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ジェンダーとsexualityに関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 「放浪息子への嫌悪感の正体」に対して - 男色系男子

    放浪息子への嫌悪感の正体 - 斜め上から目線 今日の記事は、上記の記事について(↑を先に読んでね)。 先に言っておきます。僕はこの記事のひとがキライではありません。ちゃんと読むと、ただの放浪息子dis記事、ホモフォビアなだけの記事というわけではない。 非コミュなぼっちの悩みとセクマイの悩みを並べて、非コミュぼっちの悩みのほうが深刻なんだという感情が彼の中にあると僕は思う。 セクマイの連中は守られてばかりで、人の優しい正しい言葉に満たされている感じがずるい! 非コミュぼっちのやつらはもっとつらいんだぞ、って思っている――そんなふうに僕は読みました。 リア充嫌悪(リアルフォビア)。良識嫌悪。道徳的な強者嫌悪。 セクマイは道徳的な強者で、はじっこで声もあげられないやつらこそが弱者だ! と、この人は叫んでいる。 たぶん、実際に弱者なんだろう。非コミュぼっちの居場所がいまこの国にないことは僕もよくわ

  • なぜ創作物の中のレズビアンやバイセクシュアル女性は色情狂として描かれがちなのか - みやきち日記

    これ、ずっと、「女が好きな女=レズAVの登場人物みたいなエロエロの存在」という偏見のせいかと思っていたんですが、もっと根深い理由に思い当ったので、メモ。 創作物の中のレズビアンやバイセクシュアル女性が「24時間、女と見れば相手構わず欲情するセックスモンスター」みたいに描かれてしまいがちなのは、とどのつまり、「この社会の中では、女性は、女性相手に欲情している瞬間以外は自動的に異性愛者だと判断されてしまうから」なんじゃないでしょうか。 たとえばですね、 朝マックで朝をとっているOLさん 自転車漕いで学校に向かう女子中学生 淡々と授業を受けてる女子高生 コンビニでレジを打つ女性アルバイトさん ……なんていう、特に誰に向かっても欲情を示していない状態にある女性は、たとえセクシュアリティについて何の表明もしていなかろうと、全員自動的に「異性愛者である」と判断されてしまいがちなわけですよ、この「人類

    なぜ創作物の中のレズビアンやバイセクシュアル女性は色情狂として描かれがちなのか - みやきち日記
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