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思想と天皇に関するlotus3000のブックマーク (4)

  • 訴えることと・・嘆くこと 無力な存在にできること - gooブログはじめました!

    写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ A.山太郎天皇手紙渡し事件のこと ぼくはあとどのくらいこの世に生きるのだろうか?そんな問いはほとんど意味はないのだが、今のところ64歳を迎えてもとくに身体にたいした異常はなく(強いて言えば左目が緑内障で少々視野が狭くなっているくらいだが老眼はまだない。暗くても文庫は読める)、毎週6キロ30分ランニングをして結構ハードなウェイトトレーニングをこなして、同世代の人に比べれば風邪ひとつ引かずかなり元気だ。近いうちに倒れて動けなくなるような病気になるとは思っていない。二十前後の学生と一緒に動き回っても、彼らの方が先に疲れる。そうはいっても、誰だって明日死ぬかもしれないのだが。 多くの人がそうであるように、多少健康の不安があったにせよ個人としての日常生活にさしたる支障はなく、

    訴えることと・・嘆くこと 無力な存在にできること - gooブログはじめました!
  • 「日本文化論」の典型としての『國體の本義』 - 美徳の不幸 part 2

    今日は、久々の院ゼミ(約1ヶ月ぶりか?)。今日の課題図書は『國體の義(やっぱ、ここは旧字がしっくり来るよな)』(文部省編、1937年発行)。実は、が学部時代のゼミでこれを読んでおり、そのコピーが「発掘」されたので、僕がもらい受け、「たまにはこういうのをみんなで読むのも面白かろう」と思って、レジュメを作らず好き放題にしゃべり合う。 勿論、内容は今から見れば突っ込みどころのオンパレードなのだが、このの主旨は「そういう賢しらな論理・理屈を越えて日の国体、ひいては天皇は偉いのだ。なぜなら偉いというのは過去から現在、そして未来永劫続くのだから」とトートロジカルに宣揚することなので、その論理の瑕疵を言い立ててもはっきり言って意味がない。 僕としては、つい習性でこのの宗教観などに注目してしまうのだが(例えば仏教に関してはやはり「鎌倉新仏教中心史観」ぽいなあ、とか)、それよりも気になったのは、戦

    「日本文化論」の典型としての『國體の本義』 - 美徳の不幸 part 2
  • 天皇制をめぐるあれこれ

    takayamitsui @takammmmm 「天皇の戦争責任」(井上清)、「昭和天皇・マッカーサー会見」(豊下楢彦)「安保条約の成立-吉田外交と天皇外交-」(同)、「昭和天皇の終戦史」(吉田裕)、「現代政治の思想と行動」(丸山真男)。天皇制問題がマイブーム。 2012-11-18 15:06:35 takayamitsui @takammmmm 8.15敗戦ですべてがくつがえったのではない。政治犯は獄につながれたまま、哲学者・三木清は9月26日獄死。それを当然視する内相談話が英字紙に掲載され問題になって、マッカーサー指令で漸く10月、政治犯釈放、そして治安維持法廃止、特高警察解体。日人の手によって解放されたのではない。 2012-11-18 16:38:32 takayamitsui @takammmmm 「日イデオロギー論」の戸坂潤も、三木清も疥癬で獄死している。日高六郎によると

    天皇制をめぐるあれこれ
  • 「制度」としての「天皇制」と「身体」としての「天皇」 - 塾講師のつぶやき

    反天皇制運動の困難さは「制度」としての天皇制への動員が「身体」を通じて機能する点にある。「制度」に対する批判が「身体」としての天皇批判にすり替わる時、反天皇制運動は「非人間的」として非難される。しかし昭和という時代は「戦犯」という視点で昭和天皇を批判することで、「制度」としての天皇制批判に直結しえたのだ。「戦犯ヒロヒト」なる言い方がある程度(かなり限定的だっただろうが、少なくとも天皇制批判をその中核に据えていた歴史学においては比較的よく聞かれた言説)有効性を持ったのには、昭和天皇という「身体」を批判することが可能だったからだ。昭和から平成に変わった時、「反天皇制」を掲げる時に、もはや「身体」への批判は「制度」批判としての有効性を持ちえない、ということを意識すべきであった。私がある学会の委員をしていた時、今上天皇が戦争責任について論及した時、学会の委員の多数派が今上天皇批判を展開した。私はそ

    「制度」としての「天皇制」と「身体」としての「天皇」 - 塾講師のつぶやき
    lotus3000
    lotus3000 2010/01/28
    これだよなあ。まず天皇制を肯定するにしても、その後の毒抜きを考えないと。
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