皇暦2675@憲法改正の本丸は前文と第一条 @koureki2675 【関東大震災 不逞朝鮮人蛮行】 ~新愛知新聞 号外 大正12年9月4日~ ◆屋根から屋根へ、鮮人放火して廻る ➟震災により亡くなった人は数万人 震災後の朝鮮人の蛮行で亡くなった人は10万を超えると言われています pic.twitter.com/XB3924po3G 2016-08-21 21:13:14
第二次世界大戦末期のフィリピン、日本軍が壊滅しつつあるレイテ島。 肺病となった田村一等兵は、部隊から追い出され、傷病兵に満ちた野戦病院からも追い返され、どこにも居場所がなくなった。 密林をさまよう田村一等兵は、現地人にめぐみを求めたり、敗走する日本兵に出会いながら、はてしなく追いこまれていく…… 大岡昇平『野火』を原作として、ほとんど自主制作で塚本晋也監督が実写映画化し、2014年に世界初公開、2015年に日本全国で公開された。 映画「野火 Fires on the Plain」オフィシャルサイト 塚本晋也監督作品 1959年にも市川崑監督が映画化しているが、原作ともども簡単なあらすじを見たことがあるだけ。そのため、脚本も手がけた塚本監督の物語構成における独自性は、間接的な情報でしか知らない*1。 ただ少なくとも、1時間半に満たない尺ながら、出口のない戦場を右往左往する疑似体験には充分だっ
グノーシス主義の思想―“父”というフィクション 作者:大田 俊寛春秋社Amazon とてもよいオウム本を書いた大田の処女作で、グノーシス主義にも(『ヴァリス』とか読んだので)興味あったので読んで見た。 オウム本と同じで、とてもすっきりしていて明快。「父親」というものの観念性を元に、その観念性を逆手にとって承認を通じた納得が生まれ、それが社会にも拡大されて社会が生じ、というクーランジュの発想(『古代都市』うちにあるのに読んでないや)から始まって、いろんなグノーシス文献を手際よくまとめて整理していくのは見事。最後は本当の神様をある種のフィクションとして認識しつつも、それを鏡として己を見直し、そして虚構性を敢えて受け入れることで社会性を構築するような発想なんだというところにそれがたどりつくのは、読む側にも「そうか!」という達成感があってすばらしい。そしてこれまでの論者の議論をロマン主義的と切って
asahi.com 2009年4月28日 「26年後に殺害遺体、賠償4200万円確定 最高裁」(魚拓) 出発点に「殺人」という不条理がある問題なのでどうしたって誰もが納得する結果はでそうになかったのでしょう。テレビでの報道を見ていると被害者遺族が時効制度について「逃げ得を許すのか」といった趣旨の発言をしていましたが、今回の最高裁判決は遺族の意図に反して、刑事上の時効まで逃げ切った同様な事件の犯人に対し「死ぬまで黙っていよう」というインセンティヴを与える可能性が高いでしょう。当該事件の場合、犯人(民事訴訟の被告)には区画整理事業のため犯行が露見しかねないという事情があったわけですが、仮に刑事上の時効制度が存在しなかったとすれば自首ではなく更なる隠蔽工作を行ったかもしれません。それが成功していれば事件は完全に迷宮入りになっていたでしょう。しかし遺族にとって、「犯人はわかっているのに刑事罰を与え
このところ、各エントリーのコメント欄に大量の匿名の書き込みが続いていて、すごく困ってます。 ほとんどは、「早く左翼教、文学教を脱して、あなたも現世教の信者に!」といった趣旨の内容で、「間に合ってます」という感じなんですが、いくつかすごく気になったコメントがありました。 それらについて、少し思ったことを書いてみます。 ひとつは、『06年最後のエントリーは、労働運動について考える』と題をつけた昨年12月31日のエントリーのコメント欄から。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20061231/p3 こんなふうに書いてあります。 さっきからさ。”イメージ”だの、”思う”だの あいまいな言葉ばかりつかってるけどさ・・・ 実際に働く人に接したことないの? 働く人たちの組織に接して彼らの意見を じかに肌に触れて感じたことないの? かれらの息遣い感じたこと無いわけ? 彼らの愚痴聞い
「novlunoさんによる「慰安婦」基本的な事実解説」への反応 - 法華狼の日記で言及した[twitter:@haku_mania_P]氏から反応があった。 「都合の悪い本当のこと」とは何のことなのか、さっぱりわからない。haku_mania_P氏はエントリのコメント欄に何度か書き込みをしたが、その答えは明確にされなかった。 しかも、きちんと自説の根拠を提示しないのみならず、「あえて本題には触れないで、相変わらず支援砲撃にとどめましょう」といった「私のスタンス」を理由として根拠を出さないという態度に出た。 ここまで書いても判らないようであれば、貴殿の中でかなり強力なバイアスがかかっているので、書いても無駄でしょう。 また、踏み込んだ内容になるので、私のスタンスと外れます。 申し訳ありません、それをやるとネタばらしになる可能性がありますので、、現時点ではお待ちいただけると助かります。 …とこ
1949年、当用漢字字体表が発表され新字体が採用された。 これによってそれまで使われていた字体は、旧字体とか旧漢字と呼ばれることになった。 ただしこれは印刷についてのことである。 当用漢字字体表の発表前には、印刷字体と手書き字体は違うものだったのである。 「昔は旧字体で書いていた」なんてウソだ!: ほぼ文字についてだけのブログ(tonan’s blog改) コメント欄も含めて興味深い展開となっています。 この種の議論では、用語の定義をきちんと詰めて合意しておかないと話が噛み合わないものなので、そのためにも根拠となる文書を共有できる形にすることが重要です。個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則であるとする主張はいわゆる帰納法としかみなされないことがあるので、十分に裏づけとなりうる情報をオープンにしておく必要性が高いです。このようなときにMyOpenArchiveは活用できるのではないか
オランダでも6月の総選挙で極右政党が第3党になってどういう連立が実現するか注目されてたわけだけど、最終的に(政権運営の困難を承知しつつ)極右とはいちおう一線を画したわけで。これが日本だと、自民どころか民主にも“ヨーロッパ基準では極右”な議員が平気でいるわけで。民主のデフレ脱却議連の会長はよりにもよって松原仁だし。
Baatarismの溜息通信 2005-11-20 民主党がリフレ政策に冷淡な理由 経由? インタラクティヴ読書ノート別館の別館 2005-11-11のコメント欄でdojin氏 (2005/11/18 13:37)が推測する左翼の問題意識、あるいは左翼がリフレに冷淡な理由。 他:svnseeds’ ghoti! 2005-11-18■大変のコメント欄も参照。 リフレで景気よくなっても、また10年後とかに何らかの理由で景気悪くなったらどうせまた弱いものから切り捨てだろ?そういう社会構造そのものが気にいらねぇのに、リフレ派はそういうことについては何もいわねぇ。えー、ヘタレ左翼のわたくしに左翼を代表することができる理由などありませんし何よりヘタレですから話半分に聞いていただきたいのですが、 切り捨てられる人が出てくるような、「そういう社会構造そのものが気に入らねぇ」と確かに思っています。しかし、
遅レスになってしまいましたが,砂澤陣氏のエントリに対し返信めいたものを投げてみます。確かに、小林先生や的場先生と私の歴史認識の相違点はあろうが、それが何だというのだろうか?相違点が無く全てにおいて合致しているほうが、不自然ではないだろうか・・・・?相違点があることを認識しあいながら論議できる環境の方が、どれ程に健全かと思う。何十年にも及ぶ行政との癒着に胡坐をかいた不正問題に一石を投じることと「差別」「人権」「先住」という言葉が安易に使われ、不用意に政策に取り組まれ税金を無駄に使っている現状では、タブーといわれてきた「アイヌ問題」に多方面から論議されるというのは良いことではないだろうか?特に客観的な歴史の見解が必要な場面で、こうした人達の意見は重視されるべきだと私は思う。主観的な歴史見解に偏ってしまっている「アイヌ史」は、客観的冷静な見解があってこそではないだろうか。北海道アイヌ協会の不正に
前回の記事のコメント欄。id:sean97さんのコメント。 「ゴー宣」読むのがインテリ、というのは、このレベルの学生ではまさにそうで、「漫画すら読まない学生」がほとんどだったりします。 「韓流」は何をもたらしたか?: 川瀬のみやこ物語 episode2 あと、ちょっと気になる傾向として、けっこう「勉強熱心」な学生が、「歴史の真実」というようなあおり文句に惹かれて、『マンガ嫌韓流』のような本を読むのではないか、という指摘がありました(でも「勉強熱心」と言ったって、あのマンガとかを読んで「目が開いた」と言っているレベルですから「もうちょっとお勉強してきてね」としか言えないのですが)。 ゴー宣や嫌韓流を読んで、目が開かれたと思ったり、知的優越感を感じたりするのは、確かになんだかなあと思うんだけど、僕も彼達を笑えないんだよね。僕も高校時代に落合信彦にはまっていた過去を持っているから。「狼たちへの伝
私、以前にこんなエントリ書いたことがあるんですね。 http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060809000740/ もう3年半も前のことなんですが、書いた直後以外にもたまにコメントがついて現在に至っております。8月8日にエントリアップして10日までコメント欄でやりとりが続いたのですが、その後08年10月、09年6月、それから今年になっても。コメントがつけばつくほど当初の「子連れには厳しい社会」という認識は正しかったと確信させられるのですが。で、今年になってついたコメントの一つがケッサクだったので。 2chのどっかのスレからのコピペらしきものをはった奴(もちろんハンドルは"Anonymous")がいたのでそのヘタレっぷりを嗤ってやったら「こういう意見がありますよ、読んでみて、って言ってるだけじゃ
急遽はてなダイアリーを立ち上げてみました。以下はこちらの記事及びそのコメント欄への反論になります。 極論をすると、「その価値を安易に否定するとひどい副作用をともなうことがあるような性質の価値基準が存在する」ということさえはっきりすれば、それが生物学的要因によるかどうかは比較的どうでもいいんですね。別の原因から、そうなる、という結論でも、ぜんぜんかまわない。そこは比較的枝葉末節な部分なんですよ。 そうであるならば、何故それが「いかにも生物学に基づいて証明されていると誤読させるような」書き方をされるのでしょうか? これが問題なんですよ。 この記事の前提となっている前の記事を参照すると、「人間力と誠実さと知性を兼ね備えた男の方が、お洒落な男よりモテるように『人間の本能』は出来ているはずであり、それに反すると『ひどい副作用』を招く」(大意)と述べられています。これはどこをどう読んでも、生物学を論拠
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