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あとで読むに関するlotus3000のブックマーク (23)

  • Jiraygyoさんのこういう将棋ギャルゲーが欲しい!についての会話まとめ

    地雷魚 @Jiraygyo それは春香さんの表情アレにすべき。長考中はアレ(笑) RT @denmaru_p: 自分の将棋プログラムをののワバージョンに改造してみた。 こういうのお願いします。 http://t.co/mGu2h9JcsT 2013-04-28 08:56:43

    Jiraygyoさんのこういう将棋ギャルゲーが欲しい!についての会話まとめ
  • 文学館? ザムザ!!

    夏目漱石 吾輩は毒虫である。名はザムザという。なんでこうなったのか頓と見当がつかぬ。何かしら不安な夢を見ていた気がするが、夢とは動物の体をかくも変化せしめる程のエネルギーを持っていたかしらん。腹にうじゃうじゃついている足が気色悪いのだがそれを舐める舌もない。あれほど好きな毛繕いももう出来ぬのだろうか。今の現実こそこれ悪夢である。主人が吾輩を見れば何と言うだろうか、「ごろごろ虫みたいに寝転がってるから、当に虫になりおった」主人が吾輩の姿を見る時は吾輩が家で休息しておる時か、珍しく躁の気が消え落ちついて外界を見ることが出来るようになった時である。したがって吾輩の外での勇猛果敢なる活躍や、疳の虫が爆発した主人の目に止まらぬよう家を駈け回る敏捷な姿を主人は目にしていないのである。いつもごろごろなどとは腹立たしい。最もまだそう言うと決まったわけではないのだが。あの主人なら巨大な毒虫がかつての愛

  • 神鷲皇國會(しんしゅうみくにかい)連続逮捕事件! 警察に注意!

    差別的な街宣デモで一躍嫌われ者になった神鷲皇国会(しんしゅうみくにかい)。その幹部らが3人連続逮捕。彼らへのカウンターには、★「警察GJ!」と、★「あいつら大嫌いだけど。警察不当逮捕は問題」というのとに分かれる。左翼は警察不当逮捕問題に強いのがいるけど。でも「神鷲皇国会幹部連続逮捕」問題は取り上げにくいかなあ。警察はみんなの嫌われ者から逮捕してやり方うまいよ。

    神鷲皇國會(しんしゅうみくにかい)連続逮捕事件! 警察に注意!
  • 靖国問題の再構成のために - R-Cube - 立命館大学 伊藤健一郎

    靖国問題の再構成のために(伊藤) 論 説 靖国問題の再構成のために ─ 戦没者追悼とネーション ─ 伊  藤  健 一 郎 目次 はじめに 第 1 章:靖国神社の性質と靖国論争(1980 年代までを中心に)  1−1:国民国家の装置としての靖国神社  1−2:靖国神社をめぐる論争−戦没者追悼と反軍国主義−   1−3−1:1980 年代の靖国神社をめぐる論争   1−3−2:戦争の記憶が希薄化した社会における追悼   1−3−3: 「国際化」する靖国問題 第 2 章:2000 年代における靖国論の広がり−ナショナリズムを基軸に−  2−1:靖国問題の分節化  2−2: 「靖国派」の論調   2−3−1: 「ナショナリズム」はどう語られているか   2−3−2:高橋哲哉の反靖国論 第 3 章:靖国問題の再構成のために  3−1:加藤・高橋論争−「ネーション」の位置づけをめぐって−  

    lotus3000
    lotus3000 2013/04/20
    ”戦後社会がナショナルな戦没者追悼の場を,靖国神社しか持ちえなかったこ とではないだろうか。”ここらへんが一番気になる。
  • 歴史

  • (5) 【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化 - Freezing Point

    連続エントリ: 第1回 「《つながりの作法》 としての差別」 第2回 「《不定詞の束としての人格》という考え方」 第3回 「生の様式そのものとしての不定詞 infinitif」 第4回 「差別と批判の見分け方」 第5回 「【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化」(今回) 【承前】  名詞形の当事者論は、《純粋な○○》 を探し始めます。 「より純粋な○○はどっちか」 の競争になる。*1 しかし動詞形で 《当事化する》 と考えるかぎり、その衝動は起こりません。 多角的な当事化がお互いを調べるのは、あくまで動詞形ミッションとの関係において、 つまり必要な変化との関係においてであって、「固定された性質」を記述するためではない。 名詞形にもとづく倫理は、差別と同じ 左翼系論者が差別をやめられないことと、名詞形「当事者」論は、リンクしています。 彼らは、名詞形の概念枠をやめられないのです。 自分を否定す

    (5) 【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化 - Freezing Point
  • いただきもの - shinichiroinaba's blog

    情況別冊 思想理論編 第1号 (2012年12月号別冊) 〈公共〉に抗する 作者: 長崎浩,市田良彦,王寺賢太,小泉義之,笠井潔,佐藤淳二,長原豊,沖公祐,菅孝行,廣瀬純出版社/メーカー: 情況出版発売日: 2012/11メディア: 単行購入: 1人 クリック: 34回この商品を含むブログ (1件) を見る ありがとうございます。複数の論文で私、とりわけ『「資」論』に対する批判的論評がございますが、せめて『「公共性」論』、そしてできうれば「教育費のエコノミックスとポリティックス」、更にはSYNODS Journalの拙稿を踏まえていただきたかったと存じます。 資主義を同時的売買よりは通時的信用取引を基軸に捉えようという問題意識は正鵠を射ているとは存じますが、具体的な運動綱領につなげようとしてか、議論のすべてが性急に過ぎます。 根底的な思考はゆっくりと厳密に積み重ねるべきです。それとは

    いただきもの - shinichiroinaba's blog
  • 「あの国のあの法則」 ~50年前の碩学の言葉と地政学的証明~ | とらっしゅのーと

    かつての拉致事件について、参議院において、「私の生命と安全を守って下さるため、長い期間にわたって努力を惜しまれなかった日国民と言論、そして日政府のご恩を、決して忘れることができません」(『民団新聞』1998年10月14日掲載金大統領の国会演説全文より引用)と演説した金大中前大統領が、同じ事件について日批判を始めたりして、なんだか日韓関係がめんどくさくなっており、全体的に朝鮮半島が悩ましい今日この頃ですが、今回は朝鮮半島について、歴史的に考えてみたいと思います。 参考 金大統領の国会演説全文(民団新聞トピック) http://www.mindan.org/shinbun/981014/topic/topic_e.htm1998 <金大中氏>「私への人権侵害」 事件で日政府批判 (エキサイトニュース) http://www.excite.co.jp/News/politics/2007

    「あの国のあの法則」 ~50年前の碩学の言葉と地政学的証明~ | とらっしゅのーと
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/14
    半島国家の地政学的位置。前近代でも島国の方から攻めても本土の補給力が続かないと駄目。中国の方も騎馬民族国家を抑えられるかでないと攻められない。しかも韓半島はけっこうでかい。
  • 自分が理想とする議論の形

    nayutan_(おつまみ) @nayutan_ 自分が正義だと信じて止まない人とは仲良くなれる気がしない。自分に意固地で他人の意見に耳を貸さない人とか。まずは双方とも「自分に非があった」と認めなければ何も進まないんだよ。議論の終着点っていうのは妥協の終点であり自分の意見を貫き通すことでは決してないんだと僕は思う。あくまで僕は。 2010-09-04 22:34:28 nayutan_(おつまみ) @nayutan_ これは実際問題むつかしいところもある。妥協するってことは自分の意見を少しでも曲げなければいけないってことだからね。でもこれができないと結局は意見の衝突になるだけで,融和され誰もが納得出来るものは生まれてこない。だから僕は自分を出来る限り曲げようと努力する。それは自分と相手のため。 2010-09-04 22:42:44 nayutan_(おつまみ) @nayutan_ 議論す

    自分が理想とする議論の形
  • 【@alekseytanaka】 「辻政信的がんばればできるはず」を巡る批判(1) 【@azukiglg】

    まずこの日の前段としては、「水を巡って紛争が起きていくのではないか」的なツイートに対して「水を巡る国家間の対立はむしろ平和をもたらす事例のほうが多く、それは事実である」という指摘を別の方からいただいたので、「具体的な事例は?」と伺ったら、「ggrks」と言われてしまい、大変弱った(^^;)という話がありました。 僕の主張は正しくない可能性が常にあるので、これは点検していかなければならないですし、そのためにフォローさせていただいている方の叡智、フォロワーの方々の叡智に助けていただいております。いつもありがとうございます。 で、「具体的な事例」については、結局出てこず、「がんばればできるはず」という理想をのみ拝聴するところで終わりました。それは些か具体性に欠けるのではないか、ということで「今後起こりうる水利戦争は、世界的に回避が可能な事例のほうが多いらしい」という希望に具体的展望を見出せず、少

    【@alekseytanaka】 「辻政信的がんばればできるはず」を巡る批判(1) 【@azukiglg】
  • 2012-11-01

    なんだか三題噺みたいだが、最近目についた以下の3つには共通する問題がある気がする。 尼崎の連続変死事件 遠隔操作ウイルスによる犯行予告なりすまし事件での「やってない容疑の自白」 ブラック企業(参照) 要するに「人はどういう状況に陥ると他人の言いなりになってしまうのか」という問題だ。 わたしは、尼崎の事件の報道にも使われた「洗脳」という言葉には、昔から違和感がある。 この言葉は、オウム真理教のようなカルト宗教団体がらみの事件や、X JAPANのToshiが自己啓発セミナーにはまった件やらオセロ中島と占い師の件やらにも使われたが、なんだか「洗脳する側」が何か異常なカリスマ性や技術を持ってるかのようなイメージがある。 だが、こういうと矛盾のように聞こえるが、洗脳された人間は当人の自発的意志で動いている。つまり、そうしなければならない、と思い込むように仕向けられているのだ。 うろ覚えだが、たしか『

    2012-11-01
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/02
    日本人が洗脳に弱い理由。ある意味思想をしるということはこういうウィルスに対抗するためのワクチンを得るという側面がある。心のサンクコストを図るための手段としてもつかえる。
  • スチームパンクの技術史 - 妄想科學倶樂部

    スティーム・パンクというのは、来はSFの用語だ。 SFの源流は(定義にもよるが)19世紀に遡る。ジュール・ヴェルヌはフランスで1864年に「地底世界」、1865年「月世界旅行」、1870年「海底二万マイル」、1871年「洋上都市」など「空想科学小説」を次々に発表、機械技術がもたらす新たな社会の姿が空想逞しく描かれ始めた。 それから100年あまり、1980年前後に「サイバーパンク」をもじったジャンル名称として提唱されたのがスティームパンクである。 これは要するに、初期SFの作風に影響を受けて現代の作家が描いた「レトロフューチャー」だ。 ヴェルヌが描いたのは当時の知見に基づく「来たるべき未来の姿」である。対して、スティームパンクが描いているのは「来なかった未来」だ。蒸気機関が内燃機関にとって代わられ、電気技術が電子技術へと発展した現代社会ではなく、たとえば蒸気機関が主力のまま成長を遂げた社会

    スチームパンクの技術史 - 妄想科學倶樂部
  • 孟子を読む

    中国の古典『孟子』を少しずつ訳して読んでみるコーナーです(2006.4月をもって完結)。 各章へは、右の”菜単(メニュー)”から飛んでください。 私は東洋哲学の専門家ではないし、哲学科の出身でもないので、ただただ読んでみて感じたことをコメントとして書き綴っていく予定です。もちろん、ご意見やご批判はあると思いますが、その辺りの事情を考慮していただければ幸いです。 儒教の書のコンメンタールとしての名著といえば、『孟子』ならば吉田松蔭の『講孟箚記(こうもうさっき)』(講談社学術文庫)があり、『論語』ならば澁澤榮一の『論語講義』(同じく講談社学術文庫)や貝塚茂樹の新解釈(『論語』中公文庫)などを挙げたいと思います。私はこれらの古典を読み切った達人のコメントにはハナから到底及びません。だが、ただの一素人として現代の若造なりに古典を読んでみたいと考えてみます。 読んで何か言ってみたいと感じた節を抜粋し

  • 戦闘教師「ケン」 激闘永田町編: 与太話を信じるのは無能だから?

  • 少女漫画で女心学ぼうとしたけど吐いた - ゴールデンタイムズ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/21(日) 05:00:38.71 ID:1XuB7dm3O 基的に都合いいのに変なとこリアル 71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/21(日) 07:40:32.92 ID:MA3gt6lg0 >>1 確かに 75 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/21(日) 07:44:49.05 ID:cwaGbbYD0 >>71 うわぁ・・・ 84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/21(日) 08:06:10.69 ID:yvAL9ZPE0 >>71 少し笑った後涙出たわ 100 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/21(日) 08:20:39.81 ID:ZYWrBwhv0

  • 鼠男とか - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20081026#1224955924 *2からの孫引き; 「なぜ福田さんを支持するんですか?」 九月十四日、自民党総裁選が告示された日のことだった。世田谷区の自宅前で、いつものように番記者たちのオフレコ懇談に応じていた舛添氏はある記者の質問にこう言い放った。 「やっぱり、成蹊だとか学習院なんかの出身が国のトップを担うのは無理があるっていうことだ。麻生なんて、漢字も読めないじゃないか」 ところで、舛添要一、竹下内閣だったか海部内閣だったかの頃、早稲田が首相になるから日が駄目になるとかいっていなかったっけ。 まあそれはそれとして、http://d.hatena.ne.jp/kechack/20081119/p1に引用されている高山正之の発言*3。知り合いのIKさん(お元気ですか)も帝京の系列大学の先生だし、以前一緒

    鼠男とか - Living, Loving, Thinking, Again
    lotus3000
    lotus3000 2012/10/14
    ”ナショナリズムを殺すことはできぬが、穏健な形にすることはできる。””全ての言語は複数形という形でしかありえぬのではないか”
  • 三宅秀道氏初の単著 - shinichiroinaba's blog

    新しい市場のつくりかた 作者: 三宅秀道出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2012/10/12メディア: 単行購入: 4人 クリック: 243回この商品を含むブログ (18件) を見る id:fuku33氏の単著ようやく上梓されるとのこと。 三宅君はご存じのとおり学に非常勤に来ていただいた時にちょっとしたドジを踏んだり、いろいろとエキセントリックなところがあってそれを差し引いてもちょっと保守的で右翼的でいろいろ意見の合わないところもあるんだけど、藤隆宏の衣鉢を継いでおそらくは日の経営学の明日を担うであろうひとりであるので、ぜひご注目いただきたいと思います。「現場と理論の往還」をスローガンに終わらせていない稀有な学者だと思う。

    三宅秀道氏初の単著 - shinichiroinaba's blog
  • 歴史的・政治的現実に規定されているから、つまり、現実に政治が優位してるから、政治が優位すべきであるというんじゃなくて、政治が優位してるからこそ - ujikenorio’s blog

    - 人間の価値とは来的に政治的人間ではない。(中略)〔それゆえ、政治にかかわる決断にさいしての〕価値基準は芸術とか学問とか、つまり政治的以外の価値基準の上に立って政治的選択をして行くという、パラドクシカルなものです。その意味で、政治の優位ってのを認めない。だけど、現実にかかわっている時に、認識として学問や芸術が政治と別に存在していると思うならば、現実にとりこになっている学問や芸術を肯定することになる。それが良識的知識人の盲点だとぼくは思う。つまり、芸術の自立とか文化の自立と言うことを実体化してる、ところがそういうものはないんだよ。そういうものは基的に歴史的・社会的制約をもってるもんだ。芸術とか学問とかいうものは、深く歴史的・政治的現実によって規定されている。歴史的・政治的現実に規定されているから、つまり、現実に政治が優位してるから、政治が優位すべきであるというんじゃなくて、政治が優位し

    歴史的・政治的現実に規定されているから、つまり、現実に政治が優位してるから、政治が優位すべきであるというんじゃなくて、政治が優位してるからこそ - ujikenorio’s blog
    lotus3000
    lotus3000 2012/10/02
    あとかなりプラクティカルの問題として一度政治戦略をきめるとなかなか変更がしにくくなるし、かといって柔軟な対応はコストがかかる部分をどうするのかという問題もありそう。
  • 鈴村智久の研究室 ジャック・ランシエール『民主主義への憎悪』から考える「これからの社会」

    いかにして「孤独な死せるライオン」に木漏れ日を与えるか? 我々現代人は、「現代」を常に実践的に生きている。 現代人が記した文学は、常に例外なく現代文学である。 「現代」について知りたければ、例えば自分が今詩や日記、物語などを書いて浮上した幾つかの「概念」を抽象化して思考することで、少なくともその特徴は掴めるかもしれない。 例えば小説の中に何気なく設定として取り入れている「ツイッター」や、「フェイスブック」という要素も、近代の文学には見られなかった新しいソーシャルメディアである。 ウェブ――まずもって、我々は現代的な典型的技術をこの領域に見出す。 「現代」という言葉は非常に曖昧で、いわば掴み難いものであるが、それは現代が日々更新されているからである。 この言葉と同じほど掴み難い言葉に、「民主主義」がある。 これは来、観念的な言葉であって、同時にその理念は政治で実践されなければ意味がない。

  • 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)

    Kindaika to "yomi" no hensen : dokusho o tsujita jiko keisei no mondai

    慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)