマは意外なほど近しい。共和政期のローマは明確にデモクラシーに到達していたのであるし、そこでの貴族と民衆との対立、あるいは元老院と民会といった階層構造の対応物は、しばしば「直接民主政」とくくられてしまうギリシアのポリスにも存在する(評議会と民会)。 そしてローマにおける「法」は、いわゆる(後の)公法(に対応するもの)のみならず、後世のいわゆる「ローマ法」の核心をなすところのいわゆる「私法」「市民法」まで含めて、あくまで、政治システムの一環、古典期ギリシア・ローマ的な意味での「政治」の延長線上にある。 アレントらのいうところの公と私の厳然たる区別、そしてあくまで公的な営為として古
当ページでは、&bold(){橋爪大三郎}と&bold(){大澤真幸}による『&bold(){ふしぎなキリスト教}}』(講談社現代新書)に記述されている、&bold(){&font(green){単純な事実に関する膨大な量の間違い・誤り}}を扱う。 2012年7月18日現在、&bold(){&color(red){130個以上の誤りが挙げられている}}が、まだ未完成。なおこの誤りの数は&bold(){&color(red){明らかな誤りのみをカウントしたもの}}であり、&bold(){[[疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」>http://www32.atwiki.jp/fushiginakirisutokyo/pages/15.html]]}に挙げられている項目数は含まれていない。まだまだ対応出来て居ない間違いがあるため、今後さらにページを分割することも有り得る。 ※ 当ページ編集者
自分でもよくわかっているわけではないのだがたとえば(これはあくまでも一例でしかない、自分はホームレス問題について深刻な関心を持ってはいない)、ホームレスの公園「占拠」を巡る事件において、事実としてではなく権利としての「占有」の意義が下手をすれば浮上しかねない、といった話が妙に頭の隅に引っかかっている。 そして木庭顕先生は、あろうことか「法の核心は占有にあり」ととんでもないことをおっしゃる。世界のどこにでも普遍的にある広い意味での「法」ではなく、今日の我々の実定法、市民法と司法のシステムとそれを支える学理としての「法」の核心は、もちろん「人権」などではないがさりとて「所有」でもなく、今やほとんど死にかけてその意味も見失われている「占有」である、と。しかしそのことはローマ法、それも「所有」概念とともに爛熟期を迎えた帝政期のではなく、共和政期のそれを見なければわからない、とも先生はおっしゃる。
政府の機能向上が、道路の能力向上に追いつけなかったのが敗因だったんじゃないのかな、と思う。道路というのは物流と情報、文化を運搬する道具であって。
中根式速記法講解 中根正親著「中根式速記法講解」京都速記学校(大正5年2月発行)より ※(現代表記に直している) 速記学とはいかなるものか 社会の制度が進歩するにつれて、速記学のごときも近代に至り長足の発達をなしてきた。 言語と文字は我々の生存上、欠くことのできないものであるが、その文字に関して世界各国とも競うて簡捷なものを求めている。 日本でも近来ローマ字採用論が盛んになってきたが、そのローマ字を使いならしてきた英国などで盛んに速記文字採用論が起こっているからおもしろいと思う。もう、かの地では実社会通用の文字となって、聖書、小説、その他あらゆる書籍が速記文字で出版せられ、特に実用上実業界では普通文字を駆使してしまっている。日本にいる外人実業家に尋ねてみたら一番よくわかるだろう。彼らは「速記とタイプライターとを知らねば実業家になれない。実業界に入れない」と切言するのである。 這麼(しゃま
ローマ帝国といえば古代ローマ文明を築いたラテン人やカエサルのガリア戦記に記録が残るガリア人・ゲルマン人など、白人を中心とした社会というイメージを抱きがちですが、地中海沿岸全域を版図とした広大な帝国は、アエギュプトゥス(現在のエジプト)からマウレタニア(現在のモロッコ)までアフリカ北岸地域も含み、当然アフリカ系の人口も多く、アフリカを離れ現在のヨーロッパ・中東へと帝国内で移住する人々も多数いたようです。 現在のイギリス南部にあたるブリタニアはローマ帝国の北端、辺境とも言える場所ですが、属州化以降は多民族・多人種・多文化が共存するローマ化された社会となった時代がありました。 ヨークにあるローマ時代の遺跡で発掘された、通称「Ivory Bangle Lady(象牙の腕輪の貴婦人)」と呼ばれる女性の存在により、当時ブリテン島にアフリカ系の人々が住んでいて、その中には非常に裕福で社会的地位が高い人々
教会の隠し扉を開いたら、1900年前のローマ帝国時代の地下水路が眠っていた イタリア・ローマ近郊の町で廃墟となった教会の隠し扉を調べたところ、西暦109年に造られたと言う、ローマ帝国時代の地下水路の遺跡が見つかったそうです。 「ルパン三世・カリオストロの城」で湖底に古代ローマの遺跡が眠っていたというエピソードを彷彿とさせる話ですが、西暦109年と言うと第13代皇帝であるトラヤヌス帝の時代。 ローマ帝国最大の版図となった大帝国の時代でもありますが、皇帝の命によって湖からローマへの水源確保のため造られたものだそうです。 この1900年前のローマ水路の遺跡を発見したのはイギリスの映画制作者。ローマから少し離れたマンツィアーナという街の、廃虚となった教会の隠し扉から見つかりました。 水路の長さは約125m。ローマにつながる11の水源のうちの1つで、水はブレシアーノ湖から供給されていました。 西暦1
超レトロっす。 こちらは西暦200年頃にローマ帝国で作られた、おそらく世界最古の万能ナイフ。世界最初の万能ナイフは6つの機能がついています。 現代のものは、ねじ回しやプライヤーといったものが中心ですが、古代ローマ時代は食事を楽しむための道具がたくさんついていますね。 フォークやスプーン、そしてナイフといった食事に必要なものから、食後の歯ブラシまで搭載。そして、驚くべきことに、僕らが使っている現在の万能ナイフのように、持ち手にコンパクトに収納できてしまうのです。すごいなー。 この世界最古の万能ナイフですが、約20年前に地中海で発見されたもので、1897年に発明された近代的なスイスアーミーナイフよりおよそ1800年前に作られたものだそう。 現在ギリシア・ローマ時代の資料として英国ケンブリッジのフィッツウィリアム博物館に展示されています。 [Daily Mail] Kyle VanHemert(
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