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明治に関するlotus3000のブックマーク (23)

  • 外見的立憲主義型市民憲法としての明治憲法の限界 | Kousyoublog

    近代市民憲法は、権力の濫用を阻止し、人権の享有を確保することを課題とする。憲法という名称の法典が存在しているにもかかわらず、その課題にこたえる内容を欠いている市民憲法を「外見的立憲主義型の市民憲法」という。「外見的権利保障」は、憲法の保障で国民の権利が保障されているにもかかわらず、権力に十分に対抗できない権利の保障をいう。(注1) 十九世紀、市民革命と産業革命によって市民憲法を整え、資主義経済を浸透させた英米仏の国力は他を圧倒しつつあった。後発国としてそれを追う立場のプロイセンは革命を経ずに近代化を行う「上からの近代化」路線を取る。 「封建的土地貴族のイニシアティヴにより、封建的土地貴族と農奴の関係をそのまま資・賃労働関係に再編成し、政治的にはそれに対応する外見的立憲主義の憲法によって立憲体制の外見をほどこすという、近代化のしかたである。」(注2) そのため、可能な限り旧い原理が温存さ

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  • 技術史からみた西南戦争 | Kousyoublog

    中岡哲郎「近代技術の日的展開 蘭癖大名から豊田喜一郎まで (朝日選書)」に日近代技術史から見た西南戦争について端的にまとめられていて面白かったので、簡単に紹介しておきたい。同書については同じく中岡哲郎「日近代技術の形成―“伝統”と“近代”のダイナミクス (朝日選書)」、石井寛治「日の産業革命――日清・日露戦争から考える (講談社学術文庫)」とともに日近代の持続的経済成長(いわゆる「日の産業革命」あるいは「後発工業化」と呼ばれる)の過程についてなんらかまとめたいと思っているので後日がっつり紹介するつもり。戊辰戦争が終わり、明治新政府は富国強兵のスローガンの下、士族の解体から徴兵制の施行に至る国民軍の形成過程を突き進むことになるが、同時に各地に兵器工場の開設が計画された。明治三年(1870)に開設された大阪砲兵工廠もその一つで、後に東京砲兵工廠と並ぶ二大砲兵工廠へ発展していく。さて

  • ララビアータ:松浦寿輝氏の『明治の表象空間』(1)近代日本語と漢学 - livedoor Blog(ブログ)

    手に取りて巻置く能わざる経験――しかるに、また同時に、すんなりと読み飛ばすことを禁じ、そのつど思考を強制するが如き、また誘発するが如き、観念の聳立蟠踞に目のすくむ思いをしながら、しばし書物から目をそらし嘆息・黙考する――そんな不思議な経験を久しぶりにした。 ある個所に差し掛かるや、疑念百出して、反論勃と立ち上がるのだが、次のページを繰ると、まさにその疑問を著者自身堂々と提起し、応えようとしている。我々はさながら、著者の掌中におちこちと迷い、自ら道を切り開かんとするに、実はすでにそれが先取りされていて、孫悟空がお釈迦様の掌の内を動くが如し、というわけだ。 文学、歴史、思想史など確かな教養に裏付けられた論述は骨太であり、横断的に走る洞察には思いがけない発見が満ちていて読者をひきつける。しかもそれが、今どき珍しいおよそお子様向きでない堅固な石材のような文体で、過不足なく積み上げられてゆくのであ

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    lotus3000
    lotus3000 2014/12/16
    イグサの芸術
  • 古文書入門書【吉田豊特集】 | 古文書の本

  • 伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog

    先日の記事「近代日、海水浴の誕生」で明治時代に日の医療制度の確立に多大な影響を与えたドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツについて紹介したが、そのベルツの日記に、彼が侍医を務めた皇太子嘉仁(後の大正天皇)の結婚に関するエピソードとして、伊藤博文の発言が紹介されている。明治三十三(1900)年五月九日の日記より。皇太子の結婚は翌日五月十日のこと。 『一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。――こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実

    伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog
  • 『日本の近代化と民衆思想』 - Arisanのノート

    の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー) 作者: 安丸良夫出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1999/10/14メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 67回この商品を含むブログ (23件) を見る今年に入って平凡社ライブラリーから「名著復刊」として新しい刷が発売された書は、もともと、歴史学者安丸良夫が、60年安保の国会議事堂を包囲した闘争に一学生として参加した体験を機縁として、60年代から70年代前半に書き継いだ論考を一冊にまとめたもの(74年出版)である。 「通俗道徳」の利用と日近代の民衆宗教 書の前半ではまず、近世から明治にかけての日の民衆闘争を支えた思想が、近代化や国民精神の形成と表裏をなす「道徳主義」にあったことが強調される。 これは、民衆の道徳主義を、江戸時代からの封建的遺制として否定的にのみ捉える、従来のマルクス主義史学や丸山真男などへの異議を、民衆史という

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  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

    lotus3000
    lotus3000 2012/06/13
    ほぼ僕の診断と重なる。あと保守とリベラルを共に支える中間領域が少なくかつ交流も乏しい。
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    lotus3000
    lotus3000 2012/06/13
    天皇制を産んだ背景。政治的信頼の最終基盤としての天皇。
  • 人造石

  • 庄内用水元杁樋門

  • 明治天皇制はなぜ崩壊したのか [社会ニュース] All About

    明治天皇制はなぜ崩壊したのか伊藤博文が渾身あげて築き、磐石に見えた明治天皇制は、やがて破局を迎えます。どこに問題があったのでしょう。明治憲法制定に大きく関わったひとりの人物に注目します。 (2006.04.05) 歴史から考える天皇制シリーズ、今回は明治天皇制が確立した大日帝国憲法の制定プロセスを見ていきながら、明治天皇制の特徴をみていきたいと思います。あまり語られない重要人物、井上毅とは。 1ページ目 【天皇を「道具扱い」していた新政府幹部、反発する井上毅】 2ページ目 【明治天皇制に影響を与えた井上毅の天皇に対する考え】 3ページ目 【天皇を支えるスーパーパワーを必要とした明治天皇制の弱点】 【天皇を「道具扱い」していた新政府幹部、反発する井上毅】 明治初期、天皇は新政府の「道具」だった 初期の明治政府で主導権を握ったのが薩摩(鹿児島)出身の大久保利通でした。彼は江戸幕府の最末期、こ

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  • 雑感 - heuristic ways

  • 夏目漱石「支那人は日本人よりも遥かに名誉ある国民なり」 1901年 - Transnational History

    夏目漱石は1901年(明治34)のロンドン留学時代の日記に、中国人を「名誉ある国民」と記したことがあった。 1901年3月15日付『日記』 「日人を観て支那人と云はれると厭(いや)がるは如何、支那人は日人よりも遥かに名誉ある国民なり、只不幸にして目下不振の有様に沈淪せるなり、心ある人は日人と呼ばるるよりも支那人と云はるるを名誉とすべきなり、仮令(たとい)然らざるにもせよ日は今迄どれ程、支那の厄介になりしか、少しは考へて見るがよかろう、西洋人はややともすると御世辞に支那人は嫌いだが日人は好きだと云ふ、之を聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って自分の方が景気がよいと云ふ御世辞を有難がる軽薄な根性なり」 (『魯迅の日 漱石のイギリス - 「留学の世紀」を生きた人びと』柴崎 信三 p200より) それから8年後の1909年(明治42)、漱石は学生時代からの友人で満鉄総裁のw

    夏目漱石「支那人は日本人よりも遥かに名誉ある国民なり」 1901年 - Transnational History
  • 第5回 翻訳調の成立:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 福沢諭吉と同じ時代に活躍した人に中村正直(敬宇)がいる。幕臣の息子として生まれ、若くから儒学で頭角をあらわし、江戸末期を代表する儒者になった。その一方でまずは蘭学を学び、やがて英学も学んだ。慶応2年(1866年)には幕府の留学生取締としてイギリスにわたり、明治元年(1868年)に帰国している。明治3年(1870年)から明治4年(1871年)にかけて翻訳書の『西国立志篇』を出版し、大ベストセラーになった。明治5年(1872年)にはJ.S.ミルのOn Libertyを訳した『自由之理』を出版している。 この『自由之理』は、読者に強い感動を与えており、自由民権運動はこのからはじまったといえる。いま読んでも、ほんとうに素晴らしい名

    第5回 翻訳調の成立:日経ビジネスオンライン
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    lotus3000
    lotus3000 2010/01/03
    長山靖生の著作より、帝国主義へ導いたもの。僕の父も少年倶楽部以来のSFファンだったけど、「帝国主義ってあかんと思うけど魅力的だった」といったことを思い出す記事。
  • 明治44年、子供向けビジネス雑誌に連載された時代を超えたビジネス・モデルたち/幸田露伴「番茶會談」

    「実業少年」という子供向けビジネス雑誌(そんなものがあったのである)に明治44年、露伴が連載したもの。 さすがは露伴、のほほんとした強力(ごうりき)ぶりに目を見張る。 当時、少しでも見どころのある少年は、安定を求めて公務員になろう、大企業に入って終身雇用でぼったくろうなどと思ったりせず、必ずや自ら事業を興して成功してやらう、三井、岩崎が何する者ぞ、と心を決めているのだった。 だから子供向けビジネス雑誌といっても、今のサラリーマンくずれが読むものよりずっと気が利いてる。 というわけで、作中に登場する少年たちは、正体はよくわからないがとにかく物のわかったそのおじさんを尋ねる(おじさんは、読者である我々にはまるで露伴その人のように思える)。 おじさんは次々に、カード式の知的生産の技術や、そのうち軍事利用されるだろう飛行機の簡易撃退法や、加藤清正のごとく/紀伊国屋文左衛門のごとく、ハダカ一貫からの

    明治44年、子供向けビジネス雑誌に連載された時代を超えたビジネス・モデルたち/幸田露伴「番茶會談」
  • 関川夏央:『坂の上の雲』の主人公がどうして正岡子規だったのか? ロスジェネとしての「坊ちゃん」 - さて次の企画は

    関川夏央のから備忘録として引用 日露戦争をえがいているはずのこの物語の主人公のひとりが正岡子規であることを不思議に思う方も多いようです。日露戦争が主役であるならば、来は夏目漱石が出てきたほうがいい。 漱石は戦前の最も重要な時期にロンドンにいました。渡英するとすぐにビクトリア女王の死に接し、少しのちボーア戦争出征軍人の、まるで敗者のごとき凱旋を目撃しています。そして日英同盟の締結に遭遇し、英国社会の考え方や、西欧の空気に圧倒されながらも、これを批評的に眺め、帰国して日露戦争に出会います。 司馬遼太郎が夏目漱石を晩年まで愛読していたことは、よく知られていたらしい。 ただ書き始める切っ掛けとして、正岡子規を調べていたら、その幼馴染みとして秋山兄弟を知ることとになったことがひとつにあり、また陰性の夏目漱石よりも、陽性の正岡子規の方が、司馬遼太郎が書きたかった明治の時代精神に合っていたなどの理由

    関川夏央:『坂の上の雲』の主人公がどうして正岡子規だったのか? ロスジェネとしての「坊ちゃん」 - さて次の企画は
    lotus3000
    lotus3000 2009/12/25
    司馬遼太郎が書きたくても書けなかったものを関川夏央による補完。坊ちゃんの時代の山縣を思い出される。
  • 緑風出版刊行目録

    国にあらゆる財産や仕事を一方的に取りあげられ、あまりに悲惨だからわずかの土地と仕事の糧を与えてやるが、「おまえ達は『旧土人』で無能力だから管理は出先の役人がやってやる」──こうして明治から北海道庁が管理してきたアイヌ民族共有財産。アイヌ文化振興法の成立で返還されることになったが、杜撰かつ不正な管理で、財産は雲散霧消、あるものはこれだけで締めて130万円という。 あまりの理不尽にアイヌ民族は不正・不法を訴えるが、行政を弁護する司法の前に裁判は破れる。 書は、アイヌ民族の尊厳と人権を懸けた〈百年のチャランケ=談判〉裁判闘争の全記録であるとともに、今日の日国家によるアイヌ民族蔑視・差別の構造を余すところなく明らかにする。(2009.8) [内容構成] 第1部 アイヌ民族共有剤裁判の経過と意義について 1 アイヌ民訴区共有財産裁判の経過 2 裁判の意義および争点について 第2部 第一審 札幌地