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努力に関するlotus3000のブックマーク (18)

  • 「宿命」のレールを乗り継いでいく、「何者にもなれない」自分 - あままこのブログ

    熊代亨(id:p_shirokuma)氏が、ブログで「週刊金曜日」に、サブカルチャー作品における「努力の位相の変化」について寄稿したという記事を見ました。 『週刊金曜日』の特集「若者に広がる“新しい宿命観”」に参加しました - シロクマの屑籠 それで、今回特集のタイトルが、「若者に広がる“新しい宿命観”」という面白そうなテーマで、しかも斎藤環氏や内藤朝雄氏に土井隆義氏といった、自分が大好きな方々が寄稿しているということで、さっそく買って読んでみました。 週刊 金曜日 2015年 1/16号 [雑誌] 出版社/メーカー: 金曜日発売日: 2015/01/16メディア: 雑誌この商品を含むブログを見るまあ四人とも、普段著書や講演・ブログ等で書かれていることとそんなに外れたことは書いてない感じなのですが、ただこうして「努力」「宿命観」というキーワードでまとめられると、また新たな視点が広がる感じが

    「宿命」のレールを乗り継いでいく、「何者にもなれない」自分 - あままこのブログ
  • パートナーのニーズをすべて満たそうと独りで努力しなくていい | ライフハッカー・ジャパン

    一夫一婦制の関係にある私たちが、ポリアモリー(交際相手を一人だけに限定しない恋愛関係)から学べることがいくつかあります。パートナーのニーズのすべてを自分が満たそうとするかわりに、一部のアウトソーシングを検討してみましょう。米誌『Psychology Today』は、一夫一婦のカップルがポリアモリー関係にある人々から学べるヒントを紹介しています。パートナーのために何もかもすることはできないので、役割の一部を他の人に引き受けてもらうべきだというのです。 私たちは、パートナーに多くのことを求めすぎています。親友であり、理解者であり、恋人であり、自分の世話をしてくれる人、共通の趣味を楽しむ人...。1人の人がこれら全ての役割を同時に担うのは不可能です。こうした要求を満たせる別の人を見つけましょう。パートナーにかける負担を減らせば、他の要求事項をよりうまく満たすだけの余裕が生まれます。 あなたがテニ

    パートナーのニーズをすべて満たそうと独りで努力しなくていい | ライフハッカー・ジャパン
  • やわらかメンマ on Twitter: "努力せずに人を見下せる立場になりたいと思っている人が非リア充とか非モテとか名乗っている気がする 「好かれたい」じゃなくて「上に立ちたい」という思い上がりを弱者ぶることで誤魔化してる感じ タチが悪い"

    努力せずに人を見下せる立場になりたいと思っている人が非リア充とか非モテとか名乗っている気がする 「好かれたい」じゃなくて「上に立ちたい」という思い上がりを弱者ぶることで誤魔化してる感じ タチが悪い

    やわらかメンマ on Twitter: "努力せずに人を見下せる立場になりたいと思っている人が非リア充とか非モテとか名乗っている気がする 「好かれたい」じゃなくて「上に立ちたい」という思い上がりを弱者ぶることで誤魔化してる感じ タチが悪い"
  • 武道家と老化

    先日、昔の仲間のところへ寄ったら 昔関係していたある防具付き空手の国際大会の プログラムを見せられた。 わしの名前が大会顧問の欄に載っていた。 へえーまだ忘れられてなかったんだと 感心すると同時に主催者に感謝した。 まったくくだらないことで名前を使われるのは いやなものだが、この団体はもう長く活動を 続けているところなのでちと嬉しかった。 そういえば二年位前に同じ大会を見に行ったことがあった。 十数年ぶりにあった昔の仲間は 今はもういい年だ。 初期メンバーの伊藤氏などはガンで死去したし その他の人もほとんどが肥満や高血圧、 糖尿と加齢による不調を抱えていた。 一人が言った。 「もう昔のように体が動かないから口ばかりうるさくなって」 その言葉には実感があった。 実際、空手などの格闘技で年を取っても 衰えない人はほんの一握りにすぎない。 ある意味、天才的な人だ。 そのほかの大部分の人は年年歳歳

    武道家と老化
    lotus3000
    lotus3000 2013/03/28
    武道家の老いとの付き合い方。
  • 過程ばかりを重視してませんか? - 遥か彼方の彼方から

    戯言「結果が全て」は嫌われ者結果が全てという言葉があります。どれだけ努力をしたか、どんな方法をとったか、真面目だったか不真面目だったか、そういったものを考えず、目標を達成したかだけを見る。 この言葉ってあんまり好かれてないなと思うんですよ。どこか、嫌われ者な感じがする。心が強い人は好んで使いそうですが、おおかたの人は嫌いかなと思う。 結果が全てという言葉には、過程がどうでもいいという意味合いがすごく感じられる。ズルしていいとか、何をやってもいいとか、そんな感じ。一生懸命とか、頑張ったこととか、そういったものを無碍に否定されて嬉しいという人はあんまりいない。最終的に駄目でも、そこまで頑張ったことを評価して欲しいですよね。僕だってそうです。 結果が全てじゃない 結果は全てじゃないです。どう考えたって、結果より過程の方が長い。例え失敗しても頑張ったことは確実に力になるし、試合に負けたってゲーム

  • Web評論誌「コーラ」15号/哥とクオリア 第19章:哥の現象学あるいは深読みの愉悦─ラカン三体とパース十体(急ノ参)

    lotus3000
    lotus3000 2011/12/24
    多分これ、上山和樹さんの中間団体論とつながる問題だ。ひょっとしたら孔子も
  • 「がんばった人こそがヤバい」という矛盾 - Freezing Point

    10月25〜26日は、横浜にいました。 【10月25日】 (1)フランスから短期で来日中の、「日仏ひきこもり比較研究」をされているチーム(参照)と、 (2)関東で10年以上、ひきこもりに関する討論サークルや読書会、親の会などを継続されている皆さん(参照)が出会う場に、同席*1。 【10月26日】 上の(2)にかかわる皆さんと、議論の集まり。私のレジュメを参照しつつ、他にも様々な点を論じました。 診断上の「グレーゾーン」 はっきり「病気・障碍」と位置づけられれば社会保障の対象になるが、ひきこもりのように診断学上の位置づけが難しい場合、保障の対象になりにくい。 そこで何が起こるかというと、とにかく明白な障碍者役割を手に入れた人から救われていき、自助努力を試みてしまった人たちこそが、命の危険に晒されるということ。 あるいはこうも言える。 (a)「保守的な左翼」は、社会保障の獲得を指南する。 (b

    「がんばった人こそがヤバい」という矛盾 - Freezing Point
  • ポジティブ・アレルギー 競争原理のパラドックス

    物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応 (1)競争原理はユートピア感覚無しには成立しない この世がユートピアでないということを知ってしまう人間が増えれば増えるほど、競争原理は衰退していくことになる。何故なら、この世界を「頑張ればなんとかなる世界(即ちユートピア)」であると感じることができなくなってしまった者は、新しい競争へと参加することが出来なくなってしまうからだ。また、既にその者が「競争への参加」という状態を獲得していたとしても、ひとたびユートピア感覚を失ってしまうと、その者が保有する世界観の中で「競争の先にある悲惨な未来」が決定づけられることになり、やはりその状態を維持することは難しくなる(悲惨な未来のために努力する人間はいない)。よって、社会が備え持つ「人々からユートピア感覚を引き出す能力」が弱まれば弱まるほど、

    lotus3000
    lotus3000 2011/01/11
    面白いパラドックス。もっとしられるべき。多分に規模の経済とかも絡んできたらもっと色々考えられそうだ。
  • 形式主義という実験ラボ - Freezing Point

    石川和広(@ishikawakz)氏 と 岡崎乾二郎(@kenjirookazaki)氏 のやり取り。 石川: 私小説の「私」っていうのは書く活動における「実験ラボ」みたいなものとしてとらえた方が良いですね。たぶんそうすると「命を懸けて書く」というと精神論的になるから言い方を変えると「私という世界に現象するものを記述する」とはいえる。 岡崎: そう遭難。 やっぱり命をかけて、書くのではないでしょうか? 先に私があるのではなく、書くことによって私が…いや、ちゃんとやれば自分の理性や意識が作り直され、変調、失調、喪失してしまうはず。それが形式主義の醍醐味。 形式のフレームをはめて、そこでひたすら没入するからこそ、自分が何をやっていたかに気づき、“遭難” する。 遭難した場所からしか取り組み直すことができない。 私はこれを、社会生活について考えようとしている。とりわけ、職場や親密圏について。 そ

    形式主義という実験ラボ - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2010/12/15
    なんだか短歌という形式で救われた穂村弘と似た問題が…/id:ishikawa-kz、形式を意識するうちにそのズレがめだち、そのズレを形式にとどめるか外すことで表現とともに私が作られるという感じでしょうか
  • 夢みるあなたは私の現実 - Freezing Point

    番組内の発言より(大意): ひろゆき氏: 「当に違法と言えるようなブラック企業であれば、労働基準監督署に駆け込んで裁判でもやればいい。基的には《お金をもらう仕事》と割り切って、条件がつらくても我慢するしかない」 田由紀氏: 「まっとうな努力に応じて相応に成果を得られる状況づくりを目指すべき」 関連して、宇多田ヒカル氏の tweet より: * 私は働くことがとても好きだし、楽しい面もあり辛い面もあり、色々な人と関われることにとても感謝して毎日仕事してるけど、「私、夢のある仕事してるな〜!」なんて思わないだけだよ。ものすごく「現実」だから。そこに私の誠意があるから。 * 人は夢を見させてくれるものに惹かれるけど、今回のアルバムの新曲書いた時「愛」って何?と考えて、愛は「現実を受け入れること」なんじゃないかなって思ったの。あるのは現実のみ。 夢というより、《どういう現実を誤魔化したくない

    夢みるあなたは私の現実 - Freezing Point
  • ひっぱたきたくなくても、ひっぱたく

    アンカテのessaさんが「赤木智弘にひっぱたかれたくない!」でとても面白いことを仰っています。 「『丸山眞男』をひっぱたきたい -- 31歳フリーター。希望は、戦争。」に対する反応で、ネットでの反応等から議論の流れはおおよそ掴んでいたものの、原文を読んで一つだけ「あっ」と思ったことがある、という内容。 それは、タイトルの「『丸山眞男』をひっぱたきたい」が何を意味しているのかということ。 essaさんは「丸山眞男」を、現在の思想状況を作り上げたものの象徴として用いられていると理解していたのですが、実際は「戦争が起これば、通常ではあり得ないような『立場の逆転』が起こりうる。丸山眞男をひっぱたけるのは、戦争においてだけだ」という、ずっと即物的な内容だったのです。 この「誤読」と「気付き」は、絶妙に知識人とそうではない者(にidentifyする者)のズレを表現していて、非常に興味深いです。加えて、

  • 本当に独立した悩み方が始められるか否か。 - Freezing Point

    集団的にはまり込んでいる努力や興味のあり方が、苦痛を再生産する枠組みそのものであること。 受けの良いことを目指すだけでは、集団的傾向それ自体の生み出す苦しみを対象化できない*1。 当に必要な努力モチーフは、まずはほとんど支持を得られない。 「努力や興味のあり方それ自体がおかしい」というのは、ナルシシズムの根幹にかかわるから、ほとんどの人は怒りだしてしまう。しかし、取り組まねばならない問題はまさにそういう形をしている。真剣にやっている、その真剣さのスタイルが間違っている。 人々の願うとおりの話――ひきこもる人がそれを踏襲して優等生ごっこをしたがる話――をしてしまってはいけないのだ*2。 それは「彼らの悩みのルーチンに乗っかること」であり、必要な分析にはなっていない。 彼らのナルシシズムを満たせば、彼らは承認してくれる*3。でもそれは誤魔化しでしかない。 迎合した悩み方をやめねばならない。

    本当に独立した悩み方が始められるか否か。 - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2010/11/01
    素晴らしいエントリー。これはもっと知られるべきことだ。
  • ポジティブ・アレルギー 「自由意志による自己決定」こそが自己責任の源

    物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応 小6自殺、母に編んでいたマフラーで首つる : 社会 : YOMIURI ONLINE 世間の側に立つフリをして自分を守り、社会的ポジションを獲得した者は生き残り、自分よりも世間の側に立ち、その「正しさ」で自分を踏みつけにした者は死んでいく※1。 ----------------------------------- とはいえ、誰も好き好んで世間の側に立ち、自分を踏みつけにしているわけではないだろう。例えば切腹は何も自分の好きでそれをしていたわけではなく、そうせざるを得ないような状況に追い込まれるが故のものだ。それと同じように、世間の側に立って自分を踏みつけにしなければならないような状況が形成されるからこそ、それは行われる。 だが、「自由意志による自己決定」を前提とした近代主義的な

  • ■ - Freezing Point

    政治的正当性は、臨床上の要請だ。 「努力さえすれば、恐怖症とは別の努力ができる」という公正さを実現するには、努力プロセスそのものに照準した臨床モチーフが要る。 臨床に関して、「何を主題化しなければならないか」という合意形成は、政治的説得にあたる。その説得に失敗すると、効果が実現できない。――効果を目指した思惑に単に屈伏させることは、政治的に正当化できない。 関係性への民主的手続き(技法)の導入は、そのまま臨床上の課題。 政治性を排除した関係をつくる政治が横行している。 依存とは、「この関係にだけは政治が必要ない」と思うこと。 支援者の思惑に迎合することで居場所を得ようとする共依存関係がある。 「自分の現実が分からない」(参照)という現実を放置して意思決定論をしてもしょうがない。

    ■ - Freezing Point
  • 特異的な専門性 - Freezing Point

    社会的ひきこもりに関連して、既存の「専門家」がダメだとすれば、自分で専門性を作らなければ。 医師・支援者・文筆家としてプロを名乗る人たちの議論に納得できないなら、それに反論するあなたは、プロとして力量を問われる用意ができているか。 ただ観客席でブーブー言うだけなら、「プロではない」と言われても仕方がない。 「ひきこもりの経験者」として規定された人たちは、これから大きく3つに分かれるように思う。 (1)幼児あつかいされることで居場所を確保しようとする人たち (2)既存の専門性や共同体への順応主義・権威主義 (3)独自の問題意識で、関係性や専門性のスタイルを試行錯誤する (1)と(2)は両立し得る。 いずれも幼児的で、問題意識として自立していない*1。 私は(3)の一部としかご一緒できないし、この方針は「ひきこもりの経験者」に限定されるものではない。 むしろ(3)を制度内でやってくださらないと

    特異的な専門性 - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2010/10/07
    僕の場合は2と3の組み合わせかな。ある程度集団的記憶の継承とかもあるだろうし、分類もどこまで有効かともかくする必要はあるだろう。飯の食い方のノウハウも必要だ。
  • http://tundaowata.info/?p=1345

  • 使いみちのない否定性 - Freezing Point

    バタイユは、ヘーゲル的絶対知があり得ない以上、否定性*1には「使いみちがない」と言った。 以下、『有罪者―無神学大全』(pp.250-251)【原文】より: 何はともあれ、私の経てきた心労の多い体験が、とうとう私に、私にはもう何も「する」ことがないと確信させるに至ったのです。(そんなことを私が容易に納得したはずはありません。ご存じの通り、さんざん努力してみた結果、ようやく断念するまでになったのです。) もし行為が(「すること」が)――ヘーゲルの言うように――否定性であるのならば、「もう何もすることのない」否定性は消滅してしまうのか、あるいは、「使いみちのない否定性(négativité sans emploi)」という形で存続するのか、という質問があらためて発せられるはずです。 個人的には、このあとの方だと断定するほかありません。 私自身がまさにこの「使いみちのない否定性」なのですから(私

    使いみちのない否定性 - Freezing Point
  • ポジティブ・アレルギー 努力のブレーキ機能、「努力」に逃げない考察・解説

    物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応 時事ドットコム:野村克也氏が放送席で観戦=大相撲 NHKの『サンデースポーツ』で、この話題が取り上げられていた。 ここでは触れられていないが、そこで放映されたVTRの中で野村氏は、日人力士の不甲斐ない成績の原因について訊かれたところ、ハングリー精神の無さや、努力の足りなさという理由でそれを説明していた。曰く、努力には即効性がないのに直ぐに効果が出ると思っているから、効果が出ないと直ぐに努力を止めてしまうのだと。そしてそのVTRあけに、ナントカ親方が一言。「その通り!」 一体この手のやり取りを何万回見せられてきたことか。しかし、実は「努力」という便利な概念に状況の説明を頼り切りにし、誰かの努力の足りなさを解消することだけで問題の解決を図ろうとしてきた、その思考の硬直化とルーチン・

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