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中国史に関するlotus3000のブックマーク (17)

  • 中国における飲み物の歴史

    地雷魚 @Jiraygyo 周代における嗜好品としての飲み物 水(水だ) 漿(重湯・米湯、周代にそれを売る店がすでにあった) 【酉豊】(黍の粥に麹をほり込んで数日で発酵。古代のビール) 涼(氷水) 医(酸梅湯 http://t.co/fM8VqEaF) 【酉也】(飴、麦芽糖の水割り) 2012-09-08 16:02:06 地雷魚 @Jiraygyo これにだいたい魏晋において「茶」が加わる。茶は巴蜀の産物で、魏晋の頃は鼎に煮出して器で飲む煮茶である。この喫茶が始まった初期の頃でも茶の価格は酒よりも安かったらしく、倹約として酒の代わりに茶を飲むことを推奨したりしている文献もある。 2012-09-08 16:10:05 地雷魚 @Jiraygyo 酒については、なぜだか知らないが古代中国では刑罰の一つとして「酒を飲ませる」というものがあった。礼を逸したり、軽犯罪などを犯した者には角製の盃

    中国における飲み物の歴史
  • 背徳美食倶楽部 ~人肉の味を探求・賞味する~ | とらっしゅのーと

    ここのところ真面目な話ばかりしているので、そろそろふざけた話がしたくなってきました。 というわけで今回は、先日真面目に取り上げた人肉について、ネタに走ってみたいと思います。 先日の中国文化入門(http://trushnote.exblog.jp/7602405/)では、中国では美としての人が他国と比べて顕著であるということについても、少し触れたと思いますが、当に人肉が美たり得るのか、中国史の資料より、人肉の味を解明することが今回の課題です。 人肉の経験が豊富であるのみならず、長く豊かな肉文化歴史を有して多種多様な肉に対する深い理解に達している中国人ですから、彼らの残した記録は人肉の味を解明する上で世界一優れた資料と言えるのであって、そこからはかなり真相に近いところまで迫れるのではないかと思います。 なお中国史の資料から得られた解釈を、補強あるいは発展させるため、補助的

    背徳美食倶楽部 ~人肉の味を探求・賞味する~ | とらっしゅのーと
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/14
    人肉の味知りたきゃ、羊肉かフグの白子を食え。
  • 三国時代の魏蜀以外の中国史について

    お菓子っ子 @sweets_street でも、有名な三国志ですら、曹操が死ぬまでの魏と諸葛亮が死ぬまでの蜀以外は・・・(´;ω;`) RT @Historian_nomad @rudel101 宋でマイナーとかやめてください死んでしまいます 2012-11-08 21:02:34

    三国時代の魏蜀以外の中国史について
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/11
    明清の思想史はおいかけたいがアマチュアではきつい。
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  • 中国史における人口動態に関する議論

    Baatarism/ちゃんぷるー @baatarism @sweets_street 漢末期から三国時代の混乱で人口が激減(僕が聞いた話では6分の1から10分の1)したと言われてますが、これも戦乱で流通が崩壊したのが主な原因なんでしょうか?他にも農地や灌漑施設の荒廃とかもありそうですが。 2012-05-31 08:05:56

    中国史における人口動態に関する議論
  • 中国文化史における女性 - 枕流亭ブログ

    よせばいいのに戯言の書いてあるWEBページを開いてしまい、中国文化史に名を残した女性がいないがごとき「妄言」にツノを立てる。 最低でも班昭、蔡文姫、謝道蘊、薛濤、魚玄機、李清照、柳如是くらいは挙げるべき。このへんは前近代の中国女性史を扱った論著では定番の面々だ。 ほかにも許穆夫人、左芬、鮑令暉、劉令嫻、上官婉児、李季蘭、花蕊夫人、唐琬、朱淑真、蕭観音、馮小青あたりを挙げてもいいだろう。 ところで件のページは、「中国史に登場する女性は、男を凌ぐほど残虐な暴君タイプか、男の都合のままに流されて生きる艶女タイプしかない。」などと言っている。 女性の性格が2タイプだと! 人の性格を4タイプに分ける血液型性格診断は単純すぎてネタ的に扱われるが、さらに少ないタイプで分類して恥じないとは。ほんの少しの人生経験と想像力というものがあれば、そんなことはありえないと気づけるはずだ。もちろん「中国史に登場する女

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  • 「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次 - イヴァン・ウィルのブログ(ココログ)

    昨年(2009年)7月に2年3か月に及ぶ北京駐在勤務を終了して東京に戻ってきました。日へ帰国する前の昨年4月に書き込みをして以来、このブログ(ココログ)に書き込みをしていませんでしたが、書き込みを再開します。 2010年代に入り、日にとって、というより世界にとって、中国の存在はますますその重要度を増しています。中国を理解するためには様々な視点が必要ですが、まず中国共産党が支配している現在の中華人民共和国の成り立ちとその歩みを理解することが基だと思います。そこで、北京に駐在していた時に書き溜めておいた「中国現代史概説」を週に2回程度のペースでアップしていきたいと思います。 現在の目で見直して若干書き直しを入れながらアップしていきますが、目次は概ね以下のとおりになる予定です(下記の目次も状況に応じて変わる可能性があります)。 ------------------------ 【中国現代史

    「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次 - イヴァン・ウィルのブログ(ココログ)
  • 琵琶の両義性など - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20100824/p1 このところmatsuiismさんが興味深いエントリーを連発していて、それらに何かしらのコメントを付したいと思いつつも、なかなか暇がない。 上のエントリーを呼んで、劉索拉が琵琶の女性性を強調して、男性の楽器としての古琴と対立させていたことを思い出した(「従遠古伝来的愛情信息」in『口紅集』*1、p.30)*2。ただ、ことはそう単純ではない。上海のプログレ・バンド冷酷仙境*3の琵琶奏者である林笛は琵琶の暴力性を強調している*4。それは「有殺傷力的楽器」である。古来琵琶は戦場で馬上から士気を鼓舞するために弾かれていた。四天王の持国天は日では武将姿で表現されるが、中国仏教では琵琶を抱えた姿で表現される*5。このことからも、琵琶と武器が等価であることがわかる。 ベートーヴェンやモーツァルトに「土耳古行進曲」があ

  • 最古の九九掛け算表は秦代 - 枕流亭ブログ

    http://tech.enorth.com.cn/system/2009/12/11/004322064.shtml もちろん、より古いのが今後出る可能性はあるけど。

    最古の九九掛け算表は秦代 - 枕流亭ブログ
  • 山東省で大規模な古代製塩業遺跡群を発見 - 中国通信社

    中国通信=東京)済南4日発新華社電によると、中国文化財調査部門がこのほど、山東省のイ坊経済開発区で100余りの製塩業遺跡からなる大規模な製塩業遺跡群4カ所を発見した。そのうちの86カ所は東周時代の製塩業遺跡。数の多さ、規模の大きさは、東周製塩業遺跡の中でもまれにみるもの。 イ坊市の文化財部門によると、この4カ所の大型古代製塩業遺跡群は東西16キロ、南北3キロの区域に集中している。遺跡同士の距離は2〜4キロで、100余りの古代製塩業遺跡が発見された。内訳は竜山文化時代の遺跡が1カ所、商代から西周時代早期の遺跡が14カ所、東周時代の遺跡が86カ所、金元時代の遺跡が8カ所。規模が最も大きく、数が最も多いのは東周時代の製塩業遺跡。 歴史書によると、東周時代の渤海南岸地区は斉国さらには全国の有名な製塩業拠点で、斉国は塩の民間生産、政府による徴収、塩の政府による輸送・専売、人口に基づいて塩を

  • 『マオ 誰も知らなかった毛沢東』書評(批判的検証) - 2006-07-26 - 萌えるローマ帝国HAPPYMAX

  • 戦国時代の酒と思われる液体を発見、陝西の前漢墓から←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)西安4日発新華社電によると、陝西省の考古専門家は先ごろ、2000年以上前の前漢墓を発掘し、戦国時代の酒壺を発見した。酒壺内には酒と思われる液体が残っていた。 陝西省文物局文化財鑑定チームの呼林貴隊長は次のように述べた。この酒壺はいくつかの遺物とともに前漢墓から出土したものだが、その器形、装飾などの特徴からみて、酒壺は戦国時代のものと思われ、非常に美しく作られており、国宝級の出土品だ。 10月30日、陝西省眉県金渠鎮教坊村の村民がショベルカーで土を採取していた際、この青銅器の酒壺を含む遺物を偶然に発見した。その中の彩釉土器と香炉型酒壺は明らかに異なる時代のものとみられた。そのため宝鶏市の文化財担当者と連絡をとり、今月2日、陝西省文物局から文化財専門家が派遣された。 専門家によると、銅や金がちりばめられた酒壺にオタマジャクシの装飾が施されるのは、秦代の遺物ではほとんど見られな

  • 「Google 日本語入力」を試してみた(中国史篇) - 枕流亭ブログ

  • 古代中国の虚像と実像

    と言うワケで、落合淳思『古代中国の虚像と実像』講談社現代新書 を読了…。まあ、予想通りサラッと読めるではありました。 どういうかというと、金文偉い!二次文献資料カッコワルイ!と言う、発掘ブームに沸く中国の世相を反映した最近の学会の風潮をデデーンと主張してるです。まあ、文献資料でも古い時代に書かれたモノに価値があり、数百年経ってから書かれたモノにはあまり価値がないというスタンスですね。 言わんとしていることはわかるものの「密室で会話されたとするモノが史書に書かれているのがそもそもおかしい」という類の事例を押し並べて「だからこの話は作り話だ!」という感じでガンガン断定していくのはどうかと…1。史書に書かれている”史実”は、そのまま当時起きた”事実”とは違うのは…、何というか今更ご高説垂れて貰うまでもなく常識の範疇ではないかなぁ…とも思うんですけどねぇ…。せいぜいが「密室で行われたことが外

    古代中国の虚像と実像
  • 安徽蚌埠の禹墟で珍しい白土礼器を発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)合肥15日発新華社電によると、中国古代文明起源調査プロジェクト禹会村遺跡調査隊がこのほど、禹墟で高さ約30センチの白土陶キ(キ=古代の炊事用陶器で、中が空洞になった3の足がついている)を発見した。調査隊の責任者王吉懐研究員は「白土陶キは4000年前の竜山文化時代の非常に珍しい最高級の礼器である」と説明した。 王研究員によると、陶キは竜山文化時代の典型的な陶器で、最初は炊事用陶器として使われていたが、その後は酒器として使われることが多くなった。煙にいぶされ、火でこげた痕跡が底部に残っており、2回目の発掘を行った2008年に発見された紅色夾砂陶キの痕跡と同じものだという。2007年に安徽省の蚌埠にある禹墟の南部文化層の生活区から陶キの袋状足2点が出土したことから、禹墟は竜山文化時代の遺跡であることが立証されている。白土陶キの出土は今年始まった3回目の発掘が収めた重要な成果で

  • 『鹿洲公案 清朝地方裁判官の記録』著:藍鼎元/訳:宮崎市定 中国版遠山の金さんの名裁き | Drupal.cre.jp

    『鹿洲公案』とは、副題にあるように、清朝の役人であった藍鼎元(らん ていげん)が広東州潮陽県の知事になった時の裁判記録(公案)である。 地方裁判官とあるが、実態は、江戸の町奉行、大阪奉行などと同じように、警察、検事、裁判、税務など、もろもろの任務が込みである。 さて、藍鼎元が広東州潮陽県の知事となった18世紀初めは、清朝5代の雍正帝の時代である。 清朝5代といっても、清朝の初代となるヌルハチ、2代目となるホンタイジは、いずれも満州にある後金の地方政権である。3代の順治帝になってようやく中原を支配するようになり、4代康煕帝が清国の形を整え、その後を継いだのが5代、雍正帝だ。まだまだ、国家としては若く、力強い時代である。 天下太平。しかし中国は広い。広東州潮陽県は鼎元が赴任する前に天災や飢饉にみまわれていた。生活が苦しくなった民が増えれば治安も悪化する。租税の徴収など公務がおろそかになれば

  • 福本勝清氏によるアジア的停滞論に関する連載 - 梶ピエールのブログ

    前回に引き続き、むっちゃ刺激的で面白いです。平野義太郎と大上末広がこのように批判されることに全く異論はないが、だとすると尾崎秀美などはどのように位置づければよいのだろうか? http://www.21ccs.jp/soso/chinateki/chinateki_32.htmlより。 例として戦前の日主義論争(封建論争)を挙げよう。互いに激論を展開した両派、講座派も労農派も発展論的な視角をとっていた。だが、労農派を停滞論だと批判するものはいないであろう。誰も、戦前日の農村にアジア的な特殊性を見いだした猪俣津南雄を停滞論とは批判しないだろう(『農村問題入門』 1937年)。筆者は、日主義の停滞的側面を強調した講座派理論は、ある意味で「日的停滞論」と呼ぶことができると考えているが、それは多分に比喩的な意味において(アジア的停滞論の連想から)そうなのであり、それが何か、アジア的停

    福本勝清氏によるアジア的停滞論に関する連載 - 梶ピエールのブログ
    lotus3000
    lotus3000 2009/10/17
    未だ進歩に対する距離感がうまく取れない。
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